なるほど、何故○○氏が、いい大人になっても人からほめてもらいたがるのか。
何故、△△君は大学受験の前になると体調不良で試験を受けられないのか。
タイトルを見て、最初「人生、自分の好きなことして、嫌われるならそれでいいじゃん」系の本だと勘違いするかもしれないが、サブタイトルは「自己啓発の源流『アドラーの教え』」とある。世界三大心理学者と言われる、アドラーの心理学だ。
アドラーの思想を「青年と哲人の対話」という、物語形式でまとめたものだ。
偶然ではあるが、私はこの本で、丁度前の日の「操体法東京研究会定例講習」で、師匠が黒板に書いて引用した「ニーバーの祈り」の一文を見つけた。
何だかすごい偶然だ。
カート・ヴォネガットの「スローターハウス5」にも引用されている。
神よ、願わくばわたしに、変えることのできない物事を受け入れる落ち着きと、変えることのできる物事を変える勇気と、その違いを常に見分ける知恵とをさずけたまえ
目次を書き出してみると、
過去に支配されない生き方
あなたの不幸はあなた自身が「選んだ」もの
人は常に「変わらない」という決心をしている
あなたの人生は「いま、ここ」で決まる
なぜ自分のことが嫌いなのか
全ての悩みは「対人関係の悩み」である劣等感は、主観的な思い込み
言い訳としての劣等コンプレックス
自慢する人は劣等感を感じている
承認欲求を否定する
「あの人」の期待を満たすために生きてはいけない対人関係の悩みを一気に解消する法
叱ってはいけない。ほめてもいけない
「勇気づけ」というアプローチ
過度な自意識が、自分にブレーキをかける
自己肯定ではなく、自己受容
以上は抜粋だが、なかなか興味深い項目が並んでいる。
私は直感的に、これは操体の哲学ににているな、と思った。
「ここにいて、いいんだ」という言葉である。
また「馬を水辺に連れていくことはできるが、水を呑ませることはできない」という諺が引用されている。
これは「やるやらないはテメエの勝手」つまり自己責任を指している。
なお、私の知り合いは「叱ってはいけない。ほめてもいけない」という目次に対して
「橋本敬三先生は『子供はほめて育てよ』と書いてある」と、クレームをつけてきた。
アドラー心理学の立場では「ほめるという行為には『能力のある人が、能力のない人に下す評価」という側面が含まれているのだという。
例えば夕飯の準備を子供が手伝ったら「お手伝い、えらいね」と褒める母はいるだろうが、夫が同じ事をしたら「お手伝い、えらいね」とはほめない。これは、対人関係を縦軸で捉えているから起こるのだそうだ。
さて、そうするとどうやってこの問題を回避したらいいのだろう。
それは「勇気づける」ことだ。
これは縦の関係ではなく、横の関係だ。
橋本先生の言葉は、確かに「年の功」というのもあったかもしれないが、「縦関係」ではなく「全面的な勇気づけ」という感じがする。
例えば「たいしたもんだ」とか。
また、援助(介入にならないもの)と介入(対人関係を縦でとらえ、相手を自分より低くみているからこそ、介入してしまう)の区別も大切だと説いている。
「馬を水辺に連れていくことはできるが、水を呑ませることはできない」で考えると、課題に立ち向かうのは本人であり、決心するのも本人なのだ。
そして、割と多いのだが「ほめられたがる人」。
人はほめられることによって「自分には能力がない」という信念を形成してゆくのだそうだ。これは「ほめられたがる人」にとってはショッキングなことだろう。
文中に登場する「青年」は、アドラー心理学に対して「劇薬だ」と言う。
確かに劇薬である。
味わって見る価値はある。