私が言ってるのは「操体実践者」に対してであり、操体を受けたいという方は「前知識は不要」「真っ白」な状態で来て頂ければと思っています。
受ける方は、真っ白でいい。簡単ダヨ。操者がしっかり指導するから
指導する方は、しっかり勉強ね。難しいヨ。ヒトの感覚に介入するんだから。
これは、橋本敬三先生が、患者さんには「操体って簡単ダヨ」とおっしゃったのに、弟子には「難しいぞ」と言ったのと同じです。
★操体指導者は、勉強が必要です。それを、橋本敬三先生が患者さんに言った「簡単ダヨ」という言葉を鵜吞みにして「指導も簡単なんだ」と勘違いしている人が多いのだと思います。
★また「私はプロじゃないから」とか「お金をもらっていないから」というのは言い訳です。プロじゃなくてもちゃんと勉強してから人様に提供してください。
言葉のチカラをコトダマと言います。
私の講習に参加、あるいは三浦先生の講習にして下さった方はご存知だと思いますが、
「楽と快の違い」ということをインプットして頂きます。
これが入っていれば、後は大丈夫だからです。
逆に言えば、操体指導や臨床は、ここがわかっていないと、とんちんかんなことになります。
私の「ベーシック講習」を受けて「積年のナゾが解けました」という方が、プロアマ問わずかなりの数にのぼるのも、その理由の一つだと思います。
実を言うと、いろんな情報で頭がこんがらがっている治療家よりも、何もしらないけど、操体って面白そう、という人のほうがすんなり納得して下さったりします。
この辺りは「考えるな。観じろ」的な何かを感じます。
中には「動くだけできもちいい」という凄いヒトもいますが、大抵のヒトはそうではありません。
困るのは、そういう人が操体の指導者になって「他の人も動けばきもちいいハズだ」と思い込んで操体を指導することです。
そういう方は、間違いなく身体能力が高いのですが、
「自分もできるから、他の人もできるだろう」という、思いこみが激しいのか、自分より身体能力が低い人のことを考えてないのかわかりませんが、きもちよさの押し売りをしてコケます。
他者の感覚に介入するのですから「自分ができるから相手もできて当然」なんていう態度は、不親切なのです。
私のところには「きもちいいでしょ、って言われたけど、そうじゃなくて困った」という方が頻繁にいらっしゃいます。
こういう指導者の尻拭いはそろそろやめたいのですが。。。
先日「操体実践者においては」(操体を受ける人は、何の前知識も要りません)
「楽なところを探す」のはペケであると書きました。
考えてみると
「痛みから逃げる」というのは、橋本敬三先生の時代からあります。
逃避反応とか、圧痛点消去法というものです。
痛みから逃げる→治る道筋
その方向にバック運動(逆モーション)というのが、操体の起源でもあります。
しかしながら、この時代橋本先生も「楽と快の違い」には気がついていなかったのではと思います。というのは、橋本敬三先生が「楽と快は違う」と公の場でおっしゃったのは、90歳になってからのことだからです(その前に三浦先生には話していたそうです。なので、第2分析が誕生した訳ですね)。
多分「痛みから逃げる」が「楽なところを探す」(これがまちがって「きもちよさを探す」になったのだろうと推察)になったんだろうなと思います。
痛みから逃げる、というのは基本的に、プロの手法です。
操体で1番有名な触診と言えば、膝の裏(ひかがみ)ですが、あれとか、逃避反応を見ているんです(だからといってぐりぐりやるのは禁物です)。
「痛みから逃げるようなアプローチ」というのは、本来プロの技です。
橋本敬三先生もプロだから「痛みから逃げる」ようなアプローチができたのです。
そしてこの「痛みから逃げる」「逃避反応」というのは「反応」というように、無意識が関与しています(だから、探すじゃないんです)。
ちなみに「逃避反応」と言いますが、逃避反応を起こすアプローチにも上手いヘタがあります。
ヘタなのは、被験者が痛がっているのにずっとぐりぐり触っているとか、アザができるまでやるとか、鈍い痛みがずっと残るとか、私が「生殺し」と言ってるヤツです。
理想は「秒殺」です。瞬間的に痛いけど、あとはすっきりしている。
操体ではなく、痛い治療法もありますが、上手い先生がやると、一瞬痛いのですが、サワヤカな痛みで、後に残りません。