東京操体法研究会の講習を終えた卒業生が第五日曜に集まって、勉強をする場が「塾・操体」である。
この日は午前中に東京操体フォーラムの実行委員が集まって打合せをするのが定例になっていて、今回は一ヶ月後に控えたフォーラムのプログラムに関しての調整を行った。以前にも書いたが今回新しい試みとして、実行委員によるショートプログラム発表が
ある。
例えば、「操体は何故症状疾患にとらわれないのか」とか「操体では患者が医療者の立場をとる。何故それが可能なのか」「楽と快の違い」などを発表する。
考えてみるとこれらは皆「非常識」でもある。
普通学校で習うのは『○○疾患にはこの操法』だし、患者が医療者の立場とは通常考えない。快と楽だって似たようなものじゃんという感じであるから、これらの内容を理解するということは、操体の特性を深く知ることでもあるのだ。
また、今回は操体の源流と言われる「正体術」が橋本敬三医師によって研究され殆ど正体術と同じだった時代から、「快適感覚」をききわけ、味わう操体に変わっていった様子も説明される。
いつも思うのだが、出版されている橋本敬三先生の本は1983年(86歳)の時に、それまでの操体(きもちよさ、とは言っていながら実際は楽をとおしていた)が、快適感覚主体に変化する以前のものなので、86歳以降の橋本敬三先生が「楽ときもちよさは違う」「動きより感覚の勉強をしなさい」「(感覚のききわけが
鈍るから)呼吸は自然呼吸でいい」とか、その後の事が書かれていない。そういう事に触れるきっかけにもなると思う。
午前中はショートプログラムの講評とフォーラムの打合せが無事
済んだ。
午後からは「塾操体」である。
様々な話題や疑問を持ち寄りそれについて協議や実際に実技をやってみたりする。
「このような介助法は理に適っているのか」と実際にデモンストレーションしてみたり、最近臨床上で起こった事例や、ケーススタディなどなかなかアツい。
今回話題に上ったのは、皮膚へのアプローチ。
そのなかで起こる現象を主に二つにわけて考えた。皮膚に触れて無意識に関与する場合と無意識に関与しない場合がある。
「皮膚に触るなんて何でも同じじゃん」と簡単に流せない深みがそこにはあるし、この二つは使い分ける必要がある。
その他にも興味深い話題がたくさん上がった。通常の講習と違って、ひとたび終えており、さらに臨床を積んでいるメンバー揃いなので話が濃い。学びの満足感というか何というかやっぱり勉強し続けることは大切なのだ。