私もその昔は、楽な方が気持ちいいのでは、という思い込みがあった。なぜなら、最初は楽と快の違いが未然の操体を習ったから。
比較対称し、快方向へ動かし、瞬間的に抜かせる、というものだ。
しかし、実際に臨床を積んでいると、「どちらが快か」という問いかけに答えられない被験者が多いことに気づいた。
この辺りは、私のクライアントの皆さんに感謝したい。
足趾(あしゆび)廻しも、最初は「どちらが快」か、被験者に問いかけるように、と習った。
しかしこれも「どちらかわからない」、正確には「どちらか決めがたい」という被験者が多く、少し困っていた。
そんな時、三浦先生(まだ入門前だった)に、受けていただき、未熟モノの私は三浦先生に「どっちに回したほうがキモチいいですか」と、今にしてみればアホなことを聞いた。
三浦先生は「どっちもキモチいいよ」と答えた。
私はこの言葉で、薄ぼんやりしていた「楽」と「快」の違いがわかったのである。
きもちのよさは、比較対称しないということだ。
そうなると「楽な方に、きもちよく動く」という言葉の怪しさがわかってきた。
実際に被験者リサーチしてみると、楽な方、可動域がある方は、「楽でスムースだが、きもちよさはない」ことのほうが多いことがわかった。これは、三浦先生の「快からのメッセージ」に書かれていることと同じだ。
つまり、楽な方がキモチいいという確率は少ないということだ。
これは、実際に臨床をやっていたら、よくわかる。
症状疾患を抱えていたら尚更だ。
しかし、操体実践者の中には「楽な方にきもちよく」と、唱えているケースもある。
これは何故か。
多分、症状疾患を抱えた方々を診ているのではなく、体操教室やサークルで、健康で動ける人に指導しているのだろう。
それならば納得がいく。
健康で動ける人に対しては「楽な方にきもちよく」と言っても通じる場合がある。
例えば、ストレッチでは「きもちよく伸ばす」という言葉を使うが、操体の場合は、
「動かしてみて(動診)、楽か辛いか、あるいは快適感覚があるかないか、診断分析する」ということになる。