操体法大辞典

操体の専門家による、操体の最新情報など

「鍵」。

これは武術系の人に聞いた話だが、

武術を習っていると、途中で「もういいや」「自分でできる」と、修業をやめてしまい、自己流で練習をする輩が出てくるらしい(昔からいたんですね)。

 

そうすると、どうなるか。

師匠から、最後の「鍵」のようなものを受けとっていないので、自己流でやると、だんだんカラダが壊れるのだそうだ。

 

また、中には「テクニックだけ盗んで後はトンズラ」みたいな輩もいたと思うが、教える方はちゃんとわかる。そういう輩には「鍵」は渡さないのだ。

 

そして「鍵」を伝授されていないと「先生の元でやっている時は効果が出るが、先生の元を離れるとどうも効果が出ないとか(講習の場でやると出来るけれど、家に帰るとさっぱりとか)、そんなことが起こる。

 

古武術とか伝統療法などは、こうやって伝わってきたのだと思う(伝承も大事だ)。

 

ここで思い出すのが、またまた密教僧慈童さんの話だが、聖天様という仏様がいらっしゃる。普段は厨子に入っていらっしゃるが、この厨子を開けられるのは聖天供を授かった(師匠から授かる)った者しか開けられない。

(開けるとどうなるか、というのは「密教僧 秋月慈童の秘儀」をお読み下さいね)

 

他にも特定の仏様を供養する場合には「授からないといけない」のだ。

 

私は操体法にも「鍵」があると思っている。

 

幸いにも私は「鍵」を授かっているし、仲間でも「あ、この人は授かっているな」というのはわかる。

授かった以上は、それを大事にして、後の人に渡すのも、弟子の役目だと思う。

 

なお、私自身は「外気功」を伝授しているが、今までで「鍵」を渡したのは数人しかいない。渡そうと思っていても渡せなかったりする。

しかし、何度も書いているが「渡そうと思って渡せなくなった」というのは「渡さなくても良い」というお示しだと思っている。

 

「鍵」「授かる」というのは、単純だが優れたシステムだ。時間はかかるが、大事なことや秘伝を伝える場合、やはり「伝えてはいけない人物」に伝えてはいけないから。

 

 ※見よう見まねで、密教系の印を組んだり真言を唱えるのはやめましょう。ちゃんと師匠について、授かって下さい。

 

 

昔から、三浦先生が受講生に言っているのが、「未熟な者同士で練習してはいけない」ということだ。

昔は結構「自主練していいですか」という人がいたので、三浦先生はよく「やめておけ」と諭していた。

 

わかっている指導者がいればいいのだが、ビギナー同士で、うろ覚えで勉強すると、間違って覚えて後で困ることがある。

 

自主練というと、一生懸命な感じがするが、間違えて覚えたら、少し厄介だ。

また、根性論とも違う

 

私の昔の受講生に、寿司職人がいた。

当時、寿司職人は中卒で修業に入るのが普通だったが、彼は高校を出てから修業に入った。自分より年下(先に入った方が先輩なのである)の先輩がシャリを握るのを羨ましく思いながらも、最初は皿洗いしかやらせてもらえない。

 

しかし、彼はどうしても握りの練習をしたかった。

 

先輩が握っているのをこっそり見て、夜中に握りの練習をした。

いざ握りデビューの際、得意げにシャリを握ったら兄弟子にメチャクチャ怒られたらしい(昔なのでフルボッコにされたとか……)。

 

手を左右逆に覚えていたのだ。

(カウンターで職人が並んで握る場合、手が揃っていないとぶつかったりするし、見栄えも良くない)

 

「一度身についたクセが抜けなくて苦労しました」と、その人は言っていた。

 

確かに早く覚えたいという熱意はわかるのだが、間違って覚えては元も子もない。

 

例えば操体でも、自己流で変なクセがついていると、そのクセを修正するのに時間がかかるのだ。

 

なお、独学修得したり、自主練で上達するものもあるが、操体はそうではないと思っている。