操体法大辞典

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The Runaways

運が良かった。たった一週間の上映で、観たいなとは思っていたのだが、時間がとれるかどうかわからなかった。丁度映画館の近くで、映画が始まる時間の15分前に用事が終わった。

公式サイト The Runaways

The Runaways は、私にとって非常に懐かしいバンドである。私も13歳から数年は1日数時間はギターを抱えていたものだ。当時の日本はQueen、KISS、Aerosmithの3大ハードロックバンドと同時に、ベイ・シティ・ローラーズ旋風も吹き荒れており、小学生の頃からの洋楽好きにとっては楽しい時代だった。ABBAが流行ったのもこの頃だ。
女の子(それも10代)ばかりのハードロックバンドという意味で人気を集めたが、むしろ日本ではコルセット姿で歌うチェリー・カリーに人気が集中し、篠山紀信が「激写」したので有名になった。

★私もマイクを腿に巻くアクションは真似した記憶がある(笑)
★カラオケで歌うこともあるが、あれはコーラスがないと物足りない

はラナウェイズのLPとシングル盤は全部家にあった。妹はチェリーが好きだったのだが、私はジョーンが好きだったのである。いや、過去形ではない。今もリスペクトしているのである。「不屈の信念」と、言うのは簡単だが、やり続けることは並大抵のことではない。
歌もチェリーより上手かったし、パンクのテイストがあり、ギターを弾きながら歌えるというのは、ポール・スタンレイにも通じるものがあった。後にチェリーが脱退してからジョーンがヴォーカルを担当したが、そちらのほうがいい作品が多い。

なお、ジョーンは後にマイケル・J フォックス主演の映画で、父親の名を明かさないシングルマザーの姉の役を演じたりもしている。

物語は1975年のLAから始まる。15歳の双子の姉妹、マリー・カリーとシュリー・カリーは女優の母親と住んでいる。母親役は何とびっくりのテイタム・オニールだった。母親は数年前に父親を家から追い出しており、今度は新しい夫と結婚してインドネシアに行くという。双子はそれを拒否し、父がいる祖母の家に住むことになる。シュリーはある時ディヴィッド・ボウイに目覚め、髪を切り、メイクをし、ディスコ(ディスコブームの前のディスコ)で、現実逃避の日々を送っていた。

同じ頃、LAでロック界への殴り込みを考えている少女がいた。ジョーン・ジェットである。彼女の登場シーンは、LAのショップで、ビニールに入った小銭をカウンターに置いて、革ジャンを買うところからはじまる。ジョーンはあるディスコの前で、キム・ウォーリー(プロデューサー)に直アタックし、ドラマーのサンディ・ウエストと出会う。これがバンドの始まりである。

サンディはLAの裕福な家庭の娘で、幼い頃からドラムの英才教育を受けていた。1978年には、ポール・スタンレイとの仲が噂されたこともある。

その後、バンドにはリタ・フォード(G)、ジャッキー・フォックス(B)(映画では何故か「ロビン」になっていた)が、それぞれのメンバーが似ていてびっくりした。当たり前かもしれないけど。

特にジョーン・ジェット役のクリステン・スチュワートは、ジョーンの姿勢とか動きの癖を非常に研究しているようで、思わず私は唸ってしまったのである。
二の腕の感じとか、ちょっと猫背っぽいところとか、本当にクラクラした。
ギターのリタ・フォードは10代初めからリッチー・ブラックモアの手ほどきを受けており、後にヘヴィ・メタルの分野でビッグ・セールスを成し遂げる。

ラナウェイズの有名なヒット曲は「チェリー・ボム」(旧タイトルは『悩殺爆弾』。すごい名前だ)である。チェリー・カリーは本当は「シュリー・カリー」というのだが、日本では「さくらんぼ爆弾」の「チェリー」と混同された。いや、むしろ「チェリー」が歌う「さくらんぼ爆弾」ということで、かえって効果があったのかもしれない。

初来日の頃(日本のホテルのシーンは畳にベッドが置かれ、火鉢があったが、ありゃ旅館)、日本のファンに追いかけられるシーンがあったが、日本のファンは「あんな格好してなかったよな〜」とヘンな懐古にひたる。

シェリーだけに人気が集中する中での他のメンバーとの対立、分裂した家族、ツアーでの荒れた生活で、シェリーはドラッグに溺れていく。
映画では、シェリーが倒れて病院(多分薬物中毒患者向け)で双子の姉、マリーの見舞いを受けるところで一区切りする。

シェリーはその後、ソロアルバムを出し(持っていた)、姉マリーとアルバムを出すが、薬物中毒で音楽の道を挫折、薬物中毒で悩むティーン向けのカウンセラーとして活躍、今はアーティストをしているという。

その後、小綺麗なキッチン雑貨ショップで、リネンをたたんでいる女性がいる。
シェリーである。その時、ラジオから「今日はスタジオに突然、ジョーン・ジェットがふらっと来てくれたんだ」というDJの声が聞こえる。「電話くれよ!」
シェリーは、電話を取って思わずダイヤルする。これはファンの間では有名な「電話事件」である。
DJは「Wow!もとヴォーカルのシェリーだね?」と叫び、シェリーとジョーンは短い挨拶を交わすのである。

ジョーン・ジェットはその後様々な苦難に見舞われつつも、1982年前半「アイ・ラヴ・ロックン・ロール」でビルボードのヒットチャートのトップを走った。
私はその画像を見たときの興奮を今でも忘れない。白黒の画面にイカすオトコを引き連れてシャウトするその姿。

http://www.youtube.com/watch?v=oNHLAn2qhk8

彼女は「パンクのゴッド・マザー」と呼ばれ、今でも活躍中だ。

現実逃避からバンドに入ったシェリーと、ロック魂を貫きたいという不屈の信念でバンドを続けたジョーン。なお、原作はシュリー・カリーの"Neon Angel".
映画製作にはジョーン・ジェットも携わっている。

Neon Angel: A Memoir of a Runaway

Neon Angel: A Memoir of a Runaway

なお、バックに流れる音楽はバンドのもの、後に大ヒットする"I love Rock n' Roll" など懐かしいものばかり。