操体法大辞典

操体の専門家による、操体の最新情報など

腰痛を改善する「印」??

今日は私が担当の「足趾の操法集中講座」と、三浦先生の「新創生期講座」とも、今年最後の講習です。

 

★といっても、元旦は日曜なので、元旦から講習です(笑)
★ホントによく勉強してますよね、私達
★でも、勉強した分だけ上手くなるのは、事実です

 

午前中ですが、先日こちらでも紹介したSさん(仮名)から報告がありました。

私達が学んでいる、ある「手指の形」があるのですが、Sさんは長いこと、手指の組み方を逆に覚えていたのです。

それがわかったので、正しい組み方を指導しました。

そうしたところ、普段からの腰痛が良くなり、痛みがなくなったのだそうです。

 

手指の組み方を変えるだけで、何故腰痛が改善されるのか?
それは、腰や腰付近の筋骨格系を操作しているのではなく、根本的なからだの使い方、動かし方をコントロールするからです。

 

いわば「身体運動の法則」を強制的に?無理なくからだに学習させるという方法です。

 

「歪みを自分で治す」というのは、結構大変です。
でも「歪まないように予防する」というのはそんなに難しくありません。

 

これって、操体を「身体運動の法則」からちゃんと勉強していれば、知っていることなんです。

 

師匠(三浦先生)に話しをして、

 

「これって、私達操体実践者にとっては『常識』だけど、普通の人にとっては未知のことだよねぇ」と思いました。

★最近の研究で、重心の定め方などにも新しい理論が生まれています

 

★環境の変化に伴って,操法自体も人体の変化に追いついているのです。
★「万病を治せる妙療法」時代の操法はいわば「からだの使い方を間違えてこわしているんだから、からだを動かして治す」だとすれば、現在は「メンタル」のことをもっと考える必要があります。アトピーやアレルギーは増えていますし、50年前とからだの使い方や仕事の内容なども変わっています。

 

 

それはさておき

「からだが歪まないコツ」みたいな感じで、操体の中からネタをあげると、生活に応用できることがたくさんあります。

 

操体の素晴らしいところは「○○しちゃダメ」という縛りがないことです。
(したい場合はそれでもいいんですが、自己責任ですから。操体は縛りがありませんが、自分の責任なんです)

 

★例えば、寝る時に足を縛るとか、ヒールのある靴は履いてはいかんとか、靴下を5枚重ねではかなきゃいけないとか、マニキュアとかペディキュアするなとか、化粧するなとか、そういうシバリなどは一切不要です。

 

今度、そういうコツをセレクトして、本にしようかなと思っています。

 

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「葦かびの萌えいずるごとく

 年末のおすすめ。地湧(じゆう)社から。

 元々は、橋本敬三先生の本(からだの設計にミスはない)、三浦先生、今先生の「操体法治療室」を出版していた、柏樹社から出ていたのですが、多くの書籍などを引き継いでいる地湧社から再発売されました。 教えてくれた受講生のFさんによると「操体にかなり近いのではないか」ということでした。

葦かびの萌えいずるごとく―若き日の自己発見

葦かびの萌えいずるごとく―若き日の自己発見

 

 

よくわかる曹洞宗 重要経典付き (角川ソフィア文庫)

よくわかる曹洞宗 重要経典付き (角川ソフィア文庫)

 

こちらはKindleでも読めます。
「よくわかる」とあるように、本当によくわかります。
達磨、道元、その後永平寺派と總持寺派にわかれたこと、日本中にある曹洞宗のお寺、曹洞宗の中でも大きな業績を残した僧侶についての説明、経典(観音経と般若心経)なども載っています。

 

あなたを幸せにみちびく観音さま―その教えと信仰の秘訣

あなたを幸せにみちびく観音さま―その教えと信仰の秘訣

 

 先日「お不動樣」の本を読んだので、同じ著者の「観音さま」を。

願いを思い浮かべるのではなく、観音さまそのものを念じ観想することが大事、と書かれています。

 

 

 

 

 

 

 

腰は反らせず、拇指は反る。

この二つはとても大事です。

 

操体の講習の新タームが始まると、私はまず受講生の姿勢をみます。

勿論、まだ「操体的なからだ」にはなっていません。

 

我々は、臨床をスムースに運ぶために、まずは「操体的なからだ」を作ります。

「作法」を学びます。

 

先にも書きましたが、腰は反らせません。
(武術や伝統芸能と同じです)

腰を反らさずに、背中を丸めるというのではなく「含胸抜背(がんきょうばっぱい)」に近いものになります。近いもの、というのは、操体的な基本ルールがあるから。

 

 

腰が反っていると、動きが大きくなりすぎて、被験者の動きについていけませんし、基本的に操者の動きは、被験者よりも小さくなります。操者が被験者よりもオーバーアクションということは、ありません。あるとしたら、ヘタクソか、骨盤が反っているのです。

 

★また「見た目が美しい場合は、介助補助も決まっている」というのは事実です。操者の腰が反っている場合は、見た目もが美しいとは言えないのです。これは、みればすぐ分かります。

 

また、動作の際についつい腰を捻ってしまうクセがついていることがありますが、これも注意されます。

 

もう一つ、拇指は反ります。

 

三浦先生などは見事に反っています。私も反っています。

 

面白い話があり、自営業など「雇われていない」人は、拇指が反っており、会社員など「雇われている」人は、反っていないことが多いようです。これは「好きなことをやっている、自由な度合い」もあるようです。

 

何故、反っているのが必要かというと、足趾の操法®や、介助・補助では、この「反り」が活きるからです。

 

なお、心配しないでください。

 

ちゃんと修業を重ねていれば、操体的なからだになり、腰は反らなくなります。
最初は「腰を反らすな」と指導されますが、ちゃんと身についてきます。

 

拇指は反ってきます。先のSさんも、最初は全く反っていませんでしたが、最近は結構反ってきています。

 

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★指導を受けている最中。

 

勘違いに気づく。

例に出して申し訳ないのだが、後輩のために書いておこうと思う。

 

橋本敬三先生がおっしゃっていた「骨盤」の状態は、「骨盤の前弯曲」「後弯曲」である。これは、現在一般的な「骨盤の前傾」「骨盤の後傾」とは逆になる。

我々は、橋本敬三先生にならって、骨盤の前弯曲、後弯曲と言っている。

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私の後輩で、操体の本を一冊出しているのがいるが、元々腰が反っており(いわゆり、ヒップアップしている状態)なので、骨盤の前弯曲と後弯曲と、前傾と後傾を反対に覚えていたのがいた。またその人の買いた文中には、「操体では座骨をたてる」という表記が多数あり、監修をした三浦先生も私も「座骨をたてるというのは、腰が後弯曲してるってことだよね」と、気づき、修正を求めた記憶がある。彼女は「座骨を立てる」という表現に相当こだわっていたが、操体では、座骨は立てない。

 

座骨を立てるというのは、前述のように「腰が反る(骨盤の後弯曲、腰椎の前弯曲、骨盤の前傾)ということだ。

 

橋本敬三先生も、著書の中で「潮干狩りと月見」という話をしている。これは、腰が反っているのを潮干狩り(つまり、腰が反っているので、いわゆる「下つき」)といい、これは下品(げひん、ではなくげぼん)、月見(つまり腰が反っていないので、いわゆる「うわつき」)は上品(じょうひん、ではなくじょうぼん)と言っている。

 

この方は、今操体をやっているかどうかは分からないが、本人が見事な反り腰なので、「反り腰をよしとしない」我々から離れていったのかもしれない。

 

 

さて、ある受講生の方の話だ。仮にSさんとする。

もう5年くらい講習に参加している。年配ということもあり、ゆっくりじっくり講習に参加してきた。途中で止めることもなく、勉強を続けている。

 

しかし、一つだけ悩みがある。

足趾の操法も介助法も、どうしても親指に力が入ってしまうのだ。
つまり、親指を効かせてしまう。そうすると、肘と肩甲骨が上手く使えず、腕力で操法をこなすことになる。脇も甘くなりやすい。かといって脇をしめて、というと、締めすぎて不自然になったりする。

 

基本的に操体には腕力はさほど必要ない。
また、私は教室の中では、一番手が小さくて一番のチビである(160センチだけど)。

指も短い。しかし、ちゃんと介助補助はできる。

操体は、からだの大きさや腕力は関係ないのだ。

 

足趾の操法の講座でも、先輩である女子二人が熱心に指導を重ねている。

 

どうすれば、小指側を自然に使えるようになるのだろう?

 

今回は、視診触診の講座の最中にふと気がついた。

 

これって、操体を勉強していたら、ほぼ常識で当然で当たり前で、きっと知っているであろう、ということを、おそるおそる聞いてみた。

 

★勿論、三浦先生の講習でも最初あたりにちゃんと指導してます

 

「○○さん、ぞうきんってどうやって絞ってます?」

 

彼は、横絞りをしてみせた。

 

「ああっ!」(目眩)

 

周囲の受講生の顔には、ちびまる子ちゃんのような縦線が浮かんでいたことをご想像下さい。。。

 

横絞りというのは、文字通り、雑巾を横向きに、親指を使って絞るやり方だ。親指に力が入る絞り方だ。

 

★四十肩、五十肩の方に雑巾を絞って貰うと、横絞りをすることがある。本人は「こちらのほうが力が入るから」と言っているが、実際は絞れていない。力が入る、というのは、余計な力が必要ということだ。
★横絞りを縦絞りに変えるよう指導するだけでも、肩の調子が改善することがある。

 

長年、横絞りをしていたということは、親指に力を入れるという動作をずっと続けていたということだ。小指が効く代わりに、親指が効いていたのである。

 

私は改めて、縦絞りを指導した。

いわゆる、竹刀を持つような絞り方である。

Sさんは縦絞りを練習していたが、力の限りを尽くし、肘が伸びきるまで雑巾を絞り倒した。

 

「雑巾を親のカタキみたいに肘が伸びきるほど絞らなくてもよい」

 

という話をした。
Sさん曰く、雑巾の絞り方を習った記憶は何となくあるらしい。。。

 

そしてもう一つ、私のアタマに閃いたことがあった。

我々は「操体的テーピング」と言って、特殊なテーピング法を学んでいる。

 

そのテーピング法のトレーニングで、指をある形に組む方法がある。

 

Sさんは「私、指が短くて固いので、できないんですよ」と言っていたのだ。
「大丈夫だから練習するように」と、練習を勧めていたのだ。

 

まさか、もしかして、指を間違えてるかも????

 

私は少し焦って、Sさんに「できないという指の組み方」をやってもらった。

 

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「ああっ!!!」

「指が逆じゃん!!!!!!!」

 

彼が「できない」と、練習を積んでいたのは「親指を効かせる」方法だったのだ!

 

親指効いちゃうわけだよ!

 

勘違いを二つ修正した。Sさんの今後がたのしみである。

 

 

しかし、彼の勘違いに気づいてよかったと思った次第。

 

 

 

「悟り」ということ。

なんだか仏教がらみの話ばかりになるが、たまたま「悟り」という言葉をみて、思い出したコトを書いておこう。

 

私自身、実際に千日回峰業やその他にも命をかけた荒行をなさった大阿闍梨にお会いし、すごいことをやり遂げた人の、何か吹っ切れた明るさというか、そういうことに接する機会があった。それは、単にめちゃくちゃポジティブというのでもない。

やり遂げた人の淡々とした姿。

それなんだな。

 

本当に悟った人は、「私は悟った」なんてそう簡単には言わないのだ。

 

その昔、私は「自分は悟った」という、在家の坊さんが主宰する太極拳の教室にいっていた。

 

よくある話だが、女性のファンがついていて、ちょっと間違えたらカルトだが、いかんせん、カルトと違ってお金を集めるのが下手なところだった。

 

悟ったという在家の坊さんは、私に

操体は難しいからオンナにはできるわけがない」

「所詮あんたなんか、地方のホテルのマッサージが関の山だ」

 

と言った。★この方はマッサージ師の免許を持っていた★

 

この「悟った人」からの屈辱的な言葉が、私を奮い立たせたと言ってもいいかもしれない。

 

っていうか、悟った人がこういうことを言うか??

 

その後、外気功を習ったオッサンは、逆に「生きる欲」に満ちていた。
仙人に会いに台湾に行ったり、怪しい仏像を並べていたり、「あやしい」を絵に描いたようなオッサンだったが、「自分は悟った」と言って「操体は難しいからオンナにはできるわけがない」とか、そういうヘンな決めつけはしなかった。

 

「ゴーヤ食べるとさぁ、精力がついちゃって困るんだよ」という話を振ってくるオッサンのほうが、余程悟っていたのではないか。

 

 

このオッサンのほうが、自然体だった(笑)

 

本当に悟った人は、自分で軽々しく「悟った」とかは言わないものだ。

 

 

 

 

 

 

護摩祈祷に思う。

12月4日に、仙台の奥座敷、秋保の慈眼寺の護摩祈祷に行って来ました。

その後に、「霊験修法曼荼羅」を読んだわけですが、この4巻に、護摩祈祷(この場合は、不動明王)の最中、お坊さんはどんな感じなのか、どんなことをしているのかの、手順などが描いてあります(相当簡略化されていますが、よくわかります)。

慈眼寺では蔵王権現護摩祈祷をするのですが、お寺の方が「最初、大阿闍梨が儀式をしますが、とても大切なところなので、静かになさってください」というような注意がありました。

 

このマンガを読んで「なるほど、蔵王権現をお呼びしていたのだな」と分かりました。確かに儀式ではとても大事なところです。

 

密教僧 秋月慈童の秘儀 霊験修法曼荼羅 4 (HONKOWAコミックス)

密教僧 秋月慈童の秘儀 霊験修法曼荼羅 4 (HONKOWAコミックス)

 

 さて、少し前に、依頼があり、師匠のお供をして往診に行ったことがあります。

詳細は書きませんが、お家の方を診て欲しいということで、お伺いしました。
その後、ご家族がyoutubeなどで、渦状波®(カジョウハ)を受けて、無意識の動きを発動するのを見たとのことで「動きを発動するものを教えて欲しい」との連絡を頂きました。

 

そもそも、渦状波は、活元などのように、無意識の動きを誘発するのが目的ではありません。動かない人もいますから。

 

そして、これは、我々の中でも、5年とか10年とか、修業を積んだものができるものなのです。

 

「どこに触れればどうなるのか」という「スイッチの在処」を皆さん一番知りたがりますが、その答えはありません。

人によって異なるからです。そして、それを勉強するのに時間と経験が必要なのです。

 

また「からだは操者を選ぶ」こともありますので「からだに選ばれる操者」になるという、勉強も必要です。

 

★何度も言います。「習えばできる」というものではありません。
習ってからの修業が必要です。

 

たまに「センセイの真似してやってみたけど、さっぱりです」という方がいますが、それは当然なのです。

 

★先の「護摩祈祷の際を再現」したコミックを読んでいただけると、なんとなくニュアンスがわかるかもしれません。操者は「単に触れている」わけではないのです。
操者の中では、色々なことが起こっているのです。

 

操体を「自分でできる」と認識している人がいます。
間違いではありませんが、それは「健康の度合いが間に合っている」(セルフケアが叶う)方に対してです。また、セルフケアができるなら、他者(家族)とかにもできると思う方もいるようですが、セルフケアよりも、他者(家族でも)に行うというのは、格段に難易度が高くなります。

 

操体も、よく聞くのが、試しにやってみたらビギナーズ・ラックですごく良くなったのだが、行き詰まった、という話です。

 

健康の度合いが足りない、自力自療に間に合わない人達のために、我々プロがいるのです。

 

ここで思ったのが、前述の護摩祈祷です。

 

護摩祈祷ができるのは、修業を積んだお坊さんです。
これは、ちゃんと決まっていますし、ちゃんと修業していない人が真似事でやると、大変なことになったりします。

例えば、低級な霊に取り憑かれたり、バチが当たったりします(先のコミックをお読みください)。

 

 

一方、信者や檀家さんは、日々のお勤め(朝晩仏壇にお水やお茶やご飯を供えるとか、お花を飾るとか、手を合わせるとか)は勿論できます。

 

 

しかし、法事とか護摩祈祷などの場合は、お坊さんに来て頂くか、お寺で法要をしていただきます。

 

 

操体もこれと同じなんです。

日々のお勤めは家でもできますし、自分でできます。自分でできる範囲のセルフケアです。

 

でも、法事とか護摩焚きとか、特別な場合は、専門家に任せるのです。

 

★なお、普段から日々のお勤めをなさっている場合は、護摩祈祷の時など、ご加護のループが行き渡りやすいようです。そりゃそうですね。

 

先のお願い(渦状波を家に来て教えて欲しい)というのは、
護摩祈祷を家にきてやって欲しいし、そのやり方を教えて欲しいということなのです。
修業がすっぽり抜けているのです。

 

 

ぼくのにゃんた

わははは。読んで泣きなさい。

 

わたくし、不定期ですが、駒場東大の生産技術研究所にも行っております。

 

バリバリ文系のわたくしが、理系の殿堂みたいなところに行くというのも不思議なことですが、大学を卒業するとき、本当は大学院に行きたかったのですが、諸般の事情でそれは叶いませんでしたが、あ、形はちょっと違うけど、今、大学院で研究室にご縁があるじゃん!と納得しております。

 

お隣には日本民藝館もあるし(旧柳宗悦邸)、橋本敬三先生が寄稿している「あだむ」の原本が保存されている、日本近代文学館もあります。

 

さて、大学には生協というお店があります。

生協には勿論文房具や食べ物も売っていますが、本も売っています。

 

生協で見つけたのがこの本です。

著者は、生研敷地内の先端研にいらっしゃるそうです。

どこかですれ違っているかもしれません?!

ぼくのにゃんた

ぼくのにゃんた

 

 少年とねこの「にゃんた」のお話です。

別に「お涙頂戴」ではないのですが、

 

ちょっと泣けます。