操体法大辞典

操体の専門家による、操体の最新情報など

操体でも経絡治療はできる

2020年秋季東京操体フォーラムは、オンラインで開催致します。

 

www.tokyo-sotai.com

  • 操体法クロニクルズ(年代記
  • 般若身経から第一分析~第五分析まで
  • 三浦寛による第五分析の公開
  • 操体でも経絡治療はできる
  • バランス現象とは
  • 般若身経・操体法の指導法が抱える問題 

などをご紹介予定です。

 

畠山は「般若身経・操体法の指導法が抱える問題」について発表予定です。

これについては後程「発表者からひとこと」に記載しますが「操体の常識は一般の非常識」みたいなところがあるのと「歪み」の強迫観念とか、指導者が考えておくべき課題はたくさんあります。そのあたりをお伝えしようかなと考えています。

 

そして「操体でも経絡治療はできる」。

これは「快からのメッセージ」1999年刊行

で、我らが師匠、三浦寛先生が「城・灸をもちいなくとも経絡治療はできる」ということを書いています。

 

これについては、以前神戸の鍼灸学校の夏季講座に伺った時、鍼灸師の方が、皆驚いていました。

 

 今回のフォーラムでは「操体でも経絡治療はできる」と言うテーマで半蔵先生が発表します。

半蔵先生は、鍼灸師であり理学療法士であり、漢方の研究もしており、整形のクリニックに勤務していらっしゃいます。東京操体法研究会に参加したのは、20世紀の終わりよりちょっと前。

春のフォーラムでは、コロナ予防の観点からみた漢方薬の用い方を、市販のドラッグストアで買えるものを中心に紹介して頂きました。

 

今回もたのしみにしています。

 

 

 

操体において「歪み」は必ずしも悪者ではない。

操体・あるいは操体法を学んでいると「不自然の自然」という言葉を聞くことがある。

勉強していると、この言葉が染みつくんだなと思う。

 

最近、秋のフォーラム開催に向けて、古い動画を掘り起こしているのだが、数年前、関西で開催された、三浦寛先生の講義の動画が出てきた。

 

その中では、実行委員のT澤さんがモデルをやっており、非常に美しいフォームで、般若身経を演じている。


と、そこである人(操体指導者)が、彼の姿勢にケチをつけるのである。

彼は、背中を鍛える系のスポーツをやっていたので、背中が広い。よくボクサーなどは、前からみると普通に見えるけれど、背中からみると驚く程背中が広い、ということがあるが、そんな感じだと思って欲しい。

 

ボクサーとかって、背中の筋肉が発達しているので、見ようによっては、猫背に見えることがある、というのは想像できるだろう。

 

その、鍛えた背中を「猫背に見える」とケチをつけている動画をみながら思ったのは、

 

「この人は、操体を勉強してんのに、不自然の自然っていうことがわがんねぇのか?」「バランス現象を理解しとらんのか??」ということだった。

 

★流石に数年経っているので、理解してくれていることを切望する。不自然の自然、バランス現象を理解せずに、操体を指導するのは如何なものかと思う。

 

この動画は何度も見ているのだが、現場に居合わせた私は、昨日のことの様に思い出すのである。

 

さらに、以前来ていたクライアントの娘さんのことを思い出した。

その方は高齢の、腰が90度近く曲がったお母様を連れてきていたのだが、二回目か三回目の時、

「母はこのように腰が曲がっていますが、操体法で腰が真っ直ぐに伸びないでしょうか」と、言ったのである。

 

気持ちはわからないでもないが、この90度に曲がった腰が、このお母さんの自然な姿なのである。勿論、操体を受けて頂くことによって、少しは姿勢が変わるかもしれないが、ご高齢故、無理矢理骨格を矯正するのは危ない。

勿論、そういう矯正をするところがあるのは知っているが、私はそういうことはやらないし、操体関係者なら分かっていただけるだろう。

 

最近では、世の中の人達が、いかにして「歪み」を、悪いモノとして扱っているのかについて、改めて考えている。

 

ある受講生と話をしていて「歪みをとらなきゃいけない」という発言があったのだ。

  • 歪みは悪い。だから、歪みをとらなきゃならない
  • 左の股関節が曲がらないから、左の股関節が悪い
  • 今、姿勢が悪くて猫背なので、あと5年したらものすごく姿勢が悪くなるんじゃないか

操体では「左の股関節が右と比べて屈曲しにくい」というように、ありのままにみて、良い悪いの評価はしないし、可動域があるからといって良いとか、ないから悪いという言い方もしない。更に言えば「動かさないと固まっちゃう」という脅かしもしない

 

しかし、操体では歪みは必ずしも悪者とは考えていない。

 

なぜ、ボディが歪むのかというのは、橋本敬三先生の時代から、操体は明確な答えをもっている。

それは「最小限責任生活」である「息食動想」の四つのどれかのバランスが崩れたり、外部環境によって、ボディに歪みが生じると言っているのである

なぜ、歪むのかが分かっていれば、対処法もわかってくるし、相手(歪み)を目の敵にしなくてもすむ。

 

例えば、どちらかの肩が上がっていて、脊柱が弯曲して、骨盤が傾いていたら、それは、からだが健気にも「そこまでして立位を保っている」という姿勢なのだ。

 

また、首が左右どちらかに傾けば、目線を水平に保とうとするので、どちらかの肩を上げて首の角度を調整し、目線を水平に戻そうとする。

どちらかの肩が上がれば、人体は繋がっているので、脊柱や骨盤、下肢でバランスをとって、立位を保つことになる。

 

また、スポーツ選手などは、特定の部位を使うので、いわゆる「歪み」という点でみると、歪みが見られることもある(しかし、この歪みをとってしまうと、スポーツ選手としての技能が奪われてしまうこともある)。

 

 一般の方が「歪みは悪いモノ」「歪みは除去しなきゃならないもの」という刷り込みは根深いものがある。

 

まあ、悪いモノ、という恐怖感を与えたほうが、ビジネスは成り立つかもしれないが、それは操体的ではない。

 

「不自然の自然」「バランス現象」という言葉は、もっと噛み砕いて広めたいなと考えている。

 

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般若身経(2)型か。養生法か

東京操体フォーラム実行委員ブログより

****

 

私が「般若身経」に正面から取り組んだのは、三浦寛先生のビデオを撮った時だった。
あの時は、三浦先生と頭を捻った。
「般若身経、楽勝」だと思っていたら、ものすごくディープだったのである。
 
また、自分の講習会やフォーラムで「般若身経できる人」という人にやってもらっても、殆ど出来ていないことが分かった。
 
「あ、あのラジオ体操みたいなヤツね」と、甘く見られていたのだ。
 
三浦先生の姿勢は「健康体操」や「養生法」ではなく「身体運動の法則」だった。
 
からだの使い方、動かし方の基礎であり、あらゆる動作の基礎となるものだ。
 
なので、東京操体フォーラムでも「健康体操」「養生法」という意味ではなく「からだの使い方、動かし方の基本」と、捉えている。
 
そして私自身は、般若身経を
 
  1. 型(基本、ルール)であり
  2. 診断法であり
  3. 治療法である
 
と、捉えている。
 
1は、例えば左に側屈する場合だが。腰が右に移動し、右の母趾球に体重が乗る。
左の母趾球は支点となり、左の踵は軽く浮く。
これは、左側屈する際の、ベストなからだの動かし方であり、型である。
(ラジオ体操とは違って、重心の移動が行われる)
 
 
2は、診断法であるが、側屈の場合、左右ためしてみて、やりやすい方とやりにくい方の差がある場合がある。
これが「どちらがスムースで、どちらがひっかかるか」という、二者択一の(第一分析)の診断分析法になる。
 
 
第二分析、第三分析、第四分析、第五分析の診断分析法もあるが、ここでは割愛する。
 
3の治療法について。第一分析の場合は、やりやすい方、スムースな方へ、数回側屈を試してみて、その後、改めてやりにくかった方を試してみる。
大抵は先程よりもスムースになっており、左右のバランスがとれている
 
 
「型」と考えるのは、空手など、武術の型に通じるところがある。
道場では、最初からいきなり自由組み手はさせない。
まずは型を習得させる。
 
ここでよく話題にあがるのが、映画「ベスト・キッド」である。
 
オリジナルの映画では、ミヤギ先生がダニエルに車を拭かせる。車を果てしなく拭くという練習はつまらないし疲れるが、それが身についた時、それは技となる。
 
なお、ベスト・キッドの「正式な続編」として「コブラ会」というドラマがあるが、こちらにも初心者の男の子に床を拭かせるシーンがある。
 
そして、ジャッキー・チェンジェイデン・スミスの「ベスト・キッド」では、ジャッキー演ずる「ハンさん」が、少年ドレ(小さいドレ、ということで「シャオドレ」と呼ばれている)に、脱いだ上着を拾わせて、着せて、脱がせて、床に置き、また拾わせて、着せて、脱がせる。
 
というのは、ドレはいつも帰宅すると、上着を脱いでハンガーにかけずに、床に置きっぱなしにして母に注意されていたのだ。
しかし、ハンさんのところで毎日これをやっていたら、家でも自然に上着を脱いだらハンガーにかけるということができるようになっていたのだ。
 
型は、それが意識せずとも自然にできるようになるまで、練習することなのだ。
 
 
ちなみに、操体を勉強する場合にも、いきなり介助補助ではなく、最初は「般若身経(からだの使い方、動かし方)を習得するのがベストである。
 
 
標題の「型か、養生法か」というのは、どちらか一方だと決めつけるよりは、柔軟に使い分けができるほうがよい、と考えて頂ければよいだろう。
 
型が上達すれば、それがすなわち、診断法になり、治療法になるからだ。
 

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般若身経(1)膝の力をホッと抜くことの重要性

東京操体フォーラム実行委員ブログより転載します。

今回は、操体操体法を学ぶ人は避けては通れない「般若経」の話題です。

 

******

こんにちは。畠山裕美です。

般若身経とは、身体運動の法則(重心安定の法則:からだの使い方 重心移動の法則:からだの動かし方 連動の法則 と呼吸との相関性)を、操体創始者橋本敬三医師が
真実を語る短いお経、般若心経になぞらえて(ユーモアを交えて)命名したものである。
 
しかしご本人も書かれているが「このユーモアは理解されず」とあったので、「般若*心*経」と勘違いされたとか、あったのだろう。
私自身も「冗談やユーモアで使うとは、般若心経に失礼だ」と怒られたことがある。
 
そして、関西地方では多分「般若心経」系のとラブルがあったのだろう。この名前をあまり使わず「基本運動」とか、後述する、中味を変えた「基本動作」という言い方をしているようであるが、
実際のところ「般若身経」という言葉は、インパクトがあるので、使われ続けてきたし、操体実践者の間では、ポピュラーな言葉である。
 
なお、この「般若身経」自体は、橋本敬三先生によって、バージョンアップされている。
「中心集約運動」の頃はどちらかというと「鍛錬」のきらいがあり、年月を経るに従って「からだの使い方、動かし方の基本法則」の色が濃くなってくる。
 
般若身経は生きているのだ。
 
 
 
私が初めて「操体法」という言葉を知ったのは、高校二年の時、別冊宝島「東洋体育の本」を読んだ時だった。
その時は「なんか体操?」みたいな感じで、それほど興味はそそられなかったのだが、その後すっと経ってから「操体法治療室」を読んで、「操体法」という名前が甦ってきた。
 
25年前の自分を考えてみると、般若身経に対する理解もまだまだ甘く「基本運動」と、文字通りに受けとっていたのだと思う。
まず、膝の力をホッとゆるめると言う話は、私自身も習っていなかった。最初は、後屈の時はつま先に体重が乗ると書いてあったので、前屈の時は、逆になるので、踵に体重が乗るのかと思っていた。
しかし、前屈時、膝の裏筋が伸びたままだと「おへそを覗く」ことができないことがわかった。
色々しらべてみると「からだの設計にミスはない」に「膝のちからをホッとゆるめる」という記載があることがわかった。
 
私の場合、幸いにも操体を本格的に勉強する前に、太極拳を習っていた(日本チャンピオンになった先生である)。
その時に習ったのが「含胸抜背」(がんきょうばっぱい)という言葉だ。
 
これは、平たくいえば、腰を反らさずに、膝を緩めつつ、背筋は軽く伸ばすというイメージである。
 
腰を反らす→ 膝の裏筋が伸びる →骨盤が後弯曲(恥骨が後ろに行き、背骨が反る。腸骨稜が前傾)→ 胸を張る
 
という、いわゆるよい姿勢である
 
逆に
 
腰を反らさない → 膝の裏筋はゆるむ → 骨盤が前弯曲(後傾)→ 背中が丸くなる → 姿勢悪い
 
となるが、含胸抜背は、膝の裏筋がゆるみ、腰が反らず、なおかつ背筋は軽く伸びるという姿勢になる。
 
実際、太極拳を習っていた時、一番注意されたのは「お尻を出さない」(出っ尻にしない)ことだった。
 
長くなったが、私は太極拳を習っていたお陰で「膝のちからをホッとゆるめる」ということが理解できたのである。
 
なお、日本の伝統芸能や武術などでも、膝の裏筋をぴんと伸ばすものはない。
 
 
 
そして、後に知ったのだが、関西地方では「からだの設計にミスはない」が出る前の「膝の力をホッと抜く」という一言が加わる前の「般若身経」が広まっていた。
 
つまり、膝の裏筋を緩めないものが広まったのである。
 
それがよく分かったのが「基本動作」の「脇伸ばし」である。
これは、「側屈」に該当する。
 
関西の方に聞いてみると「側屈は股関節に負担がかかるので、側屈ではなく『脇伸ばし』になった」とのことだった。
 
確かにやってみるとわかるが、膝の裏筋を伸ばしたまま、側屈すると、股関節付近に負荷がかかる。
 
しかし「からだの設計にミスはない」にあるように「膝の力をホッとゆるめて」行うと、股関節には負担がかからない。
 
そして、膝の力をホッとゆるめる、という言葉が「般若身経」に加わったのは、昭和50年代の太極拳ブームもあったのだろうと考えている。
 
 

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2020年秋季東京操体フォーラムのご案内

【今回のフォーラムは、オンライン(zoom)で開催致します】

日時 2020年11月23日(月)勤労感謝の日 9時~17時30分 懇親会 18時~
Web配信(Zoomを利用します)

操体法クロニクルズ2020 

般若身経から第一分析、第五分析まで

対象者:操体指導者、施術者 あるいは操体の指導者、施術者を目指す人。操体をやってみたい人

参加費用:

1.午前・午後・懇親会 Tシャツ一枚込み 10000円(フォームにてTシャツのサイズをお知らせ下さい)締め切り 10月31日(土)
2.午前・午後 5000円 締め切り 11月19日(木)
3.午後 3000円 締め切り 11月19日(木)

お申し込みフォーム

事前申込みのみとなります。

Zoomに関しては、こちらをご覧下さい。設定等はご自身でお願いいたします。
PCはもとより、スマホタブレットでも視聴可能です(スマホタブレットの場合はWi-Fi環境が必須です)

操体法クロニクルズ(年代記)2020


・般若身経から第一分析~第五分析まで(仮)
・般若身経・操体法の指導法が抱える問題について
三浦寛による第五分析の公開
操体でも経絡治療はできる
・バランス現象とは
の、プログラムでお送り致します。

東京操体フォーラム事務局より

お陰様で東京操体フォーラムも春と秋で40回以上開催することができました。
橋本敬三生の哲学を根底に据え、時代にマッチした最先端の操体臨床を日々研鑽しているのが、東京操体フォーラムの実行委員です。
「よりよい操体法臨床のために」 
今までに撮影したお宝映像を掘り出したり、毎月一度の勉強会であたまを捻ったりしていますが、混沌として未分化状態が続いている、操体の世界を、わかりやすく「分かりやすく、つまり、分類」明確にしようという目的があります。

患者さんが「動いてくれない」
「きもちのよさをわかってもらえない」
「感覚を問いかけても明確な返事を得られない」というような、操体実践者が必ずぶつかる「壁」も乗りこえてきました。
目線の効用、第二分析、第三分析(皮膚へのアプローチ)、第四分析、第五分析は、操体の臨床(治療・施術)の中でぶつかった問題の解決のために生まれたと言っても過言ではありません。そのような歴史を踏まえながら、臨床(治療)のヒントをご紹介します。

また、当フォーラム理事長、三浦寛は、1999年発表の「快からのメッセージ」にて「鍼や灸を使わずとも、経絡治療はできる」と書いています。
これを追従して「操体でも経絡治療はできる」という発表を行います。

そして、現在は第五分析(第四分析までは書籍等で公開済み)まで進化している操体法ですが、これは、楽が快に変わった(第一分析から第二分析へのパラダイムシフト)こと以上に大きな変化をもたらしました。

今までの経緯を見ますと、「目線」も「快」も「皮膚」も、コンサバティブな操体法実践者の方からは、最初は無視されていますが、10年くらいすると、いつの間にか取り入れている、という繰り返しがありますので、第五分析も、あと10年か15年くらいすると、操体の世界においてポピュラーになっているのでは、と思ったりします。現在は、インターネット以前に比べると、もの凄い速さで物事が進化していると言われています。第五分析が操体法のスタンダードになるのも、遠い日ではないかもしれません。

「バランス現象」。操体操体法を学ぶ方ならば、押さえておきたい必須のキーワードです。不自然の自然、救いと報い。操体をやっていて、壁にぶつかった時、「バランス現象」というキーワードが助けになるはずです。

お申し込みフォーム

プログラム

0850 会議室オープン



午前の部

0900-0910 開会の挨拶と注意事項 三浦寛幸(東京操体フォーラム実行委員長)
                  瀧澤一寛(東京操体フォーラム副実行委員長)

0910-1030 発表1 操体法クロニクルズ2020
       タスクフォース 瀧澤一寛(てまり堂)、寺本雅一三浦寛幸

1030-1045 休憩

1045-1130 発表2 操体法クロニクルズ2020
       タスクフォース 瀧澤一寛寺本雅一三浦寛幸

1130-1215 発表 般若身経・操体法の指導法が抱える問題について
       畠山裕美(TEI-ZAN操体医科学研究所)東京操体フォーラム理事

1215-1300 昼休憩

 

午後の部

1300-1445 講義 三浦寛 (人体構造運動力学研究所) 東京操体フォーラム理事長

1445-1500 休憩

1500-1545 発表 操体だって経絡治療はできる
       半蔵 東京操体フォーラム実行委員 

1545-1600 休憩

1600-1730 発表 バランス現象について
       岡村郁生(操快堂) 東京操体フォーラム実行委員
瀧澤一寛(てまり堂)東京操体フォーラム副実行委員長
     

懇親会

1800-1900

 

操体における視診触診の重要性。

操体法と言えば「動かして診る」動診が有名ですが、その前に、当たり前で当然で言わなくても、臨床家だったらアリだよね、というのが「視診触診」です。

 

先日、ある受講生が触診をしている姿を見ました。

私は別枠で「視診触診」を教えていますが、この方は視診触診の講座を受けていません。普段もクライアントを診ているそうですが、一目で「あ、視診触診を普段やっていないな」ということがわかりました。

 

また、残念ではありますが、ちゃんと触診を習っていない(他の療法でも同じです)方のやり方は、被験者にとっても、不愉快なことがあります。

 

ご本人は気にしていないのでしょうが、セクハラ抵触しそうな触れ方とか、「うわ、そんなことやったら女性のクライアント、来なくなるよ」みたいな人もいます。

 

「私は気にしませんから」という人もいましたが、アナタが気にしなくても、受けるほうは気にするんですよ。これは男女問いません。

 

なお、橋本敬三先生は「診るならしっかり診ろ」とおっしゃったそうです(それは我々も踏襲しています)が、

 

例えば、ひかがみ(膝窩)の硬結も、ヘタクソな人がやると、鈍い痛みがいつまでも残りますが、ウマい人がやると、一瞬で終わります。

他の場所、例えば我々は、橋本敬三先生の診方に従って、脛骨のキワなどもよく診ますが、ヘタな人がやると、アザになったり、鈍い痛みが残ります。上手くやれば、一瞬のさわやか?な、後味のいい痛みで済むのです。

 

そして、我々は、触診をしながら、被験者の微妙なからだの動きを観察しています。

単に「ここにしこりがある」とか、それだけではないのです。

中には感覚が鈍磨していて、本人が「なんともないですよぉ」と言っていても、からだが反応していることもあります(からだに聞く、とはこういうことです)。

 

 

私はよく「人様の家に土足で踏み込むような触診はするな」と言っていますが、そんな感じです。

 

視診についてですが、「未来を開く不思議な天尊 荼枳尼天の秘密」を読んでいたところ(この本は別枠でご紹介します)、例えば妖怪とか霊とか、普通の人には見えないものが見える、ということは「脳の別の部分を使っている」というようなことが書かれていました。これは、納得がいきます。

 

インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア」(アン・ライス原作)という映画があります。トムクルとブラピという美形のヴァンパイアが登場する映画です(原作とはかなり違いますが、映画は素晴らしいです)。

この中で、レスタト(トムクル)にヴァンパイアにされたルイ(ブラピ)が、目覚めた時、「(世界を)ヴァンパイアの眼で見ろ」という台詞がありますが、そんな感じです。

人間の眼で見える世界と、ヴァンパイアの眼で見る世界は違うのです。

インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア (字幕版)

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  • 発売日: 2013/11/26
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未来を開く不思議な天尊 荼吉尼天の秘密

未来を開く不思議な天尊 荼吉尼天の秘密

 

 「視診」も、凝視するとわからないけれど、「ある見方」をすると、「あれ?」というところがわかります。

 

私はラッキーなことに、25年前に「見方」の修業を積んでいたので、見ることができたんです(現在は受講生に伝授しています)。

 

そして、触診法ですが、操体法には、橋本先生スタイルの、診方があります。

ひかがみ(膝窩)の触診は、独特のスタイルがありますし、ひかがみの触診のやり方見れば、その人の「操体臨床」のスキルもだいたいわかります。

 

そして、橋本敬三先生が「よく診なさい」とおっしゃっていたのが、頸部です。

その後、三浦寛先生が「顔をざっと目視しただけで、頸部のどこに異常があるかわかる」という方法を発見しました。

 

なので、我々は触らなくても(最終的には触れて感覚を確認しますが)頸部の異常がわかります。

 

 

さて、視診触診が何故大事なのでしょうか。

操体は習得にある程度時間がかかります。それは「診断分析」の習得に時間がかかるからです。

短期の操体法の講習では、操法しか教えません。なので、短期ですむのです。

しかし、操体臨床の9割以上は「診断分析」なのです。

いくら操法だけ覚えても、診断分析ができないと、使いこなせないのです。

 

 

これが、操体の習得にある程度時間がかかる理由の一つでもあります。

 

そして、20年前くらいまでは、三浦先生の講習も、鍼灸師柔道整復師など、専門的に勉強し、実際に臨床をやっている方が殆どだったのですが、現在は、専門的な勉強をしておらず、臨床経験無しの方が学びに来るケースの方が多いのです。

 

また、整体を習ったという方に聞いても「視診触診の方法は習わなかった」という方が、殆どです。

 

というわけで、補講として「視診触診」の時間を設けているわけです(橋本敬三先生から伝わる、伝統的な触診法から、です)。

 

 

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視診触診もちゃんと勉強してね。

 

「操体」「操体法」を説明する。

これは、操体を学ぶ人、実践者にとっては、結構大きな問題だと思っています。

 

「家族に『操体』を説明したいけれど、上手く説明できない」というのは、操体あるある、ですし、

 

うちの親などは「友達に説明したいけど、説明しにくい」と言います。

 

操体専門です」と、言うと「整体じゃないんですか」と聞かれる(最近は聞かれすぎて答えるのがイヤになってきました笑)。

 

そして「操体」と言わずに、狭義での「操体法」(この場合、身体論)をとりだし「操体法専門です」と言うと、さほど「整体」と混同されずに済んだりします。

 

ちなみに「操体」って言ってもわかりにくいから「整体」でいいじゃん、という人もいますが、それはちょっと違う。

 

また、操体は「身体論」のみだと思っている人もかなりいます。

(身体論は、「操体法」で、「操体」のほんの一部です) 

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よく出てくる図ですが「操体法」は「操体」のほんの一部なのです。

 

などということをよく考えていますが、昨日、本を買いに行きました。

羽田守快先生の「荼枳尼天の秘密」です。

私は赤坂の豊川稲荷別院の、大般若講の会員です。

赤坂の豊川稲荷は、稲荷と言っていますが、実は曹洞宗のお寺で、荼枳尼眞天さんをおまつりしているのです。豊川の荼枳尼天さんは、稲穂を担いでいますが、いわゆる密教系の荼枳尼天さんは、剣を持っています(豊川の荼枳尼天さんは、道元禅師の高弟、寒巌義尹(かんがんぎいん)禅師が、二度目の入宋から帰る時に、現れたのが、豊川の荼枳尼眞天さんです(豊川は、荼枳尼眞天、なんです)。

 

豊川荼枳尼眞天の由来

 

未来を開く不思議な天尊 荼吉尼天の秘密

未来を開く不思議な天尊 荼吉尼天の秘密

 

 

この本をジュンク堂で取り置きしてもらっていたので、レジに並んでいたら、この本をみつけました(同じシリーズで、地獄編と神道編もあり)。

 

キャラ絵で学ぶ!  仏教図鑑

キャラ絵で学ぶ! 仏教図鑑

  • 発売日: 2019/08/18
  • メディア: 単行本
 

ちょっとぱらぱらめくってみましたが、ほほう。わかりやすいです。これは小学生むけなのですが、大人が読んでも面白い。

お釈迦さまが人間の悩みや苦しみを解き明かし、苦悩から解放されて幸せに生きるにはどうすればよいか、その実践法を説いたのが仏教です。

 

そういえば、お釈迦様の時代はまだ経典とかなくて、説法だったんだよね。

で、お釈迦様は、説法する相手によって、例え話を変えたりしてたんだっけ、と思い出しました。

 

ちなみに、私自身も、操体あるいは操体法を説明する際に、説明相手によって変えています。

 

そうです。操体操体法を説明する時には、相手によって変えていい(というか、変えたほうがわかりやすい)のです。

 

ただひとつ、留意したいのは「違い」を「あきらかにする」ことでしょう。

 

例えば

整体は「他力」。操体は「自力」

自力というのは「自分はマグロ状態で、センセイにお任せ」なのではなく、自分自身もからだを操り、感覚をききわける、ということです。

整体は「患者と治療者」。操体は「患者」と「操者」と「からだ」。

 

「患者」と「からだ」をわけているのが特長です。

これは「エゴ(私)」は、損得勘定や、正しい、正しくない、で治療に臨むけれども、「からだ」は、楽か辛いか(やりやすいか、やりにくいか)、快か不快か、で治療に臨みます。それが「からだの要求」です。操体は「からだの要求に従った」「からだの声をきく」治療法だと言えます。

 

整体等で一番多い事故が、操者が受け手の感覚を確認せずに、強い力で施術を行ったために起こったものです。

操体は「からだの要求」を大切にしますので、このようは事故は起こりません。

逆に、橋本先生は力んだ患者に蹴られて肋骨を折ったという話がありますし、私自身も、何故か手を思い切り踏まれたとか、受け手のあり得ない?アクションで、ケガをしたことはあります。

 

 

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 第五分析が生まれ、操体操体法の説明も大分「的(まと)」が絞れてきました。