操体法大辞典

操体の専門家による、操体の最新情報など

操体臨床実践理論

本日の操体法定例講習は、「操体臨床実践理論」についての説明だった。



この辺りは、鍼灸との比較も出てくるので興味のある方は面白いのではないかと思う。私は今まで参加した講習の中で、相当の回数でこの講義を聴いているが、聞けば聞くほど、また理解が深まれば深まる程、何て面白いのだろうと感じる。一度目の受講生は『?』かもしれないが、『操体臨床実践理論』に関しては繰り返し受けると腹に落ちるのではないか。そもそも、一番、かなり重要なポイントなので、一度で理解というよりは、何回も聞いたほうがいいと思う。



受講生がまず驚くのは『操体には膝の痛みを治す操法』とか『腰痛に効く操体』とか『肩こりに効く操体』というのはない、ということだ。このカルチャーショックがひとつ。



次に、操体臨床というのは、橋本先生の時代から、エビデンスよりも先に「結果」が出てしまっていて、理論のほうが後から追いついているという状態であり、まだまだ進化しているということ。橋本敬三先生ご自身も『儂(ワシ)のやっていることは60年先を行っているから、今理解されなくても仕方無い』と言われていた。

なので、操体を勉強する場合、最初に臨床を受けてみればいいのだが、いきなり勉強から入ってしまうと『何故きもちよさで良くなるのか』というのが『直感的』にわかりにくいのではないか。

逆に、一度体験してしまうと、非常に入りやすい世界である。



さて東洋医学。東洋医学と言えば鍼。



良く聞くのは『鍼は打った直後は効くのだけれど、すぐ戻ってしまう』。これは、東洋医学が『構造力学的』に人体をみているからである。つまり、人体という建物の設計図には非常に詳しく、どこにどのような流れがあるかに詳しい。

しかし、構造力学だけでは足りない。人間は動くからである『経絡そのものをボディの歪みという異常状態から構造運動力学的に理解しなさい』と言っているのである。また、平たく言えば『動かしてぶっ壊したのだから、動かして治せ』みたいな感じでもある。



操体の場合、単に「操法」を覚えただけでは臨床は成り立たない。効果がないわけではないが、『分析(診断)』と『操法(治療)』という手順において、『診断分析』が重要なのである。



分析法の主なものには、問診、視診、触診がある。そして操体独自の分析法が「動診」である。これは他力的に動かして可動域を診るというより、本人が自力で動きをとり、感覚の分析を行う

ことである。勿論、問診にはカウンセリング能力(これは非常に大切であり、動診操法の過程における言葉の誘導にも影響する)が必要だし、視診触診力は、手技療法家にとって必須のスキルであるが、視診触診というのはからだの構造(ツクリ)を診ている。このツクリに詳しいのが東洋医学だ。しかし、人間(生き物)は動く。それを忘れてはならない。





思うのだが、操体臨床が上手く行かないという話を聞くと、大抵は『楽と快の区別がついていない』『動診と操法の区別がついていない』という、操者の理解不足である。ここを理解していないと『きもちよさを探す』とか『きもちよさを探る』という言い方をすることになる。また、操者が「連動」を理解していない大きな理由でもある。



★もっと言えば、橋本敬三先生ご自身が『探す』『探る』ではなく、敢えて『きもちのよさをききわける』『ききわければよくなる』と言われていたのだ。これを私達後継者は大切に使わなければならないと思う。



この表現の出所を考えると

1.逃避反応(無意識の動きで痛みから逃げる)と、混同している。つまり無意識の動きと

有意識の動きを混同している。



2.第1分析の動診(楽か辛いか)をしているのに『どちらがきもちいいですか』というとんちんかんな問いかけをすると、大抵のクライアントは『動き方を知らない』上に、『快適感覚の聞き分け』に慣れていない。そうすると『?』となるので、『きもちいいところを探してしまう』。操者の理解不足である。



3.操者が介助法、連動を理解していない。

操体臨床の分析(診断)をするために、私達は『介助』と『連動』を学ぶ。

何故「連動」を学ぶのか。

普通クライアントは『動き方を知らない』。『自分(後天的にスポーツや頭脳で理解している動き)の動きとからだの動き(自然法則に従った、からだの設計図通りの動き)はちがう』ということを知らない。

その際、操者は連動を理解していれば、クライアントのボディの歪みの発見、またその対処法がわかり、動きを導けるが、連動を理解していないから『きもちよさを探して』と言う。

そして私達は介助法を学ぶにあたって、相当な時間を割くが、何故介助法が必要かと言えば、

・動きの安定感を保つ

・動きの充実感を保つ

・動きの連動性を促す

・快適感覚をききわけやすい環境をつくる

ことが目的である。



4.きもちよく動くのは「快適感覚をききわけてから」ということを理解していない。操体の行程を考えると「快適感覚をききわけ、味わう」にまとめられるが、これは『快適感覚をききわける』のが動診(診断)であり、『味わう』のが操法(治療)にあたる。『診断』と『治療』を、クライアント本人の感覚分析で行うのだが(だから自力自療という)、動診にあたる感覚分析の際に『きもちよく動いて』という指示をするのは、『快適感覚が

ききわけられてから』の話で、動診の際に『きもちよく動いて』というのは一般には難しい誘導である。中には上手い先生もおられるが、タイミングを計っているのである。

私も含めた名人ならぬ凡人は、クライアントが『快適感覚をききわけたら』『きもちよさでからだを操って』『味わって』と持っていくべきだ。



また『きもちよく動いて』といわれると、わからなくなって色々探してみようと思うのが常であり、クライアントは『解りません』と言い、結果臨床は上手く行かないのである。



★なお、『きもちよさを探して』という記述が書籍上に出てくるのは、故佐藤武氏の『操体法

だと記憶している。

この後、サトウサンペイ氏との共著『操体法入門』(この本には、身体運動の法則に対する致命的な間違いがあるが)を読んで思うのは、おそらく佐藤氏は『快適感覚』を理解していなかったのではないかと思う。各操法の説明にしても、理論的にツッコミどころが多い。また、連動についても触れられているが、この本と、次に出された本とでは、同じ動きでも連動が違っていたり、左右で連動が違っていたりするので、おそらくはある特定のモデル(おそらくダンスなどの伸展系の癖がある方)を使っていると思う。本来なら『楽かつらいか』の第1分析で操体を論ずればこのような混乱は起こらなかったのだろうが、第1分析をしているのに『快』という第2分析の用語を用い、その結果、第1分析と第2分析がごちゃ混ぜになり、その結果、本の読者に混乱を与えているということになる。



これらの本の改訂はされていないのが残念である。また、改訂せされずに未だ流通しているのも少し問題か。



何だかまた脱線したが(笑)