操体法大辞典

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タオ、気のからだを癒す。何故操体は第二分析、第三分析に移行したの

タオ、気のからだを癒す

タオ、気のからだを癒す

遠藤先生の本を読むと、操体の学びも深まってくる。
例えば、なぜ現在、我々が「第2、第3、それ以上」分析をやっているのか。
この本の65ページに書いてある。

ここで、気の技法の実際について述べる前に、なぜこうした新しい指圧技術が生まれたのか、その時代背景について、まず考察することにしてみたい。
マクロビオティック(食物養生法)の講演会に出席した時、大森英桜という先生から、とても興味深い話を聞いたことがある。ご存知の方も多いとは思うが、マクロビオティックでは、食べ物を陰陽のエネルギーとして分類する。その陰陽を、時代としてあてはめた時、およそ八百年の周期をもって陰の時代と陽の時代とが入れ替わっているという。
陽の時代とは、物質優先の時代であり、男性社会の時代であるから、闘争的で対立が絶えないという。八百年前といえば、日本ではちょうど、それまでの歌や芸で遊び暮れていた貴族社会(平安朝)が終わりを告げ、戦争好きな武士社会の始まった時代(鎌倉時代)である。大森英桜氏によると、その陽の時代が、第二次世界大戦の終わった一九四五年頃に終わったという。そして、これから本格的に陰の時代がやってくるという。
陰の時代とは、物質にかわって精神の時代であり、男性的な闘争の時代ではなく、女性的な調和の時代である。また理性よりも感性を主とし、人々は政治的イデオロギーよりも、宗教や芸術を好むようになる。いわゆる、今までの物質文明から、精神文化を主とした霊的な時代がやってくるのである。エネルギーは、それまで使われていた石炭、石油のような陽性のエネルギーから、最後のエネルギーをいわれ、海の水からいくらでも取ることができる、陰性の水素エネルギーが使われるようになるという。
また、私自身の指圧の臨床体験からは、数年前から「虚証」の症状(陰性の病)を持った患者が、非常に多くなってきたことがいえる。増永師在世の頃は、ほとんどの患者が「実証」(陽性の病)であり、虚証の症状を持つ患者は、慢性的なごく一部の患者であった。それが一九八八年頃から、虚証を持つ患者が増え始め、今では九〇%以上が虚証の患者ばかりになってしまった。
一体、何故このような現象が起きたのであろうか?私は当初、人々が薬物などで症状を抑えることが多いため、病い(邪気)が内向したためではないかと考えていた。しかし、それにしても虚の痛みやコリを持つ患者があまりにも多いのである。
歯の痛みやコリに対しては、「寫法」の治療は効を奏さず、かえって悪い結果をもたらすことが多い。例えば、慢性的な虚の痛みやコリに対して、強い寫法の鍼など打ってしまった場合、時として次の日に立てなくなってしまうことすらある。鍼が補寫を厳密に言うのは、このようなことを防ぐためである。虚の症状に対しては、あくまでも的確な「補法」の治療を行う必要があるのである。したがって、一部で行われているような、経絡の存在を無視して行う鍼治療は、大変危険であるといえる。
患者の症状のほとんどが虚証(陰性)のものになってしまったのは、あるいは陰の時代の始まりを示すものなのかもしれない。すなわち陰の時代の始まりとともに、患者の病もまた陰性のものとなり症状攻撃的な陽性の医学や寫法の治療があまり役立たなくなってきているのである。
中略
陰の時代には、陰性の虚の症状の患者が増えることは、十分に納得のいくことである。したがって陰の時代には、それまでの物理的な陽の医学にかわって、心の働きや気を土台とした、より精神的な陰の医学が、主流となっていくのであろう。

東洋医学で八百年周期というが、占星術では2000年毎に時代を司る星座が入れ替わる。2000年からは、アクエリアス水瓶座)の時代に入る。これはスピリチュアルな事に注目が集まることを示す。代替医学などの流行などである。

橋本先生の時代も「実証」の患者が多かったと聞いている。だから「楽なほうに動かして瞬間急速脱力」で足りたのである。
私の周囲のみならず、メンタル的な問題を抱えた患者、クライアントが増えているのは臨床に携わっているならば、納得がいくであろう。
マドリッドの小野田先生も、浪越徳治郎先生の時代の指圧では、間に合わないと、言われていた。なので進化した指圧の体系を作られているのである。

私は長らく、生活様式の変化などもあるのだろうと思っていた。しかし時代が「陰」に移行しているという話を聞いて深く納得した。時代の進捗曲線という話でも、2012年から「精神の時代」に入っているという(からだの設計にミスはない参照)。

からだの設計にミスはない

からだの設計にミスはない

第一分析が、実証に対応していた正体術から派生しているのなら、一九四五年以前に結果を出していたのは納得できる。

時代が陰に代わりつつある現在、「実証」向けの第1分析の動診、操法ではなく、陰つまり「虚証」向けの動診と操法、つまり第2分析、第3分析、あるいはそれ以上の分析(動診)操法が必要になってくるのは当然であり、時代のニーズなのである。

これを踏まえずに(時代の変化を認めずに)、楽な方に動かして瞬間急速脱力の(第1分析)動診操法を推し進めるのでは、臨床的効果が期待できないのは当然ではないか。

勿論、これらの方々も第2分析には興味津々なのだが、これを理解するには「楽と快」の区別が必須である。これが理解できないとどうなるか。
人間は好奇心が非常に大きいので、興味があることが、理解できないと、無視するのだそうだ。第1分析を手放さない人達の多くは、
つまりなみなみならぬ興味と好奇心(なぜなら、第2分析以降の動診と操法は結果を出すことができるからである)をいだいているのだが、「楽を快の違い」が理解できないので、第2、第3分析以降を無視するのだと考えると納得できるのである。