操体法大辞典

操体の専門家による、操体の最新情報など

視診触診講座@実はミドル級。

毎月第3日曜の午前中に「視診触診講座」をやっている。

 

視診触診とは言っているが、参加メンバーのスキルが
高いので、ほとんど今休止している「ミドル講習」みたいである。


ミドル講習を今止めている理由なのだが、
操体法東京研究会の定例講習(三浦先生の講習)を、
2クールくらい受けて、基礎的な力がないと、
付け焼き刃、あるいは消化不良で終わってしまうことが
多いから。

今参加しているメンバーは、二年三年あるいは四年くらいの
経験があるので、難易度が高いものも十分こなせる。


また、ここで指導していることの特徴であるが、
被験者によって、第一分析と第二分析を瞬時に使い分ける
というわけで、ミドル講習並みのことを伝えている。

あと、殆どの方は私の「足趾の操法」を受講して下さっているので
そのお礼と感謝もこめて、という気持ちがある。

 

 

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★瞬間急速脱力(第一分析)も指導できるが、快適感覚をききわける
第二分析もできるのである。

 

★私が15年以上前に指導した方々は「第一分析時代」しか
知らないが、今は「第一と第二」の使い分けと、
たまに「第三分析(皮膚)」が入ったりする。

流石に15年もあれば進化するのだ。

 

丁度昨日、受講生のIさんから電話がかかってきた。
稽古事の最中に、仲間の1人がぎっくり腰になったらしい。
私は生憎用事があったので、昨日はその方を診ることが
できなかった。まあ、Iさんの応急処置で大分良くなったらしいので、
後日来て頂くことにした。


今日Iさんに聞いてみた。

彼には丁度先週、

「もし、誰かが目の前でぎっくり腰をやったらこれをやるといい」
という、動診と操法をGWの集中講座に続き、伝授していたのだった。

 

Iさんはその操法をやったそうだが、
何にも言わないのに被験者は
「ああ、きもちいい」と言ったらしい。

よかったね。


★彼がやったのは第一分析に近い「狙い撃ち」である。

その後少し痛みは残るものの、大分よくなったそうだ。

 

こういうことが起こるのは
「勉強のチャンスだよ」ということ。

 

今日の午前中は「視診触診実はミドル講習」で、
先月の復習。

 

私の手法の特徴だが、
「ベクトル」を設定する。
被験者が「これしか動く道筋はない」というように、
操者が(何気なく)道を設定しておくのだ。
そうすると、被験者は「操者の思惑通りに」動いてくれる。

操体の操者の悩みで多いのは
「クライアントが指示通りに動いてくれない」というもので
あるが、これも解消方法がある。

この辺りは、20年の臨床の蓄積である(笑)

 

午後は師匠の定例講習。
何だか、今までの常識がまたガラガラと崩れていった。

操体はまた新しい時代を迎えるのかもしれない。

 

15年前「皮膚の操体?」と言って
バカにしていた方々が「皮膚操体マッサージ」とか
皮膚に刺激を与えることをして(我々がやっている渦状波は、
皮膚への刺激ではなく接触である)
というのをたまに見かける。

私は5年前に「あと少ししたら、皮膚へのアプローチをバカに
していた方々が『やっぱり皮膚よね』と、言い出す」と
ブログに書いているが、そうなってきている。

「快」もそうだが、最初に三浦先生が提唱したことは
大抵「保守的な操体の方々」には反対される。

ところが、しばらくすると「保守的な方々」は、
さも最初から三浦先生に賛成だったように

「やっぱり操体は快よね」とか
もう少しすると
「やっぱり操体は皮膚よね」と言い出すに違いない。

 

そんなことを考えた一日だった。

 

セルフケアの勉強の順番。

操体のベーシック講習+施術 というプログラムがある。

teizan.com

操体の基礎、からだの使い方、動かし方を基本に、
受講なさる方のニーズなどに合わせて進めている。

 

「きもちよさがわからない」という方も大丈夫。
ステップを踏んでいけばいい。


★私はよく書くが、最初から
「めちゃくちゃきもちいい」という体験ができるわけではない。
「官能」には学習が必要なのである。

★最初から「めちゃくちゃきもちいい」というのを、期待するのは
AVの見過ぎ(すんません)である。

blog.teizan.com

 

それはさておき、
改めて考えると、我々は「操体は『快』である」と言っても、
その前に「現代人の中で鈍麻しつつある原始感覚を呼びさます」
という過程が必要不可欠である。

「原始感覚」とは。

快か不快かききわけるちから。
生命の根底に流れる感覚である。

 

まず、それを呼び覚ます練習。

これに最適なのが「足趾の操法」。

「考えるな、皮膚で感じろ」by ブルース・リー先生


その次に、からだの使い方、動かし方のルールを学習する。

今までウン十年間違った使い方をしているのだから
そんなにカンタンには修正できない。
(実はコツがあるんだけどね)

 

そして、ボディに歪みがあると
「自然な連動」ができなくなっている。

 

不思議なことに、ボディの歪みが整うと、
自然な連動が起こる。


自然な連動というのは、本来の姿であるから
続けていると「からだのほうが」学習し、動きひとつひとつに
意識が向くようになってくる。

 

そうすると、
「あ、この動きっていい感じ」とか
感覚が目覚めてくる。


そうやって、順々に「からだが学習」していく。


そんなにいそいだり、慌てたりすることはない。

 

自分でできることと、他者に指導できることの違い。

前回の日曜は、三浦先生が結婚式の主賓に呼ばれていたので
私が午前の「東京操体フォーラム実行委員勉強会」と、
午後の定例講習を担当した。

午前中は「足趾の操法」をメインにやった。

 

午後は定例講習。

長年講習を見ていると気がつくことがある。
操体は「からだの学習」であるから、受講生のからだは
どんどん変わってくる。
最初は「連動」とか「全身が動く」と言っても
「?」という状態なのだが、
からだが学習するに従って、動けるようになってくる。

 

そして今度そうなると、
動きがダイナミックになってきて、感覚を聞き分けられるように
なってくるのだが、そうなると、

ダイナミックになりすぎることがある。
ついついレベルが上の体現をしてしまうのだ。

一人でやる場合にはそれは全く構わないのだが、
これからヒトサマに指導する立場にあるのだから、

「それをコントロールできるのがプロである」と
指導する。

 

自分ができるからっていって
相手もできるとは限らない、ましてや
相手はからだのどこかに不調を抱えたクライアントである。
自然な連動を表現できない確率のほうが高いと
考えるのが妥当である。

 

よく、身体能力の高い操体指導者(彼らは能力が高い故に
最初から動けるし、きもちよさも味わえることがある)が
「ほら、全身がつながって動いてきもちいいでしょ」
という説明をすることがあるらしい。

 

というのは、私のところに

「全身がつながって動いてきもちいい、って
言われたのですが、わかりません」という方が結構いらっしゃるから。

 

「きもちよさ」の押し売りはともかく
(っていうか感覚なので押しつけは論外)
普通のヒトは最初から動けない。

なので、私達は「言葉の誘導」と「連動」を
勉強するのだ。

 

まるっきり初めての方に
ダイナミックで自由なフリースタイルを見せて
「全身が繋がって動いてきもちいいでしょ」と言っても

「できない・・」と自身喪失させてしまう。

 

また、講習の場では「勝手知ったる」メンバーとやっているの
だから、動いてくれるしきもちよさも味わってくれる。

★私はよく講習の場で「初診のクライアントに説明するように
やれ」と言う。同じクラスの仲間同士にのみ通じるような
誘導ははっきり言って「使えない」。

それが当然だと思い、初心者に指導すると、全く通じない、
動いてくれない、わかってくれないということがわかる。

 

現場に出ると「本当に動いてくれない」ということが
わかるはずだ。まあ、これは実際に体験して汗をかくしかない。

 

というわけで、今回は
「自分が指導者である場合、初心者にデモンストレーションで見せる」
ことを想定して動きをとらせた。

 

最初に「初心者に見せるためのデモンストレーション用」をさせ、
次に「熟練者がセルフケアで行う場合(軸とか目線とか呼吸とかを
フル活用したもの)」をやってみた。

この二つは同じ動きであるが、全く違う。
前者が「スコア通り」ならば後者は「アドリブだらけ」である。


この「アドリブだらけ」を最初から被験者に見せて「動け」と
言っても「できましぇん・・」と言われるのは想像できるであろう。

 

テーマは「膝二分の一屈曲位、両手合掌・回旋」である。

 

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★こんな感じ。

 

これは、両手の小指が回旋する方向と、同方向に
膝が傾倒してくる。
そして首は膝が傾倒する方向と反対に「回旋」してくるのが
自然な連動である。

 

★正しい、正しくないではなく、自然、不自然と言う。
何故かというと、間違っているからではなく、
ボディに歪みがあるので「不自然な連動」が起こるから。

 

やってみると、ベテラン部類に入る実行委員メンバーで
数人、首が回旋せずに側屈、あるいは後屈してしまうケースがあった。
歪みがあるのだ。


これは、プロとしては失格(笑)。

歪みがあるのが悪いのではない。

誰かに見本を示すなら、例えどこか歪みがあり、
自然な連動を示すのが大変であっても、
自然な連動を示す(あるいは説明する)ことが
プロの仕事なのである。

 

というわけで、
該当するメンバーの頸椎をチェックすると
皆「逃避反応」が起こるような圧痛硬結があった。

これを「処理」した。

どうやって処理したかというと、
「古典的な第一分析」に、連動理論を加えた
もので「処理」したのである。

その後、みんな動きが「自然」になった。

 

★からだが自然な連動にならない、体現できない、という
場合、ボディの歪み(特に頸椎あたり)を考える。

 

やっぱり操体って面白い・・

恋の辻占 都々逸独占い。

 

恋の辻占 都々逸独占い

恋の辻占 都々逸独占い

 

 偶然に見つけたのがこの本(Kindle版)。

「君見ずや出版 国会図書館所蔵発禁本復刻シリーズ」

 

「これのどこが発禁なのだ??」と突っ込みたくなるのだが、
昔はそうだったわけですね(笑)。

人々はもっとおおらかだったみたいだけどね。

 

簡単に言えば、コイン(一銭硬貨)六枚を投げて
裏表の出方で占う。

 

つまり易だ。

 

解説にはちゃんと卦(か)が載っている。

 

乾為天(けんいてん)
物事よすぎてわざはいあり、
ひかへ目にすれば幸(さいわひ)をとりはずすべし
心を用(もちひ)てすべし

うせもの出る
まち人おそし

「まほに受けよく
のり出す船も
ふとした風から
あと戻り」← これが都々逸。

「小吉」

 

という感じ。

六十四卦それぞれに
都々逸をつけたというのは
なかなかいいアイディアである。

こっちの方が覚えやすい?かもしれない。

 

足趾の操法を後輩が先輩に指導する。

先日の日曜は第二日曜だったので、
東京操体フォーラム実行委員勉強会」だった。

ところが、この日は師匠が箱根で結婚式の主賓に呼ばれていたので
私が午前と午後の定例講習を担当することになった。

 

勉強会の最初は「ディスカッション」。
内容は書かないが、人間が抱え持つ「神経症的なところ」など
結構深く興味深い話が聞けた。


そして、後半の実技は、
なかなか実行委員を集めて一同にやることができない
「足趾の操法」をやることにした。

若手は月二回、二年三年とアシスタントを
依頼し、指導者として大事に養成している。
上達ぶりは大したものだ。

 

一方、先輩陣は師匠の定例講習、あるいは
師範代講習で「足趾」を受けてはいるが、
「最新バージョン」を知らない。
実際に臨床で用いてはいるが、そのあたりの情報の共有が欲しい。

 

以前、あるイベントで「足趾の操法を受講しておらず、自己流で
やっている受講生」の「足趾の操法もどき」を受けた方が

「全然違う」と驚いていた。

「足趾の操法もどき」や、
名前を変えて、例えば「操体風マッサージ」みたいな感じで
やっているところもあるが、

「ホンモノ」を受け、きもちよさを味わったヒトは
「やっぱり違う」と言って下さる。

いわゆる「知る悲しみ」である。

 

へたくそとは言わないが「もどき」でもそこそこは
きもちいいものだ。

しかし、一度「上等」のものを味わってしまうと、
「もどき」では納得できなくなる。

 

悲しいかな(笑)、快のちからはそれほど強いのである。

 

というわけで、今回は操体歴、臨床歴では後輩が、
先輩諸氏に「足趾の操法」を指導したのである。

 

細かい指使い、おさめ、操者の呼吸法、ポジショニング、
手首の角度、方向性などが「ととのう」と、そこには
凄いハーモニーが生まれる。

そういえば、先の春季フォーラムで
一度に20名位の方に、足趾の操法のデモンストレーションを行った
ことがあった。

私はその時会場の一番前におり、操法を行っていたので、
会場には背中を向けていた。
背中を向けていても、会場にすごいパワーの
「快」が溢れているのがわかった。

実際に写真を撮っていたあるメンバーに聞くと
やはり「すごい」エネルギーを感じたとのことだった。

 

 

断易の個人レッスン。

今日は下高井戸へ。

今、某占学校の断易のクラスに通っている。

月イチで4時間の長丁場ある。5月6月と2回終了した。

このクラス、よくあるように先生が気学の講師でもある。
受講生の中に、以前の気学のクラスの生徒がいて、
(年配のオジサマで声がダミ声でとっても大きい笑)
先生はオジサマを中心に進めるので(つまり、気学分かってる
だろう前提)気学に余り強くない他の生徒は「わからん・・」と頭を捻り、

私はあまりにもわからないので、気学のテキストを買いに
走った。

 

気学の知識 (運勢叢書)

気学の知識 (運勢叢書)

 

それでやっと、
十干とか十二支とか空亡とか甲子(きのえね)とか
何となく分かった次第。

戸田公園駅近辺のI家の庭の「庚申塔」のナゾなども解けてきた。

 

ちなみに、易には「周易」と「断易」がある。
周易というのは、私や博多のN氏がやっている、
筮竹で占うもの。
断易というのは、どちらかと言えば香港とか台湾とか
大陸方面で盛んなものである。

一言で言えば、周易は「右脳的」「妄想的」な感じ。
断易は「左脳的」「瞬時判断的」な感じである。

★あくまでも私の感想です。。

 

というわけで、断易の授業を受けているのだが、
クラスではまだ「八面体サイコロを使う」という話や、
先生が持っているお手製の箱(八面体サイコロを入れて振る)を
ちょっと見せて貰う程度で、

一体どうやって占筮するのだ??

という疑問があった。

 そして今日、

幸いなことに、別ルートで
八面体サイコロと納甲表(なっこうひょう)、
サイコロを入れる箱を入手することができたのである。

その際、そのお道具を持ってきて下さったY先生(女性です)に
断易占筮の手ほどきを受けた。

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実際にやってみると

 うお〜、これって数学みたい???

占的(せんてき)を決め、
用神(これを決めないと占いにならない)
暦を見て色々調べ、
データを揃えてから、八面体サイコロを箱に入れて
振る。

こうやって、データを揃えてから
納甲表というデータの分析表(?)に照らし合わせ
ルールに従って観ていくのである。

 

書き方にもルールがある。
このあたりは非常に面白い。

普段妄想系(笑)周易しかやっていないので、
アタマをものすごく使った(笑)。

お道具が手に入ったので、
勉強がたのしくなりそうだ。

長時間お相手してくださったY先生、ありがとうございます♪

 

 

 

 

 

 

 

 

 

同時発生・共時性

シンクロニシティ

 

聞いた話なので、細部までは正確ではないと思うが、
ユングは自分の患者に「易」をやらせてみた。
その時、何人かの患者が出したのが
坎為水(かんいすい)という卦(か)だった。

これは「一難去ってまた一難」とか「絶体絶命」とか
苦しんでいることをあらわす。
患者達は勿論精神を病んでいるわけであり、苦しいのは
よくわかる。

 

易の卦は64あるのに、何故何人もの患者が偶然にも
「坎為水」を出したのだろう。

さて、

私は今日、7月20日(月曜)海の日に開催される
年に一度の師匠のディナーショウ(ウソです)、

操体マンダラ」で、ランチの準備はどうしようかと
考えていた。

毎年お願いしている業者があるが、
今年から開催場所が千駄ヶ谷津田ホールから、
地元三軒茶屋昭和女子大に変わったので、
変えてもいいかなとか、タスクチームのM嬢が
何だか結構美味しそうなロケ弁を見つけてきたり。

 

そして今日は駒場東大の生産技術研究所にいたもので、
今日はもう帰るかな、と帰路についた。

何度か書いたことがあるが、生研の入り口の正面に
日本民藝館がある。

www.mingeikan.or.jp

橋本敬三先生は、新潟医専時代(大正時代)、
白樺派の同人誌「あだむ」に小説を何編か寄稿している。

私は橋本先生の寄稿ページのコピーを持っているが、
橋本先生の原稿の後に、柳宗悦先生の原稿が載っているのである。

同人誌でお隣に原稿掲載だ。何かご縁があるに違いない。

 

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私はしょっちゅう前を通りかかるも、通りかかるだけで
実は入ったことがない(汗)。一度入ろうかなと
でも今日は急いでるぞと、写真を撮ってFBに流して
おいた。

 

それから井の頭線駒場東大駅に着き、
FBをチェックすると、猫友で編集学校系の友人
ナニワの編集学校を仕切るA女史が、仕事で
上京しており、ロケ弁を新規開拓したという
旨の投稿を発見した。

おお、ロケ弁か。
彼女は私よりもずっと詳しいと思うので
どこかお勧めはないか聞いてみようと思った。

そして渋谷でちょっと用事を済ませ、
再度FBをチェックすると、

なんとA女史が日本民藝館から投稿しているではないか。

また、民藝館の前をぼけ〜っと通り過ぎる私よりも
民藝館にずっと詳しいのである。

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★こちらは西館。実際の柳家の住宅だった。


時間を計算すると、本当にニアミスで、もしかすると
とっても近くにいたかもしれない。

 

こういうこともあるんだな。

 

実は昨日から、偶然というか
不思議なことが立て続けに起こっている。