操体法大辞典

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『明るくおおらかに生きましょう』??と「おひとりさま」

以前も書いた記憶があるが『息・食・動・想+環境』の『想念:精神活動』に関して『明るくおおらかに生きましょう』と言ってる人に限って、明るく大らかではないことが多いと思う。

また、『自由きままに勝手に生きる』のが操体だと言う方もおられるが、先日も書いた通り、自由気ままに勝手に生きるにせよ、あくまでも社会的に他の人に迷惑をかけないとか、『わがままと言ってもあくまで物事を前に動かす時に発揮されるのであり、「気配りが足りない」とは根本的に違うということです』(以上、『起きていることはすべて正しい』勝間和代著より)『どのくらい他者に対してリーダーシップを発揮し、自分のわがままを通すかについては、自分の能力との見合いで決まってくる』(以上引用同じ)



実力不足を棚に上げて、自分のプライドを満たすために、不当なわがままを言って周囲に迷惑をかけることは『自由きままに勝手に生きる』ことではないと思う。



また、クライアントから聞いた話であるが、私のところに来られる前に、ある操体指導者のところに行ったそうである。



その指導者は(私が知っていて、多少は操体の手ほどきをしたことがあるが、今は全くご縁がない方である)仕事が大変でからだの調子を崩したその人(その方は、ある目標があって、勉強しながら仕事をしている)に向かって『今の仕事が良くない。思い切って変えてみたらどうですか』と言ったそうである。この言葉だが、人によっては『そうだな、そうすれば気が楽になるな』と思う場合もあるが、私のクライアントの場合『何言ってるんだ?そんな簡単に仕事をやめられるわけないじゃないか』と思ったらしい。また、そんなに気分次第で職を変えたりしたくないと思っている方には逆効果でもある。



ここで、改めて考えてみるが、確かに環境を変えるのが一番いいのは事実である。しかし、そう簡単に仕事を辞めたり、引っ越ししたり、離婚したり分かれたりすることができないから、困っているのだ。私などは自分から離婚届けにハンコを押して『畠山に戻ります』と言って出したクチなので、『ダンナとうまくいってない』などと言う人には『それだったら別れろ』と、敢えて言うこともある。もちろん、別れたりしないことが分かっているからなのだが。





もちろんこれがDV男だったりする場合は別だ(蛇足ではあるが、なかなかDV男とわかっていながら別れられない女子がいるのは何故だろう)。



さらに、考えてみると、私のクライアントに「仕事辞めたら?」と言った方は、お独り者である(私もお独り者ではあるが、全く以てご心配は無用です。ほほほほ)。

おひとりもので、会社を辞めた経験があればまあ「やめれば」というのは言いやすいかもしれない。

しかし、妻帯者や誰か守るべき人がいるとか、ある目標を持って働いている人に対して「仕事やめれば」というのはちと早急なアドバイスではないだろうか。



まあ、おひとりものはそういうところは自由なのだが。先の「自由きままに好き勝手」に生きると断言されているある先生は、「子孫を残さない」ことを決めて、ご自分の好きなことをされているのだと聞いたが、やはりそれは「おひとりもの」の気軽さであって、家庭をもつ方にそれが当てはまるわけではない。



そこで、私が思うのは「環境を変えるには、まず言葉を統制しよう」と。



言葉を変えると「想念」が変わる。想念が変わると環境が変わる。そこからやってみてもいいんじゃないかと。



そう。「でも」という言い訳をやめて「ハイ」と言ってみる。「すいません」よりも「ありがとう」と言ってみる。



それが「環境」を変える、つまり自分が変わることなのではないだろうか。



しかし「明るくおおらかに生きましょう」と高らかにうたっている方が実際そうでないのはなぜだろう(笑)



地球平和を標榜しているのに、ちっとも平和的じゃないとか。