操体法大辞典

操体の専門家による、操体の最新情報など

Big Sur対応Onyxリリースされました。

こんにちは。畠山です。

 

私は1994年に、Performaを買ってからのMacユーザなんですが、途中、猫も杓子もWindows95(当時は、何だか分からずにディスクを買った人が、CDプレイヤーに入れて再生して、CDプレイヤーをぶっ壊すという事件が頻発しました)の時代にも負けず(会社ではWindows使ってたけど)、ジョブズがたった一度、Mac Expo Japanで基調講演した時は、初代iMac (ボンダイ・ブルーのヤツね)を買って、抽選に応募して、見事参加権利をゲットして幕張メッセで「生ジョブズの基調講演」を聞いたというMac好きです。

あれは、感動的でした。。。

探したらあったので貼っておきます。そういやすごく並んだなぁ。

ascii.jp

当然ですが、iPhoneユーザだし、時計もApple Watchです。iPadも勿論数台持ってます。しかし、何故か原稿を書く時は、キーボードをバンバン叩けるほう(打鍵感?)があるほうが書きやすいので、Windowsも使ってます。長年両方使ってるので(デスクにWindowsMacが両方ある)、切替も瞬時にできます。

 

それはさておき、先月(2020年11月)、MacのOSがX(テン)になってから以来の、メジャーアップデートがありました。TenからElevenです。

 

ちなみに、私は今年の6月に、Macbook Proを買いました。

Macって普通起動時に「ジャーン」って鳴るんですが(これが鳴らないとなんだか気持ち悪い笑)、Macbook Proは鳴らないヤツがあるんです。カバーを開けると自動的に起動してくれるんですね。

そしてやはり「鳴らせたい」という人はいるようで、色々な小細工がネットで紹介されていました。しかし、私のは「小細工しても鳴らないやつ」だったのです。

www.itmedia.co.jp

上の記事には「この音に関するドラマはもう生まれないのか」とあります。

 

私以外にも「ジャーン」(ビートルズの曲に由来する)が好きな人は世界中にいるんだろうな、と思っていたら

 

Big Surにアップデートしたら、復活しました。

私は勿論素直に喜びました。

iphone-mania.jp

やっぱり、世界中にアレがないと、どうもMac使ってる気がしないよね、と言う人がいるのでしょう。一方「起動音を消したい」人もいるようです。まあ、お好みってことで。

 

そして、Mac用メンテソフト(無料というのがすごい)のOnyXのBig Sur対応版がついにリリースされました。

www.titanium-software.fr

OnyX 3.9.1 for macOS Big Sur 11
Requirements: Mac Intel computer running macOS Big Sur 11.

インテル版)

 

 

新型のコロナ感染症予防対策についての共同宣言(シェア)

この宣言の中には、私が「なるほど」と思うお医者様が二人、含まれています。

 

吉野先生と、矢作先生です。

 

吉野敏明先生は、塩沼亮潤大阿闍梨様の主治医でもあります。また、何代も続く鍼灸師の家系のお生まれです。


また、現在矢作直樹先生が著書で書いていらっしゃることは、橋本敬三先生がおっしゃっていたことと、共通点が多いのです。

 

新型のコロナ感染症予防対策についての共同宣言 | WeRise

www.werise.tokyo

 

 

操体法は、実はオンラインに向いている

先日、いつも操体の施術を受けて下さっている美容師T兄のお店に行って、パーマをかけてきました。

 

 

彼はいつも、足趾の操法®を受けて「左脳とばし」(という二人以上で行うものがあります。文字通り、きもちよさでぶっ飛びます)を受けており、目を閉じていると、鮮やかな色や光が見えたりする「かなり上級の」クライアントでもあります。

 

そこで操体法のオンライン講座をやった」という話をしたところ、

 

「えっ?そうなの」という答えが返ってきました。

なるほど、T兄はいつも「足趾」とか「左脳とばし」を受けているので、「操体のセルフケア」をやるという感覚が希薄(きはく)なのかな、と思いました。

 

橋本敬三先生の時代は、当然ながら診療所で操体の臨床をやっていたわけですし、医者と患者という間ですから、先生が患者を治療するというスタンスです(わら半紙に印刷した『般若身経』を配って、家でやりなさい、という指導はあり)。


操者がいて、被験者に動診操法を行う。これが基本でした(一対一)。

 

そして、三浦先生が東京で開業し、しばらく経ってから、二子玉にあったカルチャー系のスタジオから「操体法を指導してくれないか」というオファーがあったんだそうです。

 

いわゆる、スタジオですから、何人もの生徒さんが集まります。

いままで一対一での臨床しかやっていなかったので、三浦先生も、最初はどうしようかと頭を捻ったそうですが、そうか、口頭で指導すればいいんだ、と思いついたのだそうです。
この教室は大人気で、最初一時間だったものが二時間になり、結構長いこと続いたそうです。

 

興味深かったのは、生徒さんから三浦先生に「家でもやりたいので、先生の声を録音してもらえませんか」というリクエストがあり、「言葉の誘導」を録音したこともあるそうです。


そして、これが操体法の面白いところなのですが、映像を見ながら実践すると、感覚分析がおろそかになります。見ながらだと、そっちに意識が向いてしまい「からだの声」をききわけにくくなります。また、目を閉じて行ったほうがいいのです。「感覚」に意識を向けられますから。

 

目を開けていると、意識せずとも莫大な量の情報が入ってきます。それを一旦遮断するのも、感覚の勉強の一つです。

 

なので、目を閉じている時に「言葉の誘導」をききながら、というのは、「モード」に入りやすいのです。

 


最初に見る。見て、アタマの中で。ありありと想像できるくらいまでだとなお良し。
それから、指導者の言葉の誘導に合わせる。

 

これが、操体のセルフケアのベストウェイだと思います。

体操のように一緒にやるのは、視覚が優位になり、目からの情報が多すぎて「からだの感覚」をキャッチしづらくなります。

 

 

「言葉による誘導」。これは実際に指導をやってみるとわかりますが、人は、なかなか自分の思い通りには動いてくれません。

さらに、個々人の感覚を重要視して、それぞれのペースでセルフケアの操体を行って貰うには、誘導のコツがあります。

 

実は「操体法を口頭で不特定多数に指導する」のは、一番上級の指導テクニックなのです。

 

普段の操体臨床でも「言葉の誘導」は非常に大事です。
皆さん、操体の臨床は「操法を覚えれば」いいと思っているかもしれませんが「被験者の『からだ』との対話法」を抜くわけにはいかないのです(これは、非言語的なものも含みます)。

 

私自身は、以前朝日カルチャーセンターで教室を持っていた時に、かなり鍛えられました。

 

また、スペインのセミナーで、100名近くに通訳を介して般若身経を指導した際も、かなり鍛えられました。

 

それが役にたった事があります。

それは、写真の学校に行っていた時のこと。フォトグラファーは、時にモデルさんに声をかけて、ポージングをしてもらう場合があります。

 

私は操体法の指導で慣れていたので、すぐ出来ましたが、先生からも「ポージングの指導、慣れてるね」と言われました。
モデルには、わかりやすく正確な情報を伝えなければなりません。

 

なお、我々はこの「言葉の誘導」をじっくり勉強します。
それも「本人にではなく、からだにダイレクトに響くもの」をです。

「教えました」「はい、今日からできます」というものではなく、ギターのFコードのように、最初はどんなにしっかり押さえても音が鳴らないのに、ある日、ほんの軽く触れているのに「ジャーン」という音がでるようなもの(これを「Fコードの法則」と言います)です。

 

そして、思い出しました。私が開業して間もない頃のこと。

クライアント(30代女性)から、夜電話がかかってきました。
動いた拍子に「ぎっくり」やってしまったそうです。

幸いに、からだの向きは変えたりすることができるので、ダメもとで、口頭で動きを伝えてみました。からだが覚えているかもしれないと、彼女が受けたことのある動診で、シンプルなものを選んだのです。

およそ10分くらい電話で色々伝えていたでしょうか。
取り敢えずは痛みがおさまったとのことでした。


翌日メールが来ましたが、痛みが再発もせず、調子もよいとのこと。

 

もうひとつ。これは東京から関西に引っ越していったクライアント(20代女性)から電話がありました。転んで膝を捻ってしまい、痛くて歩けないのだそうです。

この時は、私の指示に従って、少し足を動かして(痛むところは動かさないように)もらい、呼吸とか目線も用いてもらった記憶がありますが、電話の途中で

「あれ?先生、膝、入ったみたい。今音がしました」という訴えがあり、「あれ?痛みがすごく薄らいできました」というので、感心したことがあります。


つまり、橋本敬三先生がおっしゃる「整復コース」に乗せれば、口頭での指導でも、操体臨床は可能だということです。

 

というわけで「言葉の誘導」があるお陰で、操体法はオンラインでの指導に向いていることを改めて感じています。

 

今までも内々では、オンラインでの講義などはやっているのですが、般若身経や、セルフケアなどについては発信していく予定です。

 

 

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原始感覚を目覚めさせてから「快」へ

すごく昔の操体法の本を読んだ人が、

「もう、瞬間的に全部変わるの!」くらいの大期待をして来られることがあります。

 

確かに、私も今までに何件か「えっ?」と思う程の変化を見たことがありますし、三浦先生のところでは、行きは車椅子でやってきて、帰りは歩いて帰った患者さんの姿を何度も見たこともあります。

 

しかし、大抵は「息食動想+環境」のバランスを崩して、時間をかけて、からだを壊しているのだから、そんなに劇的な変化を求めるのは性急というものです。

 

以前、三浦先生のところに、図書館で借りたという「操体法治療室」を持った若い男性が来ており(私は後ろで見ていた)

 

至高体験がしたいんです』と、言っているのを聞きました。

 

私が想像するに「快」→「至高体験」みたいなことを考えていたのでしょう。

実際、渦状波®で、至高体験(宗教的エクスタシーっぽい人を見たことがあります)が、これは、その人の体質や感受性にもよる(被暗示性とか)でしょう。

 

かといって、いきなり治療室にやってきて、治療も受けずに?至高体験したいと言ってもねえ。

 

結局その人はお茶を飲んで帰ったような記憶があります。

 

そして「きもちよさがわからない」「すごい変化がない」と言って「自分は操体に向いてないんじゃ」という人がいます。

 

これは、操者の指導の問題も勿論ありますが、「すごい期待」をしていらっしゃる方もいるんだな、と感じる事があります。

 

この話題は三年に一度くらいは私の前で起こるので、そろそろこの時期かな、と思ったりもします。

 

それは「快」に関する、過度な期待です。

 

大前提として、操体で言う快とは、生活や世界の中に存在する大きなくくりの「快」ではなく操体臨床時に、からだがききわけ、味わってみたい要求を満たす快」ということです。

 

「きもちいいなら何でもいい」とか「快は全て操体だ」というような乱暴なカテゴライズではありません。

 

また出すのは気が引けますが、その昔「人を殺すのが快だ。快楽殺人も快ならば、どうなんだ」という変な人がいました。橋本敬三先生もおっしゃっていますが、人に迷惑をかけたり、過度にならないのが鉄則です。快楽殺人というのは、あきらかに人に迷惑というか、犯罪です。

 

最初に行っておきますと、操体で味わうことができる快は、我々が「憶の快」と呼んでいるものです。性的な快とは異なります。

 

このあたりは、アタマで考えずに、体験して体感していただくのが、早道です。

 

「考えるな。感じろ」by ブルース・リー

 

一方、快を識別するには「快か不快か」を選ぶ力「原始感覚」が必須です。

現代人は「正しい・正しくない」「損か得か」という選択肢で生きているのと、アタマを使いすぎて「原始感覚」が鈍っています。

 

例えば、自分の舌よりも、ネットの「○○ログ」を信用したり、並んでいるお店だから並んでみたり、というように、自分で「快不快(好きかきらいか)を選ぶチャンスが減っているのです。

 

なので、本来ならば、快適感覚のききわけにすぐ入りたいのですが、そもそも「原始感覚(快か不快かききわけるちから)」が鈍っているので、それを甦らせる必要があります。

 

原始感覚を蘇らせる一番の方法は何かというと「快を味わう」ことです。

 

私自身は、これに一番マッチしているのが「足趾の操法」だと思っています。

 

初診のクライアントの場合、カチカチに緊張しているとか、本人が気がついていなくても、全身が緊張している場合が多いのです。

このような場合は、操法を行っても、こちらが意図した通りにはいかなかったりします。

 

例えば、つま先をすねに向けて反らせて、それから脱力(急速脱力ではない)を促しても、力がはいったままであるとか、膝を傾倒させて、力を抜かせても抜けない(瞬間急速脱力ではない)、本当は全部抜いて欲しいのですが、ピョコン!と両膝を真ん中に戻してしまうとか「緊張」が操法の進行を妨げることがあります。

 

なので、緊張が強いとか、初回は、足趾の操法など、比較的操者がアプローチするものからはじめ、緊張をほどいて、原始感覚を蘇らせることからはじめなければなりません。

 

ところが、アタマで考える人は「いっかい受けたけど、よくわかんない」と言ったりします。

 

この「アタマで考える」のを吹っ飛ばすのが「左脳とばし」です。

これは、かなりぶっ飛びますが、一人だけ、施術の最中ずーっと喋っていて、たまに意識が飛ぶのですが、あとで「きもちよさってよくわかりませんでしたー」という人はいました。

 

「本人」は気がついていなくても「からだ」は、反応しているのです。

アメリカの医療ドラマで「患者はウソをつく」という決まり文句があるそうですが、「からだはウソをつかない」のです。

 

操体臨床における快」というのは、感覚ですから、学習する必要があります。

 

最初から「失神するくらいの快」を期待してはいけません(笑)。
「処○なのにめちゃくちゃ○度が良くて初○○から○じまくり」とか、「失神するくらいのめくるめく快感」は、映画とか本とかの中のお話です。

この話をすると笑われますが、実際にこういう期待をしてくる人がいるのです。

 

実際、初めて受けて宗教的エクスタシー、みたいな人もいますが、数としては非常に少ないことです。

 

しかし、最初から「エクスタシー」にいかないからと言って「私に操体は合ってない」というのは性急すぎるというものです。

それはあまりにも残念です。
「失神するような快感を得られなかったので、私には向いてない」というくらい(あ、笑ってます?でもホントなんですよ)なんです。

 

また、これも面白いのですが
「きもちいいけど、ちょっとしかきもちよくない」という人もいます。
人間、きもちよさに対しては、あまり寛容ではないというか「めちゃくちゃきもちいい」とか「失神するほどきもちいい」レベルでないと認めて貰えないのでしょうか。
裏を返せば「快」に対する期待が高いのかもしれません。

 

面白いのは、足趾の操法の反応です。

 

最初「なんともないです」

だんだん「きもちいいけど、ものすごくきもちいいわけじゃないです」

2ラウンド目「ぐ~」(寝ている)

3ラウンド目「すんごくきもちいいです~」

同じ「足指をもむ」でも、1ラウンド目と2ラウンド目では、感覚が違うんです。

そして、これは不思議なのですが、足趾は1ラウンド目よりも2ラウンド目、2ラウンド目よりも3ラウンド目、というように、回数を重ね、快を味わえば味わうほど、きもちよさの質が高くなってくるのです。

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趾(あしゆび)の背屈

 操体法の中で、多分一番目か二番目に有名なのが、足関節を背屈させ、足背に介助あるいは抵抗を与え、脱力させるものでしょう。

 

これは、単に足関節を背屈しているとか、つま先をあげているのでは、ありません。

厳密に言えば、趾(あしゆび)の背屈です。

 

私の場合、趾を反らせたあと、被験者の足首の状態によって、足首も軽く背屈するように促します。

 

おっと、その前に、一番最初に、カカトで支点を作っておきます。

橋本敬三先生が「カカト踏んで」とおっしゃっていたのも納得です。

  1. 操者は、被験者にカカトで支点をつくることを指示する(ex. カカトを支点にして)
  2. つま先が、脛にむくように(操者は、導誘して趾が脛に向かうように)
  3. この時、足背に介助を与えても構わないが、ここで
  4. 「カカトをお尻の方に、軽く引くような感じ」(引かせるのではなく、カカトを支点にして、皮膚を使って臀部方向に軽く引くようなイメージ)をさせると、背中が軽く反ってきて、足背に介助補助を与えなくても、全身形態に連動が起こる。
  5. つまり、カカトを支点にし、つま先(指先)が、反るようにしながら、カカトをかるく臀部に引くような感じで、連動を促すと、背中が軽く反ってきて、全身に波及する
  6. ここからの問いかけは、被験者の「慣れ」の度合いによって使い分ける。

 

なお、カカトの下に「肉団子(通称)を入れたり、バリエーションがあります。

 

一つの型の応用です。

 

操法の後の「脱力」いろいろ

  1. 数秒間たわめの間をもって、瞬間脱力(第一分析)。二~三回繰りかえす
  2. 抜きたくなったら抜いて、という指導をする(D1')。回数の要求は、はからだにききわける
  3. きもちのよさがききわけられたら、第二分析に移行する。回数の要求はからだにききわける

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継続は力なり(腰痛とか膝とか)

知りあいが「先週歩けなくて整形に行って、注射を打って貰ったら、半日後くらいに痛みがなくなった」と言っていた。左の梨状筋辺りから、腿の裏側にかけて痛かったのだそうだ。

局所麻酔というやつだ。

 

動作を見ると、同手同足でモノを拾う。

左足を一寸前にして拾えるか?と聞くと、左足に体重がかけにくいという。

その人は、右利きなのに軸足が右で、あきらかに右足に体重をかけるのがラクなのだそうだ。

 

また、左股関節付近のレントゲンを撮ったところ、大腿骨頭に「加齢」による、石灰沈殿があったそうだ。

 

なるほど。操体法の場合、症状疾患にはとらわれないので、ここでは「なるほどと」と、あくまで事実を見ることにする。

 

そして、興味深かったのは「毎月2回ホットヨガに行っている」ということだった。岩盤浴もあるので、結構たのしいらしい。

 

ちなみに「運動不足」だから、からだに痛みが起こるというわけでもない。

この人は、数年前膝が痛かったのだが、「運動不足?」と思い、ウォーキングを始めたら膝の痛みが改善したらしい。

これは、ウォーキングをしたので膝の痛みが解消したのではない。

 

私の経験談のように、右手でモノを拾う際、右足を出していたのを、左足を前に出して拾うようにしただけで、膝の痛みが解消した例もある。
この場合は、左足を出してモノを拾ったから膝痛が解消したのではなく、からだにとって、自然な使い方をしたので、全身のバランスが整い、結果的に膝の痛みが解消したと考える。なお、この方は、その後定期的に操体法のメンテナンスをしっかりやっているが、膝の痛みは8年近く再発していない。

 

ウォーキングによって、足(大腿部)の筋肉を使うようになったので(大腿筋と膝は関連性がある)、また、歩く事によって気分がリフレッシュ(継続して歩くと脳内ホルモンが分泌される)したこともあるだろう。また「運動している」という充実感もある。

 

ヨガもウォーキングも「継続」しているのだ。

ヨガをやったから良くなった、歩いたから良くなったというよりも、「継続したので改善した」と考えたほうがよいのだ。

 

しかし、我々のような手技療法の場合は「一度行ったらよくなる」ことを期待されることが多い。が、それは程度による(まあ、期待されるのは当たり前かもしれないが)。

 

勿論一度で結果が出ることもあるが、基本的には、継続が必要なのである。

 

  1. ギックリやっちゃった!(いままでの習慣の積み重ねが、一気に噴出)
  2. 動けない!(自分では対処できない状態)
  3. プロの出番(まずは応急)
  4. プロの出番(生活習慣とか経過チェック)
  5. プロの出番(自分でケアできるところまで健康度合をアップさせる)
  6. プロの出番(セルフケア指導)
  7. 自分でケア
  8. 定期的にメンテ

 

8の「定期的にメンテ」だが、髪の毛も自分でカットできるし、顔も自分で洗えるし、パックもシェービングもできるけれど、たまにはプロにカットしてもらったり、プロにフェイシャルをお願いしたり、と、たまのお手入れ(メンテ)には、プロの手を借りるといいですよ、というお話である。

 

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本当に「きもちのよさを味わえる」操体法のセルフケアとは。

昨日の第五日曜は、午前中が、東京操体フォーラム実行委員による打合せ、午後は、zoom(オンライン)と実際の出席者による「塾SOTAI」でした。

つい先週、東京操体フォーラムを終えたばかりですが、終えたばかりなのに、三浦先生から、また「すごいの」が出まして、私は「ああ、操体勉強しててよかった」と思いました。

 

 

操体法実践者や、体験者であれば「仰臥位(あおむけ)膝二分の一屈曲位で、膝を左右に倒す」というのは、見たこと、聞いたことがあるかもしれません。

 

さて、私がその昔、操体初心者だったときのことです(当時は、楽な動きと快適感覚の区別がついていなかったし、三浦先生に師事する前の話です)。

 

両膝を左右に倒して、どちらが楽ですか、辛いですか(やりやすいですか、やりにくいですか)と、問いかけます。

(楽か、辛いかの二者択一の第一分析です)

 

楽な方がわかったら、楽な方にゆっくり倒して、操者は被験者の膝を支えます。
そして、数秒後に、被験者は、瞬間急速脱力します。

(操者は、被験者の膝を支えたままです。中には手を離してしまう操者もいますが、それでは被験者も操者も怪我をする可能性があります)

 

これ、一人でやると、操者の支えがないので、面白くないんです。
つまり、操者の支えと、脱力後の支えあっての「運動充実感」なんですね。

 

ある時、某所で操体のセルフケアを習ったという方が見えました。

色々聞いてみると、上記の「膝の左右傾倒」を一人でやる場合は、倒しやすい方の膝側に、クッションをかませて、クッションに向けて脱力操体法実践者や、体験者であれば「仰臥位(あおむけ)膝二分の一屈曲位で、膝を左右に倒す」というのは、見たこと、聞いたことがあるかもしれません。

 

さて、私がその昔、操体初心者だったときのことです(当時は、楽な動きと快適感覚の区別がついていなかったし、三浦先生に師事する前の話

 

両膝を左右に倒して、どちらが楽ですか、辛いですか(やりやすいですか、やりにくいですか)と、問いか

(楽か、辛いかの二者択一の第一分析です)

 

楽な方がわかったら、楽な方にゆっくり倒して、操者は被験者の膝を支

そして、数秒後に、被験者は、瞬間急速脱力します

(操者は、被験者の膝を支えたままです。中には手を離してしまう操者もいますが、それでは被験者も操者も怪我をする可能性があります

 

 

これ、一人でやると、操者の支えがないので、面白くない

つまり、操者の支えと、脱力後の支えあっての「運動充実感」なんですね

 

ある時、某所で操体のセルフケアを習ったという方が見えま

 

色々聞いてみると、上記の「膝の左右傾倒」を一人でやる場合は、倒しやすい方の膝側に、クッションをかませて、クッションに向けて脱力すると習ったんだそうです。

 

たしかに、クッションかますのも手です。

 

一方、クッションだと「充実感」に欠けるんです。

ためしにやってみてください。クッションに向かって瞬間急速脱力。

悪い事はないと思いますが、人の手で支えてもらう安心感や、充実感には欠けるはずです。

 

 しかし、道具を使ったりしなくても「充実感があり、快をききわけ、味わうことができる」やり方は、あります。

 こちらの本は、三浦先生の処女作ですが、後半に、セルフケアの操法が結構載っています。また、

 

 こちらにもセルフケアの操法が載っています。

 

しかし、これらはいずれも20年以上前に公表されたもので、実際にオンタイムで学び実践指導している私達や、三浦先生ご自身にとっても

アップデートが必要になっています。

アップデートが必要だと一番感じているのは、執筆当事者だと思いますが、これらの本をそのまま参考にして、というのは、ちょっと古い。

 

これらの本を参考にして下さっている方々は、大変ありがたいのですが、ちょっと残念です。アップデートしているのです。

 

最近のは、もっとシンプルでなおかつ強力です。

 

そして、この辺りを覚えて頂こうと思っているのですが、一つ条件があります。

 

それは「(私が)きもちよさを探して色々うごいてみる」のではなく「(動診、つまりある動きを試してみて、きもちのよさを(からだにききわける)」ということの区別がついている、ということです。

 

文章に書くとなんだかややこしいかもしれませんが、

きもちいいかどうかというのは、動いて(動診)から、判断することである、動診と操法の区別がちゃんとつくようになってから、ということです。

 

ここを最初にクリアすると、進捗が早いです。

 

今度は、このあたりをセミナーでやろうかと考えています。

 

 

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