http://d.hatena.ne.jp/lovecats/20101117
「操体医科学研究所@書庫」でも紹介したのがこの本である。
操体の「想」は、単に明るく大らかに生きましょう、と言っているのではない。「感謝」を基底に、「言葉を統制する」「言葉は運命のハンドル」という考えがある。「頑張るな威張るな欲張るな縛るな」の「バルの戒め」も、10年位前は「え〜?普通頑張るじゃないですか」と言われたものだったが、最近ではうつ病の患者に「頑張れ」というのは厳禁と言われているし、「頑張れない人に頑張れというのは酷であるし、頑張っている人に頑張れというのは、今現在の頑張りを認めず、もっと頑張れと言っていることになる」ということがやっと世間にも認められて来たようだ。
やはり「60年先を行っているから、今理解されなくても仕方無い」
と、40年前に言った橋本敬三先生の未来を見る目は鋭かったのだと思う。40年前に言われているのだから、橋本先生が言われたことは、あと20年しなければ、世間一般が追いつかないということだ。
ちなみに、著者は「魔法の呪文」ではなく「真法の寿文」と言っている。取り扱い方によっては、「魔法」にも「真法」にもなる。
言葉の統制についてよく考えるが、橋本敬三先生は「きもちのよさをききわけなさい」と言われたが、「きもちよさを探して動きなさい」とは言われていない。これは、一見似たような言葉に見えるが、そのニュアンスは、操体的に見ると全然ちがう。
ストレッチやヨガ、その他操体以外のものだったら、それでもいいかもしれないし、私もそこまで言うつもりはない。しかし、操体においては、この2つの意味は大きく異なる。
また、橋本敬三先生が「身体運動の法則」と言われているにもかかわらず、「身体運用」と言う言葉を使っているケースもあるが、
「身体運動の法則」と「身体運用」は似て非なるものである。
魔法の呪文(真法の寿文)は間違えて使うと効かない。
クライアントに、動きの誘導をする場合も、いきなり「きもちよく動いて」と言っても、「どちらがきもちいいですか」と言っても効かないのは当然なのである。
「きもちのよさをききわける」も「気持ちよさを探す」も、一緒だと思ったら大間違いだ。
じゅもん(寿文)は、正しく使わないと効果がないのだ。