毎月第二日曜の午前中は、東京操体フォーラム実行委員勉強会です。
今回は朝8時から盛り上がって12時45分くらいまでの長丁場でした。
最近、よく思うのですが「継続は力なり」ということです。
そして、実践し続けること。
仕事などで、離れてしまうと、興味が薄れてしまうのは、そんなに珍しいことではありません(まあ、それも運命と言えば運命なんですが)。
ベテラン実行委員の中には、20世紀末から操体法東京研究会に参加していて、なおかつ、現在も月イチで三浦先生の個人レッスンを受けている方もいらっしゃるのです。
国家資格ホルダーで、現役で、なおかつ臨床経験が豊富な方々です。
他のベテランのメンバーもそうですが、実際の臨床に活かすことで、それが机上の理論にならず、役に立っているということです。
そういえば今回、ベテランT松さんから「広義の操体と狭義の操体」という話が出ました。
「きもちよさでよくなるのは、自然法則です」という言葉が最近多いというのです。
確かに、「操体は楽だ」と言う人はあまりいません(昨年の新潟大会では『橋本先生は楽を追求していらっしゃったので、私は一生楽を追求する』という方がいましたが・・)。
大抵は「快」と言います。
最近は「きもちよさで良くなるのは、自然法則です」という記載が多いと聞きました。
確かに「耳ざわり」のいい言葉ではありますし、間違ってはいないのですが、操体の説明にしては、ちょっと広すぎるかな?と思ったりします。
操体の言葉の定義は「広義」と「狭義」で、考える必要があります。
私の知りあいで「操体は天然自然の法則です」と言った人がいました。
間違ってはいませんが、自己紹介で「私は太陽系の住民です」というくらい、意味が広すぎるのでは?
なんて思ったりします。
まあ、これも使う場所などによってはとっても効果的ですが、使い方には熟練とベテランの風格?が必要です。私のようなまだ20年くらいしか臨床をやってないのは、もう少し説明が必要です。
操体の勉強を開始して、日が割と浅い方々に聞くと「操体を説明するのが難しい」という言葉をよく聞きます。
私のハハなども「友人とかに説明するのが難しい」と言っています。
ある方は「気功」(ざっくりですが、きもちはわからないでもない)とおっしゃっていました。
多分、勉強していくに従って「説明」もできるようになってくるのだと思います。
私自身「操体」についての原稿を書いて、師匠から修正がめちゃくちゃ入らなくなったのは、そんなに昔のことではありません。
「息食動想」の「想」は、「明るく感謝して生きる」ということだけではありません。
「言葉を統制する」ということです。
地方のある受講生は「この辺りでは『操体』って言っても通じないから『整体』って言えば」と言われたそうです。
これは、ちょっと残念ですね。