おおらかとは
ふと気づいた言葉だが、私が主宰しているメーリングリストで、「気持ちよければ治らなくてもいいじゃない」という言葉(渡辺栄三氏)の言葉を読み「おおらかで操体らしい」という意見があった。確かに、症状疾患が進んだものは回復しないものもある。しかし、苦痛に苦しんでいる方が、操体を受けているその時間だけでも、きもちよさを味わっていただければ、と思う。
大らか、という言葉で思い出したことがある。
その昔、十五年程前、私は太極拳を習っていた。その時の先生は日本のチャンピオンだった素敵な女性で、なおかつ厳しい指導をされていた。
彼女の上で、そのサークルの代表をしていた男性がいらっしゃった。よく、大らかにという言葉を口にされていた。マッサージ師であり、在家の僧侶であり、太極拳の先生でもあった。
私が手技療法の世界に入り「操体法を学んでいるんです」と話した時『操体法は難しいから君には無理だ』
『所詮、オンナは温泉でマッサージするのが関の山だ』と
言われた。
こういうヒトが「大らかに」と言っていたのだから、私は「おおらかに」という言葉の裏にいつも何か感じてしまうのである。個人がその性格の中で大らかなのは素敵なことだと思う。
しかし、「大らか」詠っているヒトが
『操体法は難しいから君には無理だ』とか言っていいのだろうか。で、在家といえ、僧侶であるこの方は『私は悟った』と」おっしゃっていた。悟った人間が『所詮オンナは温泉でマッサージするのが関の山だ』とか、そんなこと言うのだろうか。
橋本敬三先生はおおらか、という言葉を使われていたのだろうか。
「そんな言葉は聞いたことないなぁ」とのことだった。