先週末、zoom配信で「全国操体バランス運動研究会」に参加しました。
去年はコロナで中止でしたが、今年は大阪、東京、仙台の会場と、オンライン参加ということでした。
私は三茶で三浦先生とパソコン二台で見ていました。
確かに操体・あるいは操体法をこれからどうにかしたい、というのは良く伝わってきました。
そこで、大阪のK先生が
「操体、操体法、操体療法など、言葉が統一されていない」とのことでしたが、もともとは「操体」という名称が登場し、その後「現代農業」に掲載するときに、ゴロがいいから「操体法」になった、という話は、以前仙台の全国大会で、当時の「現代農業」の編集者だった方が話していました。当時、弟子達は「操体はテクニックじゃないのに、○○法なんてねえ」という声もあったそうですが、「操体法」という言葉が「現代農業」に掲載され、ポピュラーになったのです。
操体療法、という言葉は、最近あまり使いません。
以下は、毎度おなじみ?の図ですが、操体と操体法の違いを図示したものです。
操体、というのは、橋本哲学など(息食動想とか、アートの分野とか、救いと報いについてとか)全てを包括したもの。
操体法、というのは実際に、橋本敬三医師が、医師として治療を行っていたという部分や、操体の臨床を指しています。広い目で見れば「治療とかケアの部分」と言ってもいいでしょう。
そしてもうひとつ。これもお馴染み?といえばお馴染みですが、
最近は本当に
1.セルフケアで対応できる場合
2. セルフケアでは対応できず、プロがセルフケアできるようになるまで、健康度のレベルをアップさせることが必要な場合
の区別をつけることが必要だと思います。
これは、繰り返し書いていますが「どうみてもセルフケアでは無理だろうレベル」の方が「操体って、自分で治せるんですよね」という過度な期待をしてくる場合もあるからです。
「どうみてもセルフケアでは無理だろうレベル」の方が、自分で動いて治せるならば、今頃どんな病気だって治せていますし、それが事実ならば、操体は世界制覇しているはずです。
そうではないのは、やはり「どうみてもセルフケアでは無理だろうレベル」の場合は、本人の自己治癒力をアップするのも当然ですが、健康度の度合いをそこまで引き上げる、プロの手助けが必要です。