- 作者: 枡野俊明
- 出版社/メーカー: 三笠書房
- 発売日: 2009/06/19
- メディア: 文庫
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うちの父方と母方のお寺は曹洞宗である。今、父が一人で葛西のお寺のお墓に入っているが、最近の東京のお寺は宗派問わずのところが増えているそうだ。このお寺は日蓮宗のお寺だ。東北は結構禅寺が多いそうで、師匠の実家も曹洞宗らしい。曹洞宗はお経をあげる時木魚を使うが、日蓮宗は鐘(名称不明)みたいなものを鳴らすのだ。
先日ある仕事の打上で飲みに行った。イングリッシュパブで7時までのハッピーアワーを目当てに、フィッシュ&チップスやローストビーフ、ブライドポテト、ナチョスなどをつまみ、ビールの次はワインだった。その後、カラオケに行っていい気分で帰ってきた。帰りに水を買おうかと立ち寄った近所のコンビニで何気に買ったのがこの本である。いい気分だから買ったのかもしれない。
この本には、「習慣」をちょっと変えてみる、ということが書いてある。
・脱いだ靴をそろえる
以前、禅宗の在家の坊さんが開催している太極拳教室に通っていた。太極拳だけでなく座禅会とか月見会とか色々なイベントがあったが、よく言われたのは
「靴を揃えなさい」ということだった。禅には「脚下照顧」(きゃっかしょうこ)という言葉がある。自分の足下をよく見なさいということだそうだ。自分の足下が見えていない人は、自分自身が見えていない、ひいては、人生の行く先も見えていないということらしい。大袈裟に聞こえるかもしれないけれど、こうした小さなことが実は、生き方に大きく影響するのだそうだ。
靴をそろえる、というと思い出すことがある。ある人は、靴を揃えなかった。私は何度も注意したが、結局その人は靴を揃えはしなかった。私がいつもを揃えていた。もしかしたら、私に靴を揃えさせることで、密かな優越感に浸っていたのかもしれない。結局、人生観というか生き方が根本的に違う事が分かったので、今は全くご縁がないのだが「靴を揃えないヤツ」という印象は私の中に強烈に残っている。
「起こっていないことで悩まない」
「目の前のものにとらわれない」
「人のせいにしない」
「人とくらべない」「自分にないものを求めない」
「時には考えることをやめてみる」
「けじめをつける」
「自分自身を大切にする」
「シンプルに考える」
「変わることを恐れない」「変化に『気づく』」
「考える」よりも「感じる」
「ひとつの見方にとらわれない」
「よく見ること。よく感じること。そして自分の頭で考えること。」
「自分を信じる」
「悩むより動く」
「しなやかな心をもつ」
「三毒を捨てる」(貪・瞋・癡:とん、じん、ち)むさぼること、怒りの感情、おろか(常識や道徳を知らず、教養が欠けている状態)
「理屈を押しつけない」
「タイミングをよくする」
「皆に好かれる必要はない」
「無理に白黒つけない」
「あるがまま」を見る
「上手に距離を置く」
「人の意見に振り回されない」
「信念をもつ」
「今」を生きる
「欲張らない」
「物事を『善悪』で分けない」
「事実は事実として受け止める」
「『答え』はひとつではない」
「『方法』もひとつではない」
「ひけらかさない」」
「お金に縛られない」
「『自分の声』に耳を傾ける」
「命を大切に使う」「準備をおこたらない」
何だかいつも私達が操体を通じて勉強していることに通じているではないか。
「三毒を捨てる」は勝間和代氏も実践していると著書に書いてあったが、私もなるべくこころがけている。この辺りは勝間氏も書いていたが、怒る時には怒ることも必要だ。
「皆に好かれる必要はない」というのも納得できる。ある組織があったら、誰かは憎まれ役をしなければならないしのは当然だ。万人に愛されるか、それとも世界を敵に回して、一人に愛されるか(どっかのミュージカルみたい)というと大袈裟だが、仲良くしなければ、という「縛り」は大きなストレスになる。
もう一ついいな、と思ったのは「裸足で生活する」という一節。
私は基本的に裸足族なので相当寒くなるまでサンダルや下駄で過ごす。特に今年は下駄のお世話になった。靴下はあまり好きではないし、真冬でも靴下をはいて寝たりはしない。ストッキングを履くのは、何かの席でチャイナドレスを着るとか、ワンピースと着るときくらいだ。
シンプルと言えば、私はテレビを持っていない。見るとすれば、どうしても見たいモノを、親の部屋のテレビを借りて見るとか、そんなものである。まあ、ネットは年中繋いでいるから、情報過多かもしれないが、テレビがない生活も慣れると快適である。まあ、朝起きたらパソコンをつけるオマエと一緒だよといわれては仕方ない。