操体法大辞典

操体の専門家による、操体の最新情報など

ベーシックな動診操法のレッスンを考える

操体法」と言えば、大抵の人は、つま先を上げて落とすヤツとか、膝を左右に倒すヤツとかを想像するのだと思います。

 

実は先日も「本を読んで操体法をやっている(それも、他者向け)」という方がいらっしゃったのと、ご本人も、自分がやっているのが本当に大丈夫なのか果てしなく不安であるということなので、レッスンをしました。

 

下のイラストは「万病」からお借りしたものですが、この絵だけ見ると、操者が被験者の足を外側からガバッと掴んでいるようにしか見えませんし、この他に掲載されている写真をみても、このように「ガバッと足を掴んではいない」のです。

 

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この挿絵だけでは、本意が伝わりません。。

 

そして、これだけを見ると「操者はどんなポジションを取っているのか」「どんなスタンスをとっているのか」ということに、全く触れていません。

 

実は、操者は「被験者に対してどこに位置してるか」というのは、とっても大事なことなんです。

 

そして、まあ、普通に考えれば、操者と被験者のコンタクトポイントが足の甲だけ、なんてことはないのはわかるはずなんですが、大事なコンタクトポイントは、他にもあります。

 

操者は1箇所だけではなく、2箇所被験者に触れているのです。

 

ちなみに、私も第1分析から限りなく第2分析に近い「D1’」(ディーワンダッシュ)というのを臨床ではよく使いますが、その時のコツを書いてみましょう。

 

操者の立ち位置を考える

被験者には、事前に数ヶ所触れて、意識付けをする

力ませないよう、全身が連動するような誘導を行う(全身を連動させて~、なんていう言い方はしません)。

この場合「本人」を誘導するというよりも、「からだ」を誘導します。

無理な瞬間急速脱力はさせない。

また、第2分析ではないので「きもちよさが聞き分けられるか」という問いかけは、しません。なお、本人が「あ、これきもちいいです」と言った場合のみ、第2分析に切り替えます。

D1'では、くれぐれも操者から「きもちのよさ」を確認しないことです。

 

ここで「きもちいいですか」と聞いてしまうのが、第1分析と第2分析の区別がついていない人なんです。これをやると、失敗します。

これで失敗して、挙げ句の果てに「きもちよさを探して」というように、変な方向に逃げる人もいます。

(きもちのよさは、感じたり聞き分けたりするもので、探して見つかるものではありません。探してみつかるのは「楽なポジション」くらいです)

 

私自身、この「足関節の背屈」をやって30年近く経ちますが、奥深い操法です。

 

 

 

日本近代文学館と「あだむ」

今日は時間がとれたので、駒場公園内にある、日本近代文学館に行ってきました。

駒場公園の中には、旧前田侯爵邸と、日本近代文学館があります。

前に来た時も「アダム」案件でしたっけ。

 

「アダム」とは、操体創始者橋本敬三先生が、新潟医専時代に、同級生だった式場隆三郎先生と活動していた同人誌です。

 

(山下清や、草間弥生を見い出し、日本で最初の近代的精神病院を設立、「医家藝術」の初代会長。精神科医であり、芸術探求者)

 

 

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秋晴れの良い天気です。

 

先日、式場隆三郎回顧展の図録を買ったのですが、その中に、若き日の橋本敬三先生が参加していた「アダム社」と、冊子「アダム」について、なかなか詳しい説明が載っていたのです。

 

勿論、橋本先生についての記載があります。

 

私は第一期くらいまでしかチェックしていなかったのですが、実は新潟医専でメンバーが卒業後、2年経ってから式場氏が東京で再度「アダム」をを発行しており、その時の参加メンバーに、橋本敬三先生が加わっているのです。

図録には、新潟医専卒業後「橋本は兵役に就いた」という記載があります。

東京で活動を再開した「アダム」に、橋本先生は遠方から参加した状態だったようですが「兵役について、自分は恐ろしく堕落した」というような、かなり悩み深い文章を書いています。新潟で一緒にやった仲間が、東京集って活動再開したのですから、もちろん東京に行きたかったのかもしれません。

 

時期的に「救いと報い事件」以降の話です。

無名の牧師との出会いと天啓以降も、やはり悩める青年は、悩んでいたようです。

 

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「アダム」の目次。式場隆三郎の隣に「橋本敬三」!

11月23日の「2021年秋季東京操体フォーラム」では、この辺りのことを少しお伝えする予定です。

 

www.tokyo-sotai.com

 

第2回実践易占入門(11月13日開催)

2021年11月13日(土)17時~19時、オンライン開催致します。

今回は「易は、編集である」的なテーマです。

 

易占を立てようと思った時、一番困惑するのは、易経の何だかよくわからない難しい?言葉を、如何にして編集して相手に伝えるかということなんです。

これは、易者ならずも、タロットなどもそうですよね。

例えば「死」が出たからと言って「死ぬ?」ってことはないわけです。

この辺りの「編集」の方法が大事なんですね。

 

参加費用は1000円。お申し込みは、こくちーずproから。

 

 

www.kokuchpro.com

 

第2回 実践易占入門 2021年11月13日(オンライン・Zoom) - こくちーずプロ

 

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易は、編集である。

 

第0回は「易の勉強のしかた」、1回目は、実際にどのように立筮(りつぜい)し、どのように読み解くのかということをご紹介致しました。また、古典落語に登場する易者の話や、映画の中に登場する占筮のシーンなどもご紹介した後、最後は実際の「占的」を例題として、立筮し、参加者がそれぞれ占ってみる、という手順を踏んでみました。

 

新部先生がご紹介してくださった「ゆきゆきて、神軍」(映画)途中に登場する「易の卦」ですが、あればショッキングでしたね。。

また、高島嘉右衛門(呑象)が、伊藤博文の暗殺を予言した話とか。

 

さて、易占というのは占筮し、卦を出し「易経という上下2冊の厚い本、あるいはサマライズされたテキストから、意味を読み取り、それをクライアントの知りたい事(占的)に照らし合わせて「編集」することにあります。
編集の方法は色々ありますので、その辺りをご紹介しようと思います。


この講座の特徴
1.卦の説明をするわけではない(自分でできるところは自分で勉強しよう)
2.実際にどうやって易を立て、解釈するのか研究
3.途中から参加しても大丈夫なようにフォロー
4.市販の本などには載っていないような秘伝っぽいコツなども公開

講師 新部健太郎 (にいべけんたろう)壺中堂主人
ホスト 畠山裕美(はたけやまひろみ)春狐堂 TEI-ZAN操体医科学研究所
アシスタント 寺本雅一瀧澤一寛

主宰 TEI-ZAN操体医科学研究所 

操体と操体法の違い。

先週末、zoom配信で「全国操体バランス運動研究会」に参加しました。

去年はコロナで中止でしたが、今年は大阪、東京、仙台の会場と、オンライン参加ということでした。

 

私は三茶で三浦先生とパソコン二台で見ていました。

確かに操体・あるいは操体法をこれからどうにかしたい、というのは良く伝わってきました。

 

そこで、大阪のK先生が

操体操体法操体療法など、言葉が統一されていない」とのことでしたが、もともとは「操体」という名称が登場し、その後「現代農業」に掲載するときに、ゴロがいいから「操体法」になった、という話は、以前仙台の全国大会で、当時の「現代農業」の編集者だった方が話していました。当時、弟子達は「操体はテクニックじゃないのに、○○法なんてねえ」という声もあったそうですが、「操体法」という言葉が「現代農業」に掲載され、ポピュラーになったのです。

 

ちなみに、我々は「操体」「操体法」はきちんと分けています。

操体療法、という言葉は、最近あまり使いません。

 

以下は、毎度おなじみ?の図ですが、操体操体法の違いを図示したものです。

 

操体法」というのは「操体」のほんの一部分にすぎません。

 

操体、というのは、橋本哲学など(息食動想とか、アートの分野とか、救いと報いについてとか)全てを包括したもの。

操体法、というのは実際に、橋本敬三医師が、医師として治療を行っていたという部分や、操体の臨床を指しています。広い目で見れば「治療とかケアの部分」と言ってもいいでしょう。

 

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そしてもうひとつ。これもお馴染み?といえばお馴染みですが、

最近は本当に

 

1.セルフケアで対応できる場合

2. セルフケアでは対応できず、プロがセルフケアできるようになるまで、健康度のレベルをアップさせることが必要な場合

 

の区別をつけることが必要だと思います。

これは、繰り返し書いていますが「どうみてもセルフケアでは無理だろうレベル」の方が「操体って、自分で治せるんですよね」という過度な期待をしてくる場合もあるからです。

 

「どうみてもセルフケアでは無理だろうレベル」の方が、自分で動いて治せるならば、今頃どんな病気だって治せていますし、それが事実ならば、操体は世界制覇しているはずです。

 

そうではないのは、やはり「どうみてもセルフケアでは無理だろうレベル」の場合は、本人の自己治癒力をアップするのも当然ですが、健康度の度合いをそこまで引き上げる、プロの手助けが必要です。

 

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神は細部に宿る(足趾の操法を考える)

久しぶりに新刊を読みました。

大嶋先生の本はほとんどチェックしていますが、これは「朝のルーティンワーク」について書かれた本です。

この中で「どんどん魅力的な自分に変わっていくスイッチ」というのがあり、一体どういうことをやるのか?と読んでみると、毎朝「神は細部に宿る」と思いながら、かかとをやさしくマッサージするということなのです。

 

これは「人があまり注目しないところ(細部)をケアすることが、自分の心と体に変化をもたらす」という話です。

 

たまに、足趾の操法®を受けた後に「こんなところをここまで丁寧にやってもらったことはありません」とおっしゃる方がいらっしゃいます。

 

「見えるところはきれいに繕っているけれど、細部に関してはいい加減になってしまいがちで、それが自分の気持ちにマイナスに作用する」

 

これを解決するのが「かかとを優しくマッサージする」(足の指でもいいんですが)

ことなんです。

 

よく、きれいなネイルをしている方がいらっしゃいます。

あれ、実は他者に見せて装うというよりも、自分の気持ちが「アガる」のです。

 

ネイルの「アゲアゲ効果」はすごいもので、私は女子ならずもネイル経験者男性数名にリサーチしてみましたが、ネイルもそうですが、ピカピカに磨いてもらっただけでも、かなり「アガる」とのことでした。

 

 

ここで例に挙がっている女性は「無駄なことはしない」タイプで、常に「損か得か」ということを考えており「損をするようなことは致しません!」的な行動をとっていました(大門未知子ならともかく、という感じです)。

 

これ、操体を勉強していると痛感するのですが(ビジネスなどはもちろん損得勘定も大事ですが)、自分の人生を「損か得か」「正しいか正しくないか」「好きか嫌いか(快か不快か)の、どれで生きるかによって、かなり変わってきます。

 

橋本敬三先生いうところの「息食動想」の「想」ですが、一番定義しにくい部分です。

 

というのは、いつも講義でも言っていますが「明るくおおらかに生きましょう」と言っても、それができなくて困っている人が多いのと、私の経験から言うと「明るくおおらかに生きましょう」と言っている人ほど「明るくもおおらかでもない」ことが多いんです。

 

橋本敬三先生は「言葉は運命のハンドル」とおっしゃっていますが、これは言葉の指向性によって運命が変わるということです。我々にできることは、無理に明るくおおらかに振る舞ったりすることではなく(明るくておおらかな表面の奥深くに、怒りという感情が潜んでいるということは、よくあることです)、まず、言葉をコントロールしなさい、ということなんです。

 

この女性、損することはしない!と決めているのに、定期的に体調が悪くなるので「朝のルーティン」に「かかとのマッサージ」を試してみたそうなんです。

そうすると、自分のかかとって、こんなに固かった?とか、足の裏がこんなに固かった?と気がついたり、意外と気持ちよかったりして、毎日のルーティンになります。

 

そうすると「無駄だと思っていたこと」にも意外と意味を感じられるようになってきて、無駄なことをやっているのに、体調が整ってきた、ということなんだそうです。

 

これは、足趾の操法の「神は細部に宿る」(人があまり注目しないようなからだの部分をケアする)に、通じるものがあります。

 

★見る側は「簡単そうにやってるじゃん」と思いますが、実際にやってみると全くできないのが、足趾の操法なんです(この辺りが「神は細部に宿る的」です)。

 

 

秋のフォーラムのテーマは「アート」です。

2021年11月23日(火)ハイブリッド開催(会場&オンライン)

2021年秋季東京操体フォーラムを開催致します。

 

2021年秋季フォーラム | Tokyo Sotai Forum

www.tokyo-sotai.com

 

今回は「アートと操体」というテーマです。

 

私自身は「白樺派操体」という観点から、少々発表をする予定です。

操体関係者で「白樺派」と聞いて、新潟医専時代の橋本敬三先生と、学友式場隆三郎先生を思い出すとしたら、かなりの操体通です。

 

私自身、式場先生と橋本先生の関係(一緒に「アダム」を作ったとか「医科芸術」に投稿したとか)は、知っていましたが、今回「白樺派」について色々調べてみました。

 

まさか、日本文学史の本で、橋本敬三先生の名前を見るとは思いませんでした。

 

なお「アダム」の実物を見たい、というような操体マニアでしたら、

日本近代文学館 (目黒区駒場)へどうぞ。

こちらで閲覧することができます。

その昔、三浦先生が橋本敬三先生に「どうしてももう一度読みたい」と頼まれて、色々調べてこちらで見つけたそうですが(当時はネットもなかったので、もっと大変だったと思います)、その時、橋本先生は本当に喜んでいたと聞いています。

「アダム」には、小編がとコラムが掲載されています。

 

 

 

「最澄と天台宗の全て」行ってきました。

おかざき真里さんの「阿・吽」もついに最終回を迎えました。

個人的にはとてもいい終わり方だったと思います。

 

 

www.tnm.jp

さて、現在、東京国立博物館(トーハク)で、

伝教大師1200年大遠忌記念 特別展「最澄天台宗のすべて」が開催されています。

 

というわけで、時間が空いたので、日時指定券をネットで予約して、雨の上野に行って来ました。

この手の展覧会は「混む」「だまって鑑賞すればいいのに、二人三人でやって来て感想を述べ合う」みたいな方がいるのですが、時間指定入場制なので、見やすい上に、会場内に「しゃべるな」的なプラカードを持った係員がいるので(まあ、私はそもそも市川猿之助のナレーションを聞きながら鑑賞していたんですが)、静かでほどよい空間でとても良かったと思います。

 

 

特筆すべきは、

1.光定戒牒(こうじょうかいちょう)。国宝。嵯峨天皇書。

2.久隔帖(きゅうかくじょう)。最澄空海の元にいる弟子泰範に宛てた手紙

★この二つは「阿吽」ファンなら「萌え」ですね(笑)

3.天海座像(明智光秀か?という話は一切なし)

4.元三大師(慈恵大師)座像(2メートルくらいある)

5.聖徳太子像(なんで天台宗聖徳太子?ですが、聖徳太子法華経の守護者。『法華義疏』(法華経の解説書)を記しているので、天台宗の開祖の一人にカウントされているのだそうです。

 

来月まで開催しています。

 

そして、聖徳太子と言えば「日出処の天子」です。

私はオンタイムで連載を読んでいて、勿論単行本も持ってたんですが、引っ越した時に処分しちゃって、読みたいなぁと思っていたら、10月初旬に「完全版」が出ていました。

 

何が完全版なのかというと、当時のカラーページなどを全部再現してあるんです。
これは見事です。

 

思えばこの前から私は仏教好きだったんですが、このマンガがトドメだったような気もしないではありません。

というわけで、Kindle版(電子版だとiPadで拡大して鑑賞できる)を読んでみました。

 

懐かしい。。。

そして、今読んでも凄い。。。

仏教好きが読むのは、手塚先生の「ブッダ」ですが、「阿吽」と「ところてん」(我々は日出処の天子、をところてん、と呼んでいました)も読んで欲しいところです。

 

 

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