約50年前、操体の創始者、橋本敬三医師は
わが師匠三浦寛に
「自分がやっていることは、60年先を行っているから
今理解されなくてもいい」と伝えた。
そろそろ近づいてきたのかもしれない。
そもそも、操体のセオリーは、いわゆる「他力的手技療法」の
考え方からすると、常識はずれもいいところである。
何よりも妙なのは
「クライアントはもとより、施術者が元気になる」ということ。
他に聞いたことがない(笑)。
普通、施術者は消耗するものだし、
不調を抱えた人を診るわけだから、ネガティブな「気」を貰うことも
あるはずだ。
ところが、操体は、
被験者の「きもちのよさ」が操者にも伝染し、
それによって操者も元気になってくるのだ。
これは相当妙なことだ。
・症状疾患にとらわれない
・つまり「腰痛に効く操体」とか「肩こりに効く操体」というのはない
・病気になる順番と治る順番の捉え方が、西洋医学と「あべこべ」である
・痛いところを動かさない。いいところを動かす
・左右対称にこだわらない
・ボディの歪みを正すことによって、二次的に症状疾患を解消する
そして
・きもちよさで良くなる(これが一番非常識かも・・)
アタマ(エゴ)は、楽(ラク)して治りたいと思っているが、
からだは、きもちよく治りたいと思っている。
師匠がよく受講生に伝える言葉だ。
エゴ(アタマ)は、何とか手早くちゃっちゃっと痛くてもいいから治りたいと思っている。しかし、からだは、きもちよく治りたいのだ。
「痛くても治ればいい」という考えもあるかもしれない。
が、例えば小さな子供に、痛みを与える治療を行う。
痛いので泣く。
でも治った。
その子にとって「治療は痛くてこわいもの」になってしまうだろう。
「治ったけど、心に傷がついた」ことになってしまうだろう。
私は痛みを与える他力的療法を否定はしない。
ニーズはあるだろうし、刺激を求める人もいる。
でも、自分自身は、
きもちよく治りたい。
痛いのはイヤだ。
からだに負担をかけたくない。
からだを痛めることによって、
心にストレスをためたくない。
赤ちゃんがいるので外出できない。
そんなお母さんのところに伺って操体をやる。
ついでに?赤ちゃんや小さい子供に足趾の操法をやってみる。
きもちいいのでご機嫌になる。
次回また会うと、私にむかって足を出す。
こういう行動をとった子は、一人や二人ではない。
きもちいいことが好きなのだ。
あと、これも一度や二度ではないが、
クライアントに操体を行っていたら、
猫が施術室に入って来て、お腹を出して一緒に寝転がったり
近くに来て香箱を作ったりしたことがある。
また、自分が受けている時に、猫がベッドに上がってきて
一緒にきもちよさそうに寝ていたこともある。
これは、きもちよさに引かれて、
きもちいい空気を感じているんだなと思った。
きもちよさの最中には
「意識飛び」という現象が起こることがある。
瞬間的に、深い眠りに落ちるのである。
瞬間的なので、意識はある。
そして、短くとも深い眠りなので、
覚めた後、とてもすっきりする。
きもちよさに包まれ、
一瞬まどろみ、
目覚めたら、
からだが変わっている。
だから、操体が好きなのだ。