操体法大辞典

操体の専門家による、操体の最新情報など

臨床飛ばし(触れない臨床)

前回は「触れない」といっても「口頭」で行った「心」にアプローチする操体臨床でしたが、今回は、10年前に「月刊医道の日本」誌の「新年のことば」に掲載された、三浦寛先生の寄稿をご紹介しましょう。

 

こちらは「本当に飛ばし」です。

 

接触」が危険であれば「触れない臨床」が生きてきます。
そろそろ「触れない臨床」の出番かもしれません。10年以上オープンにしていませんでしたが、我々は「触れない臨床」のメソッドを持っています。

 

「臨床飛ばし」は、分析法で言えば「第四分析」にあたります。これは「息診息法」がメインですが「飛ばし」も含まれています。

 

次回は、瀧澤一寛さん(東京操体フォーラム実行委員@てまり堂:岩手県久慈市)発案の「左脳とばし」という新しい言葉もご紹介したいと思います。

 

 

新年のことば 人体構造運動力学研究所 所長 三浦寛

「臨床飛ばし」2010年「月刊医道の日本」掲載


日本時間10月18日日曜日午前7時
英国時間10月17日土曜日午後11時

私はこの日から二週間、日本に居ながら、はるか英国に住む二人の患者を診ることとなった。


彼と彼女が眠りにつく時間を見計らって日本から治療をおこなう。

一人の彼は交通事故で、とある病院に入院中、一人の彼女は英国のとある街で生活している。


私が知りうる二人の情報はこれだけである。

私には二人から依頼があったということだけで十分である。

私はこの二人に意識を通すことで、からだのとこを診なければ ならぬのかが認識できる。


患者を目の前にして視診・触診・動診しなければ臨床ができないということがなくなってしまった。

改めてわかったことは、なぜ視診・触診・動診をと おすのか、それはそうして診なければわからないということである。

しかし、わかってし まえばその様な診断をとおす必要も無いということもわかった。

意識は、意識すること によって時間や空間、その距離を一瞬に超え、現象を写し出してしまうことがわかった 。

我々は時間との制約の中で生活しているが、実は本当は時間や空間(距離)が無い 次元に生かされていることに気づくのである。

 

臨床中、私の意識が届いているのかどうか、からだの反応や変化が起きているのかどうかは私自身に写し出される、ある現 象によって認識できる。

 

二人の経過はすこぶる順調で、回復にむかっている。

このような臨床がなぜ可能なのか、その問いかけがわかってしまえば誰にでも可能なことで ある。

 

又その問いかけは、実にシンプルなことで、何一つ難解なことではない。

 

この内 容については出版の機会を得て公表したいと思う。

 

 

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