操体法大辞典

操体の専門家による、操体の最新情報など

定例講習@3月

操体法東京研究会の定例講習は、通常通り開催しています。

第四日曜の午前中は、「視診触診講座」。すでに第四、第五分析を学び、外気功(医療気功)で「臨床家の手」を作っているメンバーが参加しています。

今回はある議題が出ました。

 

「被験者(患者)が、感覚をききわけてくれない場合」というテーマです。

 

これは、操体臨床に携わる人間全てがぶち当たるテーマだと思います。


万が一、そんなことはない、経験したこともない、というのであれば、それは、操者が一方的に決めつけてやっている(例えば、可動域が大きい方がきもちいいという決めつけ。これは操体的にはかなり間抜けな問いかけ)のです。

 

これについて色々討議、実技をやりましたが、サッカー指導者でもある質問者は

 

「サッカーの指導と同じですね」

 

と言っていました。そうなんです。

 

そして、ここで生きてくるのが「第一分析」だったりします。
私達ですが、決して第一分析をないがしろにしているわけではありません。
使えるものは、第一分析をもっと使いやすく、リニューアルして使います。

習い覚えたことを「もう使わない」と否定するのではなく、上手くリニューアルできるところも操体の面白いところです。

 

午後の定例講習は、様々なポジションからのアプローチ。

 

寝ていても立っていても、側臥位でも、いかなるポジションでもできるのが、操体です(第二分析以降)。被験者が仰臥位になれないとか、伏臥位になれないというのは、実際によくあることです。

 

なお、第一分析は、二方向に動診を行うので、仰臥位、伏臥位、腰掛位、立位など、ポジションが限られます。

 

第一分析から、第五分析まで、自由に行き来しながら使いこなす。それが理想です。

 

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藝術部@春の映画祭

www.phantom-film.com

映画『ジョン・F・ドノヴァンの死と生』公式サイト | 全国大ヒット公開中

観てきました。

 

これは、今年一番のお薦めかもしれません。
また、単純な起承転結が好きな人には「よくわからん」と思われるかもしれません。
が、人間の生と死は単純ですが、生きるプロセスと死に関しては、単純ではありません。色々なことが複雑に絡み合い「彼の死の理由はこれで正解」ということではないのです。

 

この映画の監督、ドランは、リバー・フェニックスのファンだったそうです。

 

まず、音楽がいい。子役(ルパート)がいい。ジョン役の俳優(キット・ハリントン)もいいし、青年期ルパートもいいし、のナタリー・ポートマンとか、スーザン・サランドンとかキャシー・ベイツとか、脇を固める配役陣が素晴らしい。

 

ジョン(スター俳優)は、若くして薬物の過剰摂取で亡くなるのですが、長いことファンであるルパート少年と文通をしており、そのやり取りからジョンの人生と死を読み取る、というのがテーマです。

 

ストーリーは、成人して俳優、そして小説家となったルパートに、ジャーナリストがインタビューする、という形で進みます。

 

現在と過去が入り乱れ、家族間の葛藤や昇華などがめまぐるしく入れ替わりますが、ジョンは失意のうちに自殺したのではなく、希望を見いだした時に、薬の量を「しくじった」ので命を落としたのではないかというルパートの言葉には救われた気がしました。

wwws.warnerbros.co.jp

 

映画『ハーレイ・クインの華麗なる覚醒』公式サイト 大ヒット上映中!

 

待ってました!

文句なしに面白い。

「悪カワヒロイン」なんていう言葉がクソ(失礼)に聞こえます。

 

 

私のツボをいくつか挙げておきましょう。

ジョーカーと別れた後、ハーレイはペットにハイエナ(笑)を迎えます。

名前は「ブルース」。もう溺愛しており、バスタブで飼ってます。

私はここで大受けしました。

ブルース、というのはバットマンの名前です(ブルース・ウェイン)。
そして元彼、ジョーカーの最大の敵です。

ハーレイは、溺愛するペットのハイエナに、元彼の最大の敵の名前をつけているわけです。これだけでも十分ツボですよね。

また、一言で言えば、これは

「ズブズブに依存していたサイコパスな彼と別れ、新しい人生に目覚めた元精神科医のお話」とも言えます。

 

★ハーレイは、元々、ハーリーン・フランシス・クインゼルという精神科医だった

 

依存している恋愛から抜け出すのは、本当に辛いことです。

 

ハーレイがやったことは、髪の毛を切る、やけ食いをする、ローラーゲームに興じる、引っ越しをして、新しいペットを飼う、思い出の場所(薬品タンクに落っこちた工場)を爆破する、などして、抜け出す努力をする。

 

それが「華麗なる覚醒」なのでした。

 

依存している男と別れることができない、というのはよくある話です。

私の知りあいで、もう10年近く別れる別れると言っている人がいます。

相手の男性には相当ひどい目に遭っているのです。

今度こそ別れると言っているので「ハーレイ・クインの華麗なる覚醒」を観れば、と言ったら(あれは男と別れて覚醒する話だよ)、自分は彼と別れてからでなければ、そういう映画を観ても理解出来ないと思うとかなんとか言い出したので、結局この人は「別れる別れる詐欺」で、彼と別れる気は無いし、ずっと依存してるんだろうなと思いました。

 

まあ、それも人生。

覚醒するも人生です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

触れない操体臨床は二種類ある。

マドリードの小野田先生にメールを出してみたところ「町は静まりかえっています」という返事を頂きました。

 

また、ヴェネチアのムラノ島のヴェネチアン・グラス・アーティストの土田康彦さんが、ヴェネチアの様子をFBにあげていましたし、ヴェネチアで最も有名なスポット、リアルト橋を防護服の人が消毒している写真を見ました。

一日も早くこの状況がおさまればいいですね。

 

また、お寺関係では、毎月の読誦会が当面延期になったり、春の大般若講祈祷会が中止になったり、一泊参禅合宿が中止になったりしています。

 

さて、先日「臨床を飛ばす」ということを書いたところ、問い合わせなどを頂きました。


触れずに行う操体の臨床は、大きくわけて二つあります。

一つは

1.口頭で動診操法(感覚のききわけまで)指導するもの

2.時間と意識を操って「臨床」そのものを遠隔で行うこと

 

です。以前も書きましたが、2は、気功とはかなり違います。

 

(おさらい)

  • ヒーリング(レイキなど):自分をチャンネルとして、宇宙のエネルギーを通す。身近な症状の緩和、水の味を変える、花の鮮度を保つなどは容易にできる。
  • 外気功(医療気功):ある行法によって、身体に気をためる訓練をする。治療の際は、その貯めた気を用いる。最近では、気功家が消耗しないように、宇宙の気を取り入れながら、気功治療をするという手法がある。
  • 操体(左脳とばし遠隔操法)意識と時間と空間を用いて臨床を行う。身体に気をためる必要などはない。

 

ちなみに「臨床とばし」は文字通り「臨床を遠隔で行うこと」。

「左脳とばし」は、「左脳」の「アタマで考える」とか「正しいか正しくないか」「損か得か」で考えるような、左脳優位の状況を「ぶっとばしちゃう」ことです。

つまり「右脳優位」(感覚優位)に持って行くこと。

臨床とばしの「とばし」とは、飛ばすものが少し違います。

 

1.口頭で動診操法(感覚のききわけまで)指導するもの

こちらですが、例えば、私がフォーラムなどで、不特定多数の方相手に、口頭で、
般若経の指導を行う場合などが当てはまります。

 

また、最近Web会議とかWebでセミナーというのが増えていますが、電話やWebを通して、操体の動診操法(感覚のききわけまで)を指導することも、積極的に行う予定です。

 

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操体の常識は世間の非常識(1)

普段からマスクはあまりしない私ですが、ある勉強会に参加するのに、マスクの着用が必須ということで、マスクを探しましたが、普通のマスクがない!

 

手に入ったのは、パンクスかメタルかみたいな、黒マスクです(笑)

 

そして、渋谷は学校が休みの中高生で賑わっています(笑)。
そりゃそうですよね。

 

原宿近辺で、黒いボブヘアのゴスロリの女の子を見かけましたが、黒いマスクがとても似合っていました。。。

 

さて、先日個人レッスンを行った際、受講生の方から後で色々質問を頂きました。
メールでお返事を書いていたところ、

 

操体の特徴は沢山あるのですが、一番の特徴(現代医学とはちがうこと)を改めて思い出しました。

 

というのは、我々にとっては「普通」ですが、世間一般にとっては「普通ではない」ことなので、たまに忘れたり抜けたりするんです(当然すぎて)。

 

それを一つご紹介しましょう。

 

胃潰瘍の場合を考えてみましょう。

 

西洋医学は、ウィルヒョウという人が体系づけた「病理学」が基本です。

病気の原因、発生機序の解明や病気の診断を確定するのを目的とする、医学の一分野である。 細胞、組織、臓器の標本を、肉眼や顕微鏡などを用いて検査し、それらが病気に侵されたときにどういった変化を示すかについて研究する学問である。

よく引き合いに出しますが

 

胃潰瘍の原因は、ピロリ菌だから、抗生物質を使って、胃の中のピロリ菌を駆除しましょう」というのが、現代医学のやり方です。

 

操体は、まるっきり逆の考えを持っています。

生きていく上で、自分が責任をもってやるべき「必須責任生活」というものがあります。それは、呼吸、飲食、身体運動、精神活動です(他にも大事なことはありますが、自己責任ということを考えて、この4つを選んだそうです)。

この4つは人に変わってもらえません。
この4つには、それぞれ「ルール」があります。

そのルールを守らないと何が起こるかというと、ボディに歪みが起こります。

歪みが起こっても放置しておくと「何かヘンだなぁ」と、不定愁訴あるいは微症状(病気ではないが、ちょっと調子が悪い)が起こります。

 

なお、医療関係者やスポーツトレーナー系のテストに絶対出る(?)、セリエのストレス学説ですが、

 

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セリエのストレス学説。

 

ストレスの原因はストレッサーと呼ばれ、
その外的刺激の種類から
物理的ストレッサー(寒冷、騒音、放射線など)
化学的ストレッサー(酸素、薬物など)
生物的ストレッサー(炎症、感染)
心理的ストレッサー(怒り、不安など)に分類されるが
セリエの説では『ボディーの歪み』はその要因に入っていない

セリエの「ストレス学説」の中には「ボディの歪み」は入っていないのですが、橋本敬三医師は橋本敬三医師は、

『ストレスの警告反応期』に入る前に、運動系の構造と動きに歪みが発生している』と言っています。

 

このような見方も、操体の特徴です。

 

もっと放っておくと「胃が痛いなぁ」ということになり、病院に行くと「あ、胃に潰瘍ができてますね」ということで、病名をもらって、目出度く?胃潰瘍になるわけです。

 

治す時は、操体ではボディの歪みを正します。それに従って、疾患の進行がおさまって行きます。橋本敬三先生は「治療未完、治らないものもある」と書いていますが、ある人がインタビューでこれについて聞いたところ「治る前に死んじゃうから」という答えが返ってきたそうですが。。。

 

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病気になる順番と治る順番。

 

なお、治し方は操体だけではなく、息食動想の基本を用いれば、無限にあると言っています。操体は「生命は快に従う」というセオリーでやっているわけです。

なお、ボディの歪みを正して、二次的に症状疾患を解消するのですから「腰痛に効く操体」とか「膝痛に効く操体」というのは、理論的には、ありません(しかし、我々は、経験値もあるので、ある程度の予測は立てられますので、最適な操法を提供できるわけです)。

 

 

修禅寺と駒場のお地蔵様

伊豆の修善寺温泉、実は小学生の頃はしょっちゅう行っていました。というのは、父が勤めていた会社の保養所があったからです。今は「ラフォーレ」になってます。

 

というわけで、もの凄く久しぶりに、仕事で伊豆にいったので、修善寺温泉に寄りました。

 

そして、修善寺と言えば「修禅寺」です(温泉は修善寺でお寺は修禅寺なのだ)。

修禅寺曹洞宗のお寺なのです。勿論、小学生の時は「お寺」という認識しかありませんでしたが、今になってみると

 

「うっほ~。曹洞宗だ~!」なのです。


畠山は2017年に曹洞宗で在家得度しまして「芳鏡(ほうきょう)」という戒名を頂いています(在家得度なので、出家して尼さんになったわけではありません。。)。

 

そして、これは愛知の豊川稲荷もそうなのですが、修善寺も元は真言宗のお寺だったんです。

 

豊川稲荷(本院)に初めて行った時「何で曹洞宗のお寺にお大師様とお不動様が???」と思ったものですが、そういうわけだったのです。

 

修善寺は、何と、弘法大師空海が直々に開山したお寺で(なので独鈷の湯が近くにある)すが、途中で臨済宗に代わり、戦国時代、北条早雲の時代辺りに、曹洞宗に変わったそうです。昔は、お寺に着任した住職の宗派によって、宗派が変わったということは結構あったそうです。

 

なので、曹洞宗のお寺なのですが、お大師様(弘法大師空海)がいらっしゃいます。

 

私は、高野山真言宗結縁灌頂を、金剛界胎蔵界両方授かっていますので、真言宗も結構好きなんです。

「阿・吽」好きだし(笑)

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修禅寺

 

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南無大師遍照金剛。


なお、小学生の私が覚えていたのは、修善寺温泉を流れる川のど真ん中に「とっこのゆ」という「コウボウダイシ様がトッコでつついたらお湯が出た」という温泉でした。

 

改めて調べて見ると、弘法大師空海が、病気の父の身体を修善寺を流れる桂川で洗っている孝行息子を見て、持っていた独鈷で川から温泉を出し、父親の病気が癒えたという伝説があります。

 

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独鈷の湯。

ウン十年ぶりに訪れた修善寺温泉は、私の記憶にあるよりもずっと小さい町でした(当然か)。独鈷の湯も私が見た時とは場所が移動したそうですが、確かに川縁にあります。

 

そして数日後、たまに通る道にいらっしゃるお地蔵様を思い出し、ちょっと寄ってみました。

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駒場のお地蔵様。

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「〆切地蔵」。説明文通りです。
悪病を閉め出したという御利益があるお地蔵様なんですね。

 

こういう時節柄ですから、お地蔵様(地蔵菩薩)の真言をお唱えしてきました。

「オン カカカ ビサンマエイ ソワカ」を21回です。

 

勿論、手洗い消毒も大事です。

臨床飛ばし(触れない臨床)

前回は「触れない」といっても「口頭」で行った「心」にアプローチする操体臨床でしたが、今回は、10年前に「月刊医道の日本」誌の「新年のことば」に掲載された、三浦寛先生の寄稿をご紹介しましょう。

 

こちらは「本当に飛ばし」です。

 

接触」が危険であれば「触れない臨床」が生きてきます。
そろそろ「触れない臨床」の出番かもしれません。10年以上オープンにしていませんでしたが、我々は「触れない臨床」のメソッドを持っています。

 

「臨床飛ばし」は、分析法で言えば「第四分析」にあたります。これは「息診息法」がメインですが「飛ばし」も含まれています。

 

次回は、瀧澤一寛さん(東京操体フォーラム実行委員@てまり堂:岩手県久慈市)発案の「左脳とばし」という新しい言葉もご紹介したいと思います。

 

 

新年のことば 人体構造運動力学研究所 所長 三浦寛

「臨床飛ばし」2010年「月刊医道の日本」掲載


日本時間10月18日日曜日午前7時
英国時間10月17日土曜日午後11時

私はこの日から二週間、日本に居ながら、はるか英国に住む二人の患者を診ることとなった。


彼と彼女が眠りにつく時間を見計らって日本から治療をおこなう。

一人の彼は交通事故で、とある病院に入院中、一人の彼女は英国のとある街で生活している。


私が知りうる二人の情報はこれだけである。

私には二人から依頼があったということだけで十分である。

私はこの二人に意識を通すことで、からだのとこを診なければ ならぬのかが認識できる。


患者を目の前にして視診・触診・動診しなければ臨床ができないということがなくなってしまった。

改めてわかったことは、なぜ視診・触診・動診をと おすのか、それはそうして診なければわからないということである。

しかし、わかってし まえばその様な診断をとおす必要も無いということもわかった。

意識は、意識すること によって時間や空間、その距離を一瞬に超え、現象を写し出してしまうことがわかった 。

我々は時間との制約の中で生活しているが、実は本当は時間や空間(距離)が無い 次元に生かされていることに気づくのである。

 

臨床中、私の意識が届いているのかどうか、からだの反応や変化が起きているのかどうかは私自身に写し出される、ある現 象によって認識できる。

 

二人の経過はすこぶる順調で、回復にむかっている。

このような臨床がなぜ可能なのか、その問いかけがわかってしまえば誰にでも可能なことで ある。

 

又その問いかけは、実にシンプルなことで、何一つ難解なことではない。

 

この内 容については出版の機会を得て公表したいと思う。

 

 

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口頭で「操体臨床」を行う

操体の第四分析に「息診息法」というのがあります。

この中には「飛ばし」という「臨床を飛ばす」(つまり、遠隔的)なものもあります。

 

第三分析、渦状波®を「気功ですか?」という方もいらっしゃいますが、外気功を修めている私から言えば「第三分析も第四分析も、気功とはちょっと違う」と言えます。

 

それとは別に「触れずに口頭で操体臨床」をやってみたので、ご紹介しましょう。

触れずに口頭で操体臨床と言えば、いくつかの方法があります。

 

一つは、不特定多数を相手に、口頭のみで指導する方法。わかりやすく言えば、フォーラムやセミナーで、複数を相手に、口頭で、スポーツクラブのインストラクターのように、指導する方法です。

「はい、それでは、足は腰幅、つま先と踵は平行に~」みたいな。

 

もう一つは、カウンセリングではないですが、対話形式での臨床です。

 

先日日曜、午前中の視診触診講座の際、フォーラムのメンバ-であるH君が背中と腰をさすっており、立ったり座ったりするときに、痛そうな顔をしていました(って、痛いんですよね)。

 

昨年一人暮らしを始め、仕事も結構タイトな感じで、ちょっと痩せたかなという感じです。

 

その前に、私は受講生達に本を紹介しました。

臨床家なら読んどけ!シリーズです。

 「椅子がこわい」は、松岡正剛さんの「千夜千冊」にも登場します。

1000ya.isis.ne.jp

腰痛放浪記 椅子がこわい(新潮文庫)

腰痛放浪記 椅子がこわい(新潮文庫)

  • 作者:夏樹 静子
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2016/07/22
  • メディア: Kindle
 

 

そして、これも「臨床家なら読んどけ!」の「腰痛は怒りである」。サーノ博士の有名な著書です。

 

腰痛は<怒り>である 普及版

腰痛は<怒り>である 普及版

  • 作者:長谷川 淳史
  • 出版社/メーカー: 春秋社
  • 発売日: 2002/03/09
  • メディア: 単行本
 

 この二冊とも、腰痛が「心的要因」で起こっていることを紹介しています。

 

・・・

 

私はひらめいたので、私の隣に座っていたT本君に、

「実際の臨床時のように問診してください」と伝えました。

 

T本君がH君に問診すると、H君は「実家で食べ過ぎたかも」とか「どこそこに痛みがあり」「何とか筋とか何とか骨のあたりが云々」と、今、自分が感じている「外的な症状」を色々述べました。まあ、いっぱいあるもんです。

 

私は、何に閃いたかというと「心因性」という言葉でした。

また「怒り」というキーワードも浮かんできました。

 

「外的症状」を一旦全部吐き出して貰った後、私は「ここから、操体の臨床、つまり、からだに触れずに、言葉を用いた臨床を始めます」と、受講生達に伝えました。

 

その後、私がやったのは、

「H君の隠れた怒り」を、質問と会話のやり取りによって、解放したことです。

 

ちなみに「怒り」は、人に向かってキレるとか、対外的に暴力を振るうとか、他者に迷惑をかけるのはよくありませんが、「怒り」を「ないもの」として封印するのはもっと良くないのです。別に外に向かって「キレなければ」いいのであって、怒りという感情に光りを当てることなんです。

 

どうやったか、というのは、質問して、傾聴しただけです(もうちょっと他の手も使いましたが)。

 

終わってから、H君の背中の痛みは消えて、表情も明るくなっていました。

 

「嫌われてもいい」

「相手がやるよりも自分がやったほうが早いから、つい自分がやってしまう」←

これ、私も昔やりすぎて壊れそうになったので、よくわかります。

しかし「自分がやった方が早いよね」と、後輩に回さないと、後輩が育たないことがわかったので、自分よりもスピードが遅くとも、後輩に回すことを覚えました。

 

 

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

 

 今更感もありますが「嫌われる勇気」は、参考になります。

 

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 そして、悩みとは無縁(敢えて言えば、ご主人様がハグして離してくれないのが悩みと言えば悩み)のりんちゃん。