操体法と快氣法
2007年1月20日(土) 新宿朝日カルチャーセンター 4F
18:00-20:00
生憎の霧雨だったが、会場には約40名の参加者が集まった。
約10名は河野智聖先生の武術、快氣法の受講生、約10名は三浦寛先生関係の受講生、残りは操体法も快氣法も初めてか、名前は知っているという感じだろうか。
今回は対談ということで、前方に白板と椅子が二つ置かれ、河野先生が司会ということで始まった。
最初に「操体って知ってる人」と三浦先生が声をかけると、殆どが挙手。操体という名前はメディアへ度々登場することによって、明らかに浸透しているようだ。
河野先生は、約15年前に三浦先生の講習に2年参加している。つまり、私にとっては、東京操体法研究会の先輩にあたる。1989年あたりの受講であるから、操体が「楽な動き」から「快適感覚」のききわけにシフトした後の受講生だ。その後野口整体を学ばれ、「快氣法」を創案された。
河野先生が武術をされている、という、朝日カルチャーセンターの二階さんの紹介から、まず三浦先生から『僕も柔道をずっとやっていたんですよ』『小学校に上がる前から柔道をやっていました。祖父も柔道をやっていたんです』に、始まり、勉強が大嫌いだった少年時代、あるご縁で仙台の柔道整復・鍼灸の学校に入り、そこで見かけたチャリンコに乗った初老の紳士を見かけ、受付の人に「あの人は一体誰?」と聞き、その紳士が医者であり、温古堂診療所の主だと言うことを知る。
三浦先生は別に操体法を習いたくて橋本先生に出会ったのではなく、言うなれば男が男惚れするような感じで、弟子になったという経緯、また、18歳当時は橋本先生が何をされているのかさっぱり分からず、操体(当時はまた操体という名称はない:筆者注)に対して『世の中にこんな面白い学問があったのか』と思ったのは学校を卒業してからだったという話などが続く。
現在の操体についての話。
未だに『楽な動き』と『きもちよさ(快適感覚)』の区別がついておらず、『楽に動く方が気持ちいい』という操者の決めつけでやっているところもある。要は、「快適感覚」「きもちよさ」というキーワードは浸透しているのだが、実は『楽(な動き)』と『快適感覚』の区別がついておらず、『楽な方に気持ちよく動いて』というようにやっているところが多い。(楽なほうに動かしても気持ちよさがない場合もあるので、『きもちよさが分かってくれない』という悩みを抱えて、操体をあきらめる人がいるのは事実である:筆者注)
楽な動きというのは、ニュートラルな状態で、バランスがとれていて、何ともない、ということ。
快不快がわかるのは、ボディに歪みがあるから。歪みのあるからだは、動かすと快・不快の感覚をつけてくる。
それまで、三浦先生は『楽な方に動かせば気持ちいい』と思っていたし、橋本先生も現役を退くまで、口では『気持ちよさ』とは言っていたものの、されていたことは、操体の源流となった正体術(整体ではない)そのものだった。
しかし、現役を引退した橋本先生から『きもちよさで治る』という言葉を聞き、それまでやっていた二者択一(どちらが楽か辛いか、という対なる動きの比較対照)の動診から一極微(いちごくみ)、つまり比較対照ではなく、その動きにきもちよさがあるのか、ないのかという動診を体系づけるまでの話が語られた。
次に、からだの使い方、という点で、会場の参加者(女性)を立たせ、片手を天井に向かって挙上させた。その時、
『親指を意識して天井に向かってすーっと伸ばしてごらん』
次に
『今度は小指側を意識して天井に向かってのばしてごらん』
『どちらがやりやすくて、どちらが窮屈だった?』
『親指が窮屈でした』
『こんなこと、知ってた?でもどうせ動くんだったら、窮屈じゃないほうがいいだろう?』
会場の参加者もおのおの試していた。
『親指側を使うと、動きがブロックされてしまう。からだには使い方があるんだよ』
その次に、今度は上肢を前方水平位にとり、前方に押し込む場合、親指側と小指側を使って試してみた。小指側、親指側という違いだけで、からだの動きがこんなに違ってくる様子に
参加者は何度も試し、中には首をひねって「不思議だ」という声も聞こえてきた。
河野先生は、何色というのだろうかahref="http://www.colordic.org/w/"和の色辞典で見ると
、黄金か山吹茶というのだろうか、作務衣(?)に柄模様のお洒落な足袋という姿だ(後でセーター姿の河野先生もお見かけしたが、本当に永遠の青年、といった感じである)。
快氣法における『快』の定義、あるいは『快』と『快楽』の違いなど。
『楽』はからだが育たない
『楽』は水落(みぞおち)が『実』となり、丹田が『虚』となる
『快』は水落が『虚』となり、丹田が『実』となる
また、参加者2名(ガタイのいい男性)二人に自らの腕をつかませ、
『きもちがいいほうにからだを操ると、こうなります』
河野先生が軽やかに動くと、男性二人は床にごろん、と転がった。
★「きもちよく動く」というのは、ある程度体ができていて、原始感覚(快か不快かききわける能力)
が鈍っていない人ならすんなり入れると思う。
私達はそれができない(ききわけに慣れていない)、からだが壊れた人を診る場合が多いので、そこらへんは工夫せねばならない。(筆者注)
★★以下は快氣法についての記述だが、私の専門ではないため、間違いがある可能性もある。訂正点があれば、お知らせ願いたい。
次に河野先生が立ち、腰の動きと腰椎の関係を話した。腰椎は5つあるが、それぞれが上下左右捻れ開閉など、動きの中心となっている。これは野口整体によるものだろう。
全員で伸びてあくびをしてみた。あくびは気持ちいい。しかし、「さっきと同じようにあくびをしてください」と言われても、再現できない。何故なら、あくびと、あくびについてくる動きは、無意識の動きだからだ。
★無意識の動きは、おおむね気持ちいい。野口整体の活元や、頭蓋仙骨療法の、ソマト・エモーショナル・リリース(体性感情解放)などは無意識の動きが出るが、気持ちよさにはさほど触れていない。無
意識の動きに「快」というキーワードを結びつけているのは、操体法である。
正座位で両手の薬指をへそに当て、体を左右に倒す。左右差を確認する。その後仰臥位をとる。片足ずつ曲げて(丁度腰椎2番に力が集まるように)きもちいいほうを選択する。
★☆★この場合、左右の二者択一だが、「楽」でなくて、「きもちいい」なのだろうか?
バランスがとれていれば、左右差はなく、気持ちよさはないはずである。ボディに歪みがあり、快適感覚がある、という前提なのだろうか?
操体では、「どちらが気持ちいいですか」という問いかけはしない。「どちらが?」と二者択一の問いかけをする場合は、「どちらが楽ですか?辛いですか?」「どちらがスムースですか?」と、問いかける。
気持ちよさを問いかける場合には、「どちらが」という二者択一の問いかけではなく、「この動きに対してきもちよさがありますか?(あるのか、ないのか?)」と、問いかける。ここが操体法との違いだろうか(筆者注)
きもちいいほうの足を曲げたまま、片手で手首を握り、きもちいいように伸びる。充分味わった後、座して再度へそに薬指を当て、からだを左右に倒すとバランスがとれているということだ。
参加者も床に仰臥位になり、おのおの気持ちよさそうにからだを動かしていた。
その次に、河野先生が
「合気道をやったことがある方」と、会場に問いかけると、女性(Kさん)が挙手する。合気道で相手に打ち込まれた(合気道はやったことがないので、表現が合っているかどうかわからないが)場合、受け手が緊張していたり、怖がっていると、実際痛い。しかし、きもちよく受けると上手くかわせるのだという。
河野先生がきもちよく受けると、Kさんはふわりと床に転がった。多分転がった方も気持ちよかったのではないか。
最後に、操体の実技ということで、参加者は床に仰向けになった。
「これから、5分間かけて、よく感覚をききわけながらゆっくり起きて下さい」
「感覚をききわけながら、きもちよく、ゆっくりと起きて下さい」
これは、朝日カルチャーセンターのように、指導者が手を触れずに、口頭で操体を指導する場合によく行われるが、5分間かけてゆっくり起きるという行動は普段なかなかやらないため、何気なくやりすごしてしまう微妙な「感覚」のききわけを体感するいい練習になる。
参加者は気持ちよさそうにゆっくりからだを起こしていた。あくびをして涙をこぼしている人もいた。
二時間はあっという間に過ぎていった。