操体法大辞典

操体の専門家による、操体の最新情報など

流れ(般若身経の流れを考える)



 操体を学んでいくうちに、色々気づくことがあった。



般若身経、即ち、『重心安定の法則』(からだの使い方)『重心移動の法則』(動かし方)についても様々な解釈のしかたがあり、それは般若身経自身が少しずつ修正変化を重ねているのに、その情報が各地に追いつかず、さらにその指導者が行っているスポーツなどによって、改ざんされているのである。または、指導者の体型や事情などによって、細かく変更されている場合がある。



たとえば、操体法でいう自然体とはどのような姿勢なのだろう?橋本敬三先生の著書を調べると、「誰にもわかる操体法の医学」「万病を治せる妙療法」「生体の歪みを正す」では、「自然体で立つ」というようにかかれている。どれにも共通しているのは、両足は腰幅で、爪先と踵は平行、となっていることを覚えておいていただきたい。

一番新しい「からだの設計にミスはない」に於いては、「ほっと一息はいて、膝をゆるめる」と書いてある。

膝を意識せず、伸ばした場合と、膝を一息ついてゆるめたのでは、足底にかかる体重の場所が明らかに違ってくる。一番わかりやすい例が、膝を伸ばしたまま、前屈してみることだ。

膝を伸ばしたままだと、前屈にしたがって、踵に体重が移動してくる。なぜ、この例を挙げたかというと、私自身が十数年前、操体を学び始めた時は、このように学んだからだ。これが悪いというのではなく、「からだの設計にミスはない」以前の、自然体を学んだというだけのことだ。また、橋本先生の著書には、前屈の場合、「腰の重心は後ろに移動する」とは書かれているが、「足底の体重移動」については、一切記載されていない。これも、「前屈の場合は踵重心」という理解をしてしまった人がいても仕方がない、と納得できるのである。後屈は明らかに爪先側に体重が乗るので、その逆(?)の前屈は、踵側にかかるであろうという憶測もあったと思われる(事実私もそう思っていた)。



しかし、「足は足心(拇指の付け根)のあたりに体重がかかる」という「手は小指、足は親指」という「重心安定の法則(からだの使い方)」に従うと、「自然体」で立った場合、やはり足の親指の付け根あたりに体重がかかるほうが正しいと思われる。



ある、指導者の方は、「立つ場合は肩幅、踵と爪先は平行でなくともよい、爪先は立ちやすいように開いても構わない」とおっしゃっていた。

この方は運動に秀でていて、大腿部が通常の方より太い。また、仰臥位で膝二分の一屈曲位をとると、大腿部が太いため、足首と膝を揃えることが難しい。なので、受講生にはご自身の体に合わせた指導、つまり、立位では足は肩幅、踵と爪先は平行でなくてもよい、と指導されている。これはあくまで一例だが、指導者が自分のからだに適したように「基本運動」を改ざんしている例である。試しに、立位で足は肩幅、爪先を開いて立ってみる。膝を伸ばしても、ほっと一息膝の力を抜いても、体重は踵か、踵の外側にかかって

くるはずだ。少なくとも、足の親指の付け根に体重はかからないはずだ。

更に試してみると、足を腰幅以上(肩幅やそれ以上)に開いて膝のちからをゆるめると、踵の外側に体重がかかるのがわかるだろう。





 話が煩雑になったが、

「膝の力をほっと、ゆるめる」前後では、自然体に関しての解釈が大きく変わってきていることがわかる。

「重心安定の法則(からだの使い方)」という点で見ると、「足は親指、手は小指」というように説かれている。ということは、般若身経が少しずつ改定されていくうちに、

立位で足底の親指の付け根に体重がかかるという条件を満たすには「膝のちからをほっとゆるめる」ことがわかって来たのだと推測される。



 このように、般若身経ひとつとっても、時系列と、その時に加えられた修正、改善ということを頭に入れておかないと、混乱する場合がある。



改めて思うのが、学び直すという姿勢も大切ではなかろうか。

自分が学び覚えたものが、改善、進化があれば、それを受け入れるべきである。

操体法は完成された体系ではないと橋本先生も書かれている。



しかしその反対に、温故知新という言葉を思い出し、橋本先生が何故そのように書かれているのか、鵜呑みにせよといっているわけではないが、より、深く学んでいく姿勢も同様に必要不可欠なのでではなかろうか。



悲しいことだが、自己流や持論を振りかざす方は、一様に言う



橋本敬三先生が書かれていることが全てじゃないだろう」もちろん、全てだとは思っていない。



 しかし、そのような方は一様に「操体」とか「操」という言葉をつかっていらっしゃる。名前が大事なのではなく、真実が大事なのだが、持論を掲げつつも「操体」という文字をちゃんと使っていらっしゃる。

つまり、「いいとこどり」なのだ。

「いいとこどり」と「真の操体臨床」の区別はなかなかつきにくい。

その見分け方のアプローチをしていくのも私達、フォーラムのメンバーの重要な役割ではないかと思う。



VisionS 第3号 2004年10月