最後に仙台を訪れたのは昨年の12月である。仙台は新幹線でふらりと行っても近い。何せ2時間かからないのだ。はやてだったら上野、大宮、仙台だし、はやぶさの場合は上野も飛ばすことがある。駅弁でも買って本の1冊でも読んでいればすぐ着いてしまう。
本当は仙台の七夕にも足を伸ばしたいのだが、大抵土日に被ってしまうので(それも第2日曜、東京操体フォーラム実行委員勉強会開催の日)なかなか行けないのだが、「瑞鳳殿」にも行きたいし、「あさひ鮨」のお寿司も食べたい。橋本先生のお墓参りにも行ってきたい。
しかし何故東北は自然の試練が多いのだろう。明治時代、吉原のお女郎さんの多くは東北出身だったという話がある。私の先祖は明治時代のチリ津波で船を流されているし、昭和の津波にも遭っている。
父方の祖母は志津川(南三陸町)の出身だし、先祖代々津波は来る!ということが分かっていても何故か三陸海岸に住んでいるのである。
今回の地震で思ったのは、「東北人よりも、東北人以外の人達がビビっている」のではないか、ということだ。勿論助けは必要だろうが、東北ブラッドの底力を本能的に嗅ぎつけているのではないだろうか。
神戸の震災は「地震なんて無縁だろう」という土地で起こった。東北は「地震はよくあるし、津波は絶対に来る」ということが、はるか昔からわかっているのだ。
息食動想はじめ、操体の考え方を言い換えると
- からだにお任せする
- 言葉を統制する
- 身体運動の法則を守る
- 3つの8を守る(腹八分目、8時間睡眠、夜8時以降ものを食べない)
病気になると「何で自分がこんな目に遭うんだろう」と思うのが常だが、「生き方が間違っている」から病気になったのだ。生き方がは間違っているというのは「息食動想」のバランスを崩していることだ。
臨床家は一度は大病(死なない程度の)をしてもいいと思う。それは決して無駄にはならない。私は二度死にかけたことがある。最初は「どう考えても、肉体的にも精神的にも無理を続けた」からだが、この時は、無理をするようになった環境を少々恨んだ。この時誤診で難病の診断を受けそうになったが、その次は「あ、こりゃバチが当たった。当たって当たり前だな」と思った。
三浦先生も数年前に大病された時、それを受け入れた、と「皮膚からのメッセージ」の後書き「私のつぐない」の中で書かれている。
お医者さんに任せて後はからだにお任せする、という気持ち、あるいは「きもちよさ」を十分からだにとおして、からだにお任せすることなのだ。
「言葉を統制する」というのは「想」のことだ。言葉が乱れるからおかしくなるのか、おかしくなるから言葉が乱れるのかというと、多分言葉が乱れるからおかしくなるのだと思う。
「身体運動の法則を守る」のは言うまでもない。
最後の「3つの8」だが、先日健康運動指導士の資格更新研修で聞いたものだ。これは東北の震災へのチャリティーで、運動指導者が現地で何ができるか、ということを色々聞いてきた。
8というのは操体に縁の深い言葉なので、印象に残っているのである。
腹八分、夜8時以降はものを食べない、というのは「食」にも繋がってくるし、8時間以上の睡眠というのは、からだの疲れをとる。というか、8時以降ものを食べずに、8時間寝るとすると、相当早く寝なければならない。私などは5時か5時半起きなので、8時間寝るとしたら9時に就寝しなければならない。さすがに6時間程度寝れば平気だが、早寝早起き腹八分目がキモなのだろう。