操体法大辞典

操体の専門家による、操体の最新情報など

楽と快を曖昧にしない。「探す」ではない。

言葉は運命のハンドル、と橋本敬三先生はおっしゃっています。

被験者(患者さん、クライアント)は、操者(指導者)の言葉の影響を受けるので、操体の指導者は、言葉には気を遣う必要があります。

 

いろんな人がいるからいいじゃん、というのは、操体臨床の劣化陳腐化、「操体ってよくわかんない」化につながります。

操体指導者じゃなければ私もスルーしますが、操体指導者なら、実践者なら、楽と快の違いと、「探すのではなく、ききわける」という、動診の本意を知っていただきたい。

 

 

先日も「操体を指導しているが悩んでいる」という方が見えました。

この方は、変なプライド?よりも真実をしり体験することを選んだのです。

 

まあ、自分が今まで凄い感違い(教えた人の責任なんですけどね)をしていたと、また、積年の疑問が氷解したとのことでした。

また、第1分析と第2分析、D1'とD1''を体験して、驚いていました。

 

コトダマ、というように、言葉を制するものは、相手のカラダを制すると言っても過言ではありません。

 

ある操体の冊子を見ていたら

・腰をモソモソと動かして、楽なところを探してみます

一番気持ちの良いところで、3~5秒止めたあと、全身の力をストンと一気に抜きます

 

と書いてありました。いわゆる、つま先上げ、我々は「足趾の背屈」言ってます。

 

 

赤字で書いてあるので、お分かりだと思いますが、

「楽なところ(つまり、痛くないところ)を探す」というのは、そもそもの「動診」の概念から外れています。

 

百歩譲って、例えばギックリ腰や急性期の痛みから逃げるために、痛くないポジションに持っていくのはありです。なお、こういう場合は痛みが激しいので「探す」なんていう余裕はなく「うごかしてみて、あ、ここは痛くない」という感じです。

 

楽なところを探す、のではなく「痛みから逃げる」と言ってもいいでしょう。

私も「痛みから逃げる」というのなら、納得します。

 

・対になった二つの動きを試し、どちらが楽か辛いか確認する(二者択一の第一分析)
・楽なところを探す(操体の分析から外れている)。多分「痛みから逃げる」を勘違いしている

 

この二つの違いです。大事です。重要です。

これがわからない方は、他者に操体を指導するのはやめてください。わからない人がいい加減なことを人に伝えるのが一番よくありません。

橋本敬三先生も「無知は罪」と書いていらっしゃいます。

すこしキツイことを書きましたが、わからなかったら勉強すればいいんです。

 

○動かしてみて、楽かどうか確認する(二者択一の第一分析)

これなら、いいんです。

 

もう一度言いますよ。

百歩譲って、痛みが消えるところを選択するのは自然です。

 

しかし

 

 

そして大抵はここで間違えて「きもちいいところを探す」のです。

きもちいいところは探しても見つかりません。

 

次に「一番きもちのいいところ」とありますが、

 

なんで「楽をなところをさがした」のに「一番きもちのいいところ」なるんでしょう。

 

これは、実際に操体の臨床をやっているとわかりますが、楽なところは、一番きもちのいいところではありません。

 

また、本当にきもちよさを味わっていたら、瞬間的には抜けません。抜いたあとの爽快感はあるかもしれませんが。。。

 

なお「一番きもちのいいところ」というのは、我々の第二分析で使う言葉なので、第1分析では使いません。

 

このように、一見普通に間違いなさそうに書いてあるのですが、「楽と快」、つまり第1分析と第2分析が混同されており、操体の分析以外の「探す」が入っています。

 

実際に操体を真面目に実践する方々にとっては『楽と快』が混同されているので、混乱させることになります。

 

やってることは第一分析なのに、言葉は第二分析が混じっている的な。

 

これで混乱して「よくわからない」という方がうちに来るんです。

 

私が実際に指導するならば

 

・腰をモソモソと動かして、楽なところを探してみます、ではなく、足趾の背屈に伴った、全身形態の連動に沿って、言葉をかけます。

 

この場合、全身を連動させて、なんていうことは言わず、もっと細かい言葉をかけます。

 

・一番感じのいいところで、抜きたくなったら抜いてください

(瞬間脱力は要求しない)

 

なお、指導者が「探す」というキーワードに囚われているということは、操体の一番の特徴である「動診」動かしてみて、診断することを誤ります。

 

二者択一、どちらが楽ですか、つらいですかという相対的な診方(第一分析)

一極微、一つひとつの動きに快適感覚があるのかないのかをききわける、絶対的な診方(第二分析)

 

どちらも操体操体の診断分析法ですが「探す」ことはしていません。

やってみて、どうなのか、という診断です。

この違いがわからないのが、問題です。

 

私の記憶だと「探すんじゃないよ」と言っても理解しない方は、ほぼ100パーセント、操体をやめています。

楽も快も探すものじゃないのに、探しても見つからないからです。

探しても見つからないので、操体に絶望してあきらめてしまうのです。

 

それじゃ、橋本敬三先生に申し訳ないですよね。

 

橋本敬三先生は「探る」とは書かれていますが、それは「真理の探究」「快の探究」という哲学的な意味で書かれており、「色々動いてみて探す」という意味ではないと思っています。