操体法大辞典

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こころの「ソーシャルディスタンス」

★補足★ SNSについて関連記事を見つけました。
国木田独歩の玄孫、モデルの国木田彩良さんのインタビュー記事ですが「SNSも、仕組みを理解して使う」という意見には賛成です。

forbesjapan.com

 

私も勿論、SNSとかやっていますが、基本的に「知ってる人」が範囲です。
今そこでやりとりをしているのは「心地いいパーソナルスペース」をあけられる人ばかりです。

 

そのあたりで面白いな、と思う事を挙げると、何かドジったとか、変なこと(大変なことではなく、変なこと)に巻き込まれたりした場合、私自身、本人は「自分のドジりや変なことをネタにして面白がっている」とか、私は臨床家なので、ケガしたりどこか痛めたりしても「新しいケーススタディである」とか「どうやったら治るか経過をみるか」みたいな「結構面白がって見ている」スタンスなのに「悲しいね」マークが付いたりすることなんです。

このあたりは研究の余地があるかもしれません。

 

コロナ禍で、生活が一気に変わり、人に合う回数が減り、その代わりにネット上でやり取りをすることが増えました。

 

こころのソーシャルディスタンスの守り方

こころのソーシャルディスタンスの守り方

  • 作者:大嶋信頼
  • 発売日: 2020/10/28
  • メディア: 単行本
 


そして起こっていることは「パーソナルスペース問題」です。

 

「過去と今の違いは「パーソナルスペースに侵入してくる人に出会う確率が手紙の時代と比べてはるかに高い!」ことだと思います。

 

私がネット上のバーチャルな人間関係に触れたのは、1990年代前半。まだ、mixiとかFBやLINEもない時代です。

 

当時は「メーリングリスト」というのがあり、共通の話題を持った人達が集まって、リスト投稿することで、情報交換をしていました。

 

携帯電話が一般化してきた時代で、二つ折り携帯の頃です。
よく「誰からも電話が来ないから、携帯なんて持ちたくない」とか「誰からもメールが来ないから、携帯なんて持ちたくない」という人もいたり(時代です)。

 

それなりに大変なこともありましたが、今のほうが大変かな。

 

 

FBもやっていますが、情報公開は、限られた人にしています。

 

というのは、いくつかきっかけがありました。
何かのご縁はあったんだけど、会ったことがない人から、いつも、即「いいね」がつくとか、そんな感じのことが、起こり、何だか変な感じがしたんですが、これが多分「パーソナルエリアへの侵入」です。

 

具体的に言うと、大嶋さんの本に書いてあるように「腰痛への対処法を長々と聞いてきて、結局はそれで終わり」とか。

また、あまりにもネガティブなこととか、正論しか言ってこないので、何だか疲れるとか。

ここでとった私の行動は、その人たちから距離をおく、ことでしたが、これが、この本に書いてある

 

自由に生きられるようになるためにもSNSやLINEの中で「あっ、この人はパーソナルスペースを侵入してくる人かも!」と見きわめて、こちら側が適切な距離をとる必要があるんです。

 ということかな。

(パーソナルスペース侵入云々というのは、心理療法の「外在化」というテクニックだそうです)

 

お互いに心地いいパーソナルスペースをあけられる友達や仲間に出会うことで、本来の自分に戻っていきます。

 

自分らしく生きる、というのは、なにも「自分」を主張することではなく、周囲の人と、ほどよいスタンスとバランスを保ちながら生きることなのではないでしょうか。