「世の中の90%のことは、Google先生に聞けばわかる」と
誰かが言っていたが、
Google先生に聞いてもわからないのが、操体である。
操体を勉強しはじめてから21年目になる。
操体自体の歴史は古く、昭和初期(6年頃)
橋本敬三先生が函館で「操体の源流」と言われる
高橋式正體術と出会った時からはじまる。
操体というのは、
ブームにもならず、かといって途切れもせず
地道に続いている。
元々操体の存在を知ったのは、高校2年の時だった。
まだ橋本敬三先生もご健在だったが、
高校生は(仙台には親類縁者がたくさんいるのだが)
仙台に行こうとまでは思わなかったし、
当時の高校生にとっては、なんだかジジ臭いというか
よく分からないものだった。
それがどういったご縁か、
「操体法治療室」を読んで、
「これだ!」と決意し、
三年間修業し開業し、その後紆余曲折を経て
「操体法治療室」のメイン著者、三浦寛先生に師事するには
その後2年かかった。
そして、三浦先生と共著で本を書く機会にも恵まれた。
最初に操体を習ったセンセイは、三浦先生の受講生の受講生だったということが
後に分かった。
というわけで、ずっと操体を学び続けているわけである。
そして、師匠の講習で長らくサブ講師をしているし、
自分でも「足趾の操法」と「視診触診講座」を持っている。
「楽(な動き)と快(適感覚)の違い」を
地道に伝えるのが自分のライフワークであると思っている。
そして、同門の東京操体フォーラムの実行委員のメンバーだが、
ベテランは10年近く、実行委員として操体に関わっている。
皆、相変わらず熱心に勉強を続けている。
何故、彼等は操体を学び続けているのか?
逆に、講習に参加しても、途中で放棄したり、
地道な基礎訓練をやらず、基礎もそこそこで投げ出す人もいる。
まあ、向いていないこともある。
操体法東京研究会のメンバーではないが、
長いこと操体の高名な先生について学んだのに
「今は操体やってません」という人もいる。
何故、私たちはこんなに長く(笑)操体を絶え間なく学び続けられるんだろう?
と、考えてみた。
それは、恩恵を受けているからに違いない。
そして「答え」を掴んでいるからに違いない。
そして操体のセオリーは「間違っていない」「自然法則に則っている」
ことがわかっているからに違いない。
そしてそして
橋本先生が書かれたこと、またそれを越えるような
師匠の概念に、
現実が追いついてきたという感動もある。
「うわ、ホントだ」という体感である。
多くの人は「きもちのよさで治る」とは思っていない。
痛いとか辛いとか、大変な思いをして治療しないと
治らないと思っているのだが、
実際のところ、からだはきもちのよさで、良くなる。
途中で辞めていく人達。多分、彼等は「恩恵」というか、
ものすごい「プレゼント」を貰う前にあきらめてしまうのだろう。
勿論、相性というものもあるのだろうが、
最低3年はしっかり修業しないと、その面白さはわからない。
そして、実際の臨床で
クライアント相手に汗をかいて
口惜しい思いをして、
アタマを捻って、色々考えるというプロセス。
昨日、個人レッスンの際アシスタントをお願いしたG君は、
操体を勉強する前に、整体の学校に通ったそうである。
全身の関節を全部調整するというものだそうだ。
彼曰く「途中で、ホントにこれでいいの?って思った」。
「これじゃ壊れちゃうと思った」
自分がやっていることが本当に大丈夫なのか?
人を壊したりしないか?
事故が起きないか?
自分がやっていることに、矛盾と疑問を感じながらやるのは
辛いことだ。
幸いにも、私は操体の恩恵を受けている。
「きもちのよさで、よくなる」ということを体験している。
「辛いこと、痛いことではなく、きもちよさで、よくなる」
「イノチの方向性は『快』に向いている」
ということが「腑に落ちている」ので、ますます面白いのである。