最近気づいたこと。
色々な方がネット上で操体について書かれています。そこで
誤解されやすいのが、「操体は『快』の方向に動く」という表現をされている場合があるな、ということ。これは厳密に考える必要があります。
どういうことかと言うと、
動いてもいないのに『快の方向に動け』と言われてもわからないでしょう?
『動いてみて、その動きに快適感覚があるかないか、ききわけること』です。
その昔、私の知り合いが操体をやっている、というところへ行ったそうですが、
畳の部屋に通されて『きもちいいように好きなように、動きたいように動いて下さい』と
言われたそうです。
これって操体じゃないですよね。
私の兄弟子K先生の作品に『気持ちよく動いてぇ〜』という言葉の誘導が良く出てきます。たまにそれを鵜呑みにしている方がいるのですが、その言葉が出る前には
『うつ伏せに寝て片足を曲げて、膝を脇のほうへ引き上げさせる』とか
『仰向けに寝かせて、操者が被験者の腕の皮膚を外側に動かしている』とか、
何らかのアクションがあるわけです。
いきなり動きを指示しないで『きもちよく動いてぇ』と言っても言われた方は分かるわけありません。
そういった場合、仕方なくもぞもぞ動いたりして、「操体ってわけわかんない・・」となるわけです。
または「それじゃあ、きもちいい動きを探して色々動かしてみよう」と、考える人もいますが、これは
本末転倒で、『動いてみて、きもちよさがあるのかないのか、ききわける』という本来の動診の問いかけかた
とは、違うものになります。
更に、『きもちいい動きを探して色々動く』場合、きもちいい動きが見つかればいいのですが、
大抵は『きもちよさ』ではなく『楽な動き』を探しているに過ぎないのです。
も一つ加えると、運動神経の優れた方に多いのですが『何もしなくても、からだが勝手にきもちいいほうに動いちゃう』
と言う場合があります。100人に3人位はいるかと思いますが、そういう方の場合、自分がそうだからと、他の人も『なにもしなくても、からだがきもちいい方に勝手に動いちゃう』と、思うようなのですが、97人の方は、そうはいきません。
操者が触れるとか、動きを指示するとか、介助を与えるかしないと動きません。
ちなみに「橋本敬三の世界」をみると、橋本先生が「きもちいいほうをさがしてうごいてみればいい」と言われている場面がありますが、おそらく、この時は、橋本先生ご自身が「きもちいいほうに動けばいい」と言いながらも、実際にされていたのは「楽なほうに動かして脱力させる」という方法を続けられていた時代の映像だと理解しています。