伝統療法カンファレンス報告の合間ですが、
9月8日、イシス編集学校の「イシスのお祭り」に行ってきました。
本日のプログラムは「自分の見方と世界の見方を編集する夜学」ということで、
湿板写真家のエバレット・ブラウンさんと松岡校長のトーク。
千葉のいすみで素敵なお宿「慈慈の邸」もプロデュースしていらっしゃいます。
といえば、私が行かないワケがありません。
エバレットさんは10月にパルコ劇場で公演の「影向」(YowGow) のポスターを
湿板で撮っていらっしゃいます。松岡正剛さん、田中泯さん、
石原淋さん、宮沢りえさんによるステージですが、
こちらも私が行かないわけがない(チケット買ったし)。
幸いに正面かぶりつき(笑)の席を確保し、じっくりお話をうかがいました。
最初にビデオを見ながら、先の「影向」(ようごう)のポスター撮影をした時のお話。
写真を勉強中の私ですが、湿板写真は勿論、暗室に入って現像とかしたことがないもので、撮影の様子の手順の一つ一つが非常に興味深いものでした。
ガラスの板に液を垂らし、それが乾かないうちに撮影するので「乾板」に
対して「湿板」というのでしょう。
撮影が終わって、現像するまでどんなものができるのか分からないので、
焼き物みたいなもの、というお話にはやはり「へええええ」でした。
使っているカメラは江戸時代末期から明治初期のもので、撮影に10秒くらい
かかるそうです。なるほど、10秒も動きを止めて大きな箱を見つめるわけですから、
「魂が抜かれる」というのもわかります。
私は「へえええええ」とうなづくばかりでした。
そしてエバレットさんは、撮影時には自分を「なくす」そうです。
写真家と被写体の間には、通常何らかの「念」が入るものですが、
それを排除しているのだそうです。
撮影時にも、被写体(モデル)を見ない。
そして「他力」という言葉を聞きました。
操体は「自力自療」なので「他力は良くない」っていうのでは
ありません。他力というのは、自分一人では何もできないけど、
回りの力、あるいは宇宙の力をありがたくお借りするということです。
「他力」というのは、最近東京操体フォーラムのメンバーの一部で
流行っている言葉ですが、心屋仁之助さんの言葉を借りると
「なんか知らんけど」というヤツです。
この「自分のテクで撮影するんじゃ」とか「オレがオレが」という
のではないところが「他力」、つまり「お任せする」ということなんです。
後半は、突然ですが「目の体操」をやりました。
私も目が悪いのと、パソコンとスマホとKindle人間なので、
目が凝っているのがわかりました。
そしてこれも面白かったのが、
視野の境界線を見るというワーク。
これは、私が「視診触診講座」で教えている、「放散視」に似ています。
視診する場合、
凝視すると見えないんです。
凝視すると、一生懸命やってるとか
そんなふうに見えると思うかもしれませんが、
実は凝視すると、身体的な異常とかアンバランスは見えにくいんです。
「集中しながら放散して観る」というのがコツです。
最近、私達は「目線」の勉強をしていますが、
色々ヒントがありました。
アートも編集も、行き着くのは「身体感覚」なのです。