操体法大辞典

操体の専門家による、操体の最新情報など

めまいと操体。

めまいに悩まされている方は多いようです。

また、めまいの原因は色々あるようですね。

 

私が昔聞いた話では、昭和のモーレツサラリーマン(すでに死語の世界)が、ある日突然「視界が回る」という状況になり、病院に行ったところ

1週間寝てなさい、と言われたそうです。眠れなかったら睡眠薬を飲んでも寝てなさいと(昭和の話です。念のため)。

言われたとおり、1週間寝ていたら、治ったそうです。仕事しすぎだったのかもしれません。

 

橋本敬三先生の「万病を治せる妙療法」にボディの歪みによるめまいについての操法が紹介されています。

こちらはからだの歪みからくるめまいです。

イラスト下部には、操法が紹介されていますが、

「万病を治せる妙療法」より


正座させて、まず右肘を軽くわき腹につけ、右手の甲を見させながら腕全体を
徐々に上外方にのばさせる。術者は手首を押さえて多少の抵抗を与えてやる。
このとき、首と腕の協同巡動は歪みを登復するので、腕がのぴきったところで
急に脱力させてひじをストンと落とさせると、局所の圧痛はとれ、メマイは即
治する。

と、あります。ちなみに、私達は現在瞬間急速脱力はほとんどやりません。が、

「右上肢を内旋させ、肘を脇腹につけさせ、目線を右手の甲につけさせる。操者は、被験者のて内旋させた手掌手背(手首ではない)に介助を与えながら、上上方にゆっくりと伸展させる」というのであれば、やります。

 

いずれにせよ、ここに書いてあるやり方は、かなり難易度が高い(操者がどのように被験者の手首を保持するとか、外上方ってどっちだとか)と思います。

また、操者が手首だけ保持してもやりにくいだろうなとか。。。

 

 

それはさておき、私自身、めまいの経験は皆無に等しかったのですが、先日ついに

衝撃の「めまい」体験をしました。

 

普通は、立ち上がった時とかに「くらっ」とくるのを思い浮かべると思いますが、私の場合、横になると目が回るのです。

これはどうやら「良性発作性頭位めまい症」かもよ。。。

(耳石が剥がれ落ちて三半規管に入り込む。頭を動かすめまい体操などで対処)

というわけで、こういう時は「転んでもタダでは起きない」というのが操体実践者(臨床家)。

 

三浦先生に治療をお願いしました。

 

仰向けになった時、やはり「ぐるぐる」「ふわ~っ」的な感じでしたが、終わった後、何度かからだを起こした状態から仰向けになってみましたが、「ぐるぐる感」はおさまっていました。引き続き様子見&加療になると思います。

 

 

花粉症とツボ。

今から30年以上前くらいは「ホールインワンテクニック」(と呼ばれるものが)が流行りました。

仙骨で万病をなおす」とか「頸椎1番の調整で全身が整う」とか、1カ所をアプローチすれば、全部効いちゃう、というヤツですね。

 

当時はこういうのが多かったんですが、一時誇大広告とか、人間のからだの汚染?が進んだせいか、1カ所にアプローチしたくらいでは、なかなか的なことになり、さらに90年代後半は、精神的な疾患が増えたりしました。

つまり、症状疾患の複雑化です。

操体もそれに応じて進化しました)

 

ところが、最近誇大広告なのか「これだけやれば○○に効く」的な広告が増えてきたような気がします。

こういう風潮は巡るんだろうな、と思います。

 

 

知りあいに会ったところ、ハナミズとクシャミの嵐で辛そうです。

勿論薬は飲んでいるとのこと。

 

ネットで調べてツボを押しているんだけど、効かないんだよね。

 

へえ。

 

どのツボかな?と、聞いてみると「合谷」。

合谷(ごうこく)というのは、メジャーなツボ(経穴)です。

 

どこを押してるのかな?と、見せてもらうと、

アラ残念!ちょっとそこじゃないんだよね。

 

というわけで、ちょっと失礼して

「ここです」。

 

「あれ?ハナが一瞬通ってすっきりした!」

「押された感じが全然違う!」

 

どこが違ったかというと、

「押す場所」「角度」が違うのです。

(特殊な爪の切り方もしています)

 

これを「ツボを押すのではなく、効かせる」というのです。

 

ツボ押しよりも、最近はお灸がいいかなと思います。

ツボをねらうよりも、温熱でアプローチした方がポイントにヒットするから。

 

 

ちなみに、操体で花粉症というと、やはりいくつか診るべきポイントがあります。首をゆるめると結構ハナの通りが良くなったり、頭が重いとか、背中がだるいのが消えることもあります。

この季節は「首調整してください」といらっしゃる方も多いですね。

 

 

 

 

 

春ですね。

操体を学ぶのであれば易は嗜んでおいた方が良いと思っています。

八という数字は、操体に縁深いのです。

 

からだの動きは8つある。

しかし古今東西そんなことはどこにも書かれていない。

それを書いて残して後世に伝える。

 

さて、一ヵ月ぶりに、赤坂の豊川稲荷東京別院にご挨拶に行って来ました。

 

みなさん、大岡越前はご存知ですよね。

私なんかは、月曜夜8時にやっていた、加藤剛さんの越前さんを思い出しますが、最近は「大奥」(よしながふみさん原作)で、MEGUMIさんが冨永愛さん演じる(ちょーかっこいい)吉宗公を助ける大岡越前守忠相を演じています。

 

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豊川稲荷東京別院は、別院というように、豊川のご本山から大岡越前守忠相公が、江戸の大岡屋敷内に勧請してきて、それを江戸っ子にも公開しました。大岡屋敷の庭にお祀りした豊川荼枳尼眞天を、月一くらいで「みんなもお参りしていいよ」的な。

これが豊川稲荷東京別院の起源です。なので境内に、大岡忠相公の御廟もあります。

そして今回新しいおみくじを見つけました。

「きつねみくじ」です。

 

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お稲荷さんと荼枳尼天、荼枳尼眞天(豊川の荼枳尼天さんは、荼枳尼眞天といいます。一般的に荼枳尼天は、白狐に乗って剣を担いでいらっしゃいますが、豊川の荼枳尼眞天は、白狐に乗って稲穂を担いでいらっしゃいます。お稲荷さんとウカノミタマノカミと荼枳尼天信仰が混ざり合い、ややこしくなっています)。

神仏習合だったものを、無理矢理分けるなんてことをするからです。

 

それはさておき、きつねは、荼枳尼天の眷属(ご家来衆)。

なので、お寺なのに「稲荷」という通称で通っています。

小さい神社と仏殿が混在していますが、

ここ、お寺なので、柏手ではなく合掌です。(豊川水神社とか神社もあるけど)。

元々お寺の中に神社あるってフツーだったんですよ。「廃仏毀釈」の本とか読むと、維新時にどんだけ仏教が迫害されたかわかります。

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仏門修行。

土日にかけて、東京国際仏教塾の専門課程で、修行に参加してきました。

 

2017年に参加、同年後半に曹洞宗の専門課程を終えて、在家得度しました。

その後毎年曹洞宗の修行のお手伝いに行ったりしていましたが(千葉県大佐倉の、千葉氏ゆかりのお寺、勝胤寺)、曹洞宗を指導してくださっていた中野東禅先生が引退され、曹洞宗の修行の場が、京都に移ったので、お手伝いにも参加していませんでしたが、私が好きな豊川稲荷さんとかを深く学ぶには真言宗も勉強しようと思って今回参加しました。

 

真言宗で得度する気満々の皆さんに混じっての「なんちゃって修行」ですいません。

 

しかし、宗派を跨いで勉強すると、違いがよくわかります。

東京国際仏教塾は、超宗派の団体なので、仏教全体を学ぶことが出来ます。

 

一昨日は、仏教塾の先輩で、四度加行(しどけぎょう)、伝法灌頂を終えた方の護摩供養に参加しました。

 

私はカメラ担当を仰せつかっているので、愛機を担いで行きましたが、カメラやってて、護摩供養の撮影(それも許可つき)ができるなんて、そんなチャンスは滅多にありません。

 

そして昨日は「虚空蔵求聞持法」を実際にやったという先生がいらっしゃり、体験談を聞くことができました。

勿論有名なものなので、皆名前は知っているのですが、実際、あんまりやる人はいないようです。

非常に興味深いお話を伺うことができました。

 

写真は地蔵院の大住職、根岸先生。

 

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操体を学ぶにあたって大事なこと

私が言ってるのは「操体実践者」に対してであり、操体を受けたいという方は「前知識は不要」「真っ白」な状態で来て頂ければと思っています。

 

受ける方は、真っ白でいい。簡単ダヨ。操者がしっかり指導するから

指導する方は、しっかり勉強ね。難しいヨ。ヒトの感覚に介入するんだから。

 

これは、橋本敬三先生が、患者さんには「操体って簡単ダヨ」とおっしゃったのに、弟子には「難しいぞ」と言ったのと同じです。

 

操体指導者は、勉強が必要です。それを、橋本敬三先生が患者さんに言った「簡単ダヨ」という言葉を鵜吞みにして「指導も簡単なんだ」と勘違いしている人が多いのだと思います。

★また「私はプロじゃないから」とか「お金をもらっていないから」というのは言い訳です。プロじゃなくてもちゃんと勉強してから人様に提供してください。

 

言葉のチカラをコトダマと言います。

 

私の講習に参加、あるいは三浦先生の講習にして下さった方はご存知だと思いますが、

「楽と快の違い」ということをインプットして頂きます。

これが入っていれば、後は大丈夫だからです。

 

逆に言えば、操体指導や臨床は、ここがわかっていないと、とんちんかんなことになります。

 

私の「ベーシック講習」を受けて「積年のナゾが解けました」という方が、プロアマ問わずかなりの数にのぼるのも、その理由の一つだと思います。

 

実を言うと、いろんな情報で頭がこんがらがっている治療家よりも、何もしらないけど、操体って面白そう、という人のほうがすんなり納得して下さったりします。

この辺りは「考えるな。観じろ」的な何かを感じます。

 

中には「動くだけできもちいい」という凄いヒトもいますが、大抵のヒトはそうではありません。

困るのは、そういう人が操体の指導者になって「他の人も動けばきもちいいハズだ」と思い込んで操体を指導することです。

そういう方は、間違いなく身体能力が高いのですが、

「自分もできるから、他の人もできるだろう」という、思いこみが激しいのか、自分より身体能力が低い人のことを考えてないのかわかりませんが、きもちよさの押し売りをしてコケます。

 

他者の感覚に介入するのですから「自分ができるから相手もできて当然」なんていう態度は、不親切なのです。

 

私のところには「きもちいいでしょ、って言われたけど、そうじゃなくて困った」という方が頻繁にいらっしゃいます。

こういう指導者の尻拭いはそろそろやめたいのですが。。。

 

 

先日「操体実践者においては」(操体を受ける人は、何の前知識も要りません)

「楽なところを探す」のはペケであると書きました。

考えてみると

「痛みから逃げる」というのは、橋本敬三先生の時代からあります。

逃避反応とか、圧痛点消去法というものです。

痛みから逃げる→治る道筋

その方向にバック運動(逆モーション)というのが、操体の起源でもあります。

しかしながら、この時代橋本先生も「楽と快の違い」には気がついていなかったのではと思います。というのは、橋本敬三先生が「楽と快は違う」と公の場でおっしゃったのは、90歳になってからのことだからです(その前に三浦先生には話していたそうです。なので、第2分析が誕生した訳ですね)。

 

多分「痛みから逃げる」が「楽なところを探す」(これがまちがって「きもちよさを探す」になったのだろうと推察)になったんだろうなと思います。

 

痛みから逃げる、というのは基本的に、プロの手法です。

 

操体で1番有名な触診と言えば、膝の裏(ひかがみ)ですが、あれとか、逃避反応を見ているんです(だからといってぐりぐりやるのは禁物です)。

「痛みから逃げるようなアプローチ」というのは、本来プロの技です。

橋本敬三先生もプロだから「痛みから逃げる」ようなアプローチができたのです。

そしてこの「痛みから逃げる」「逃避反応」というのは「反応」というように、無意識が関与しています(だから、探すじゃないんです)。

 

ちなみに「逃避反応」と言いますが、逃避反応を起こすアプローチにも上手いヘタがあります。

ヘタなのは、被験者が痛がっているのにずっとぐりぐり触っているとか、アザができるまでやるとか、鈍い痛みがずっと残るとか、私が「生殺し」と言ってるヤツです。

 

理想は「秒殺」です。瞬間的に痛いけど、あとはすっきりしている。

 

操体ではなく、痛い治療法もありますが、上手い先生がやると、一瞬痛いのですが、サワヤカな痛みで、後に残りません。

 

 

楽と快を曖昧にしない。「探す」ではない。

言葉は運命のハンドル、と橋本敬三先生はおっしゃっています。

被験者(患者さん、クライアント)は、操者(指導者)の言葉の影響を受けるので、操体の指導者は、言葉には気を遣う必要があります。

 

いろんな人がいるからいいじゃん、というのは、操体臨床の劣化陳腐化、「操体ってよくわかんない」化につながります。

操体指導者じゃなければ私もスルーしますが、操体指導者なら、実践者なら、楽と快の違いと、「探すのではなく、ききわける」という、動診の本意を知っていただきたい。

 

 

先日も「操体を指導しているが悩んでいる」という方が見えました。

この方は、変なプライド?よりも真実をしり体験することを選んだのです。

 

まあ、自分が今まで凄い感違い(教えた人の責任なんですけどね)をしていたと、また、積年の疑問が氷解したとのことでした。

また、第1分析と第2分析、D1'とD1''を体験して、驚いていました。

 

コトダマ、というように、言葉を制するものは、相手のカラダを制すると言っても過言ではありません。

 

ある操体の冊子を見ていたら

・腰をモソモソと動かして、楽なところを探してみます

一番気持ちの良いところで、3~5秒止めたあと、全身の力をストンと一気に抜きます

 

と書いてありました。いわゆる、つま先上げ、我々は「足趾の背屈」言ってます。

 

 

赤字で書いてあるので、お分かりだと思いますが、

「楽なところ(つまり、痛くないところ)を探す」というのは、そもそもの「動診」の概念から外れています。

 

百歩譲って、例えばギックリ腰や急性期の痛みから逃げるために、痛くないポジションに持っていくのはありです。なお、こういう場合は痛みが激しいので「探す」なんていう余裕はなく「うごかしてみて、あ、ここは痛くない」という感じです。

 

楽なところを探す、のではなく「痛みから逃げる」と言ってもいいでしょう。

私も「痛みから逃げる」というのなら、納得します。

 

・対になった二つの動きを試し、どちらが楽か辛いか確認する(二者択一の第一分析)
・楽なところを探す(操体の分析から外れている)。多分「痛みから逃げる」を勘違いしている

 

この二つの違いです。大事です。重要です。

これがわからない方は、他者に操体を指導するのはやめてください。わからない人がいい加減なことを人に伝えるのが一番よくありません。

橋本敬三先生も「無知は罪」と書いていらっしゃいます。

すこしキツイことを書きましたが、わからなかったら勉強すればいいんです。

 

○動かしてみて、楽かどうか確認する(二者択一の第一分析)

これなら、いいんです。

 

もう一度言いますよ。

百歩譲って、痛みが消えるところを選択するのは自然です。

 

しかし

 

 

そして大抵はここで間違えて「きもちいいところを探す」のです。

きもちいいところは探しても見つかりません。

 

次に「一番きもちのいいところ」とありますが、

 

なんで「楽をなところをさがした」のに「一番きもちのいいところ」なるんでしょう。

 

これは、実際に操体の臨床をやっているとわかりますが、楽なところは、一番きもちのいいところではありません。

 

また、本当にきもちよさを味わっていたら、瞬間的には抜けません。抜いたあとの爽快感はあるかもしれませんが。。。

 

なお「一番きもちのいいところ」というのは、我々の第二分析で使う言葉なので、第1分析では使いません。

 

このように、一見普通に間違いなさそうに書いてあるのですが、「楽と快」、つまり第1分析と第2分析が混同されており、操体の分析以外の「探す」が入っています。

 

実際に操体を真面目に実践する方々にとっては『楽と快』が混同されているので、混乱させることになります。

 

やってることは第一分析なのに、言葉は第二分析が混じっている的な。

 

これで混乱して「よくわからない」という方がうちに来るんです。

 

私が実際に指導するならば

 

・腰をモソモソと動かして、楽なところを探してみます、ではなく、足趾の背屈に伴った、全身形態の連動に沿って、言葉をかけます。

 

この場合、全身を連動させて、なんていうことは言わず、もっと細かい言葉をかけます。

 

・一番感じのいいところで、抜きたくなったら抜いてください

(瞬間脱力は要求しない)

 

なお、指導者が「探す」というキーワードに囚われているということは、操体の一番の特徴である「動診」動かしてみて、診断することを誤ります。

 

二者択一、どちらが楽ですか、つらいですかという相対的な診方(第一分析)

一極微、一つひとつの動きに快適感覚があるのかないのかをききわける、絶対的な診方(第二分析)

 

どちらも操体操体の診断分析法ですが「探す」ことはしていません。

やってみて、どうなのか、という診断です。

この違いがわからないのが、問題です。

 

私の記憶だと「探すんじゃないよ」と言っても理解しない方は、ほぼ100パーセント、操体をやめています。

楽も快も探すものじゃないのに、探しても見つからないからです。

探しても見つからないので、操体に絶望してあきらめてしまうのです。

 

それじゃ、橋本敬三先生に申し訳ないですよね。

 

橋本敬三先生は「探る」とは書かれていますが、それは「真理の探究」「快の探究」という哲学的な意味で書かれており、「色々動いてみて探す」という意味ではないと思っています。

 

実践易占講座スピンオフ。3月は三浦寛と畠山です。

実践易占講座のスピンオフ(東西オカルト井戸端会議)の3回目は

 

ついに「操体で、触れずに治療(臨床)を行う」というのをやります。

 

触れずに治療(臨床)を行う(実践易占講座スピンオフ) 2023年3月11日(オンライン・Zoom) - こくちーずプロ

 

www.kokuchpro.com

 

2月のミスカトニック先生の講座でも、ヒーリング(触れない)についての話題が登りましたが、今回は実際に「触れない臨床」を行っている畠山と、その師匠、三浦寛がお話致します。

 

オカルトでもなんでもない(と私は思っている)んですが。

 

見えないものが信じられないのであれば、Wi-FiとかレントゲンとかCTスキャンとかMRIとかも信じられないのでしょうか?

 

最近は「量子医学」という話も出てきていますね。

 

操体創始者橋本敬三先生が著書で引用している、立石電気(現オムロン)の

「社会進捗曲線」というものがあります

人間悲願の達成へ | ご案内 | 操体法 TEI-ZAN操体医科学研究所

これは私のサイトからのリンクですが、最近はこれが

人と機械の新しい関係をめざして|オムロンの歴史|会社案内|オムロン

の中で紹介されています。

www.omron.com

ここには新しい形の「社会進捗曲線」が載っていますが、良く見ると今後は「超心理技術」の世界とかになってくるんですね。

 

そういうことを踏まえると、SFじゃオカルトだと言われているようなことが、普通になってくるのかもしれません。

 

三浦先生は、皮膚へのアプローチ(第3分析、渦状波®)というものを創案しました。

そのなかでも「点の渦状波(てんのかじょうは)」というのは、指尖で触れるだけなので「気功ですか?」「気を注入してるんですか」と聞かれたりしますが、気功ではありません。皮膚に触れているのです。

 

また、三浦寛先生は、触れない治療(臨床)というか、触れずに診断・分析も行います。操体のいわゆる「第4分析」というものです。

 

きっかけはそもそも「今まで色々な治療を受けてからだを壊されたので、触れないで治療してほしい」という、患者さんの訴えだったそうです。

 

私はこの患者さんに、実際の話を聞いたことがあります。

すごい体験をしたとのことでした。

 

メタトロンとか量子医学的なものも出ていますが、あれは「可視化しないと信じない」的な西洋的な思考もあるのかもしれませんが、それをしれっとやっているのが、操体の第4分析です。

 

畠山もこれを学んでいますが、別枠というか、操体を三浦先生に習う前に、外気功(医療気功)を学んでいましたが、操体で足りるので、すっかり忘れていました。

 

そもそも気功は「触らない」ですからね。

 

しかしながら、師匠三浦寛が「触れない臨床」を始めたので「そういえば外気功やってた!」と、思い出すも、外気功のセオリーと操体のセオリーが違うので(多くの人から『操体と混ぜてオリジナルを作れば』とか言われたのですが、それはイヤだったのでやりませんでした)色々考えた結果、

「治療者(臨床家)としての手を練る」方法として再編しました。

 

 

皆様のご参加をお待ちしております。

 

お申し込みはこちらから

触れずに治療(臨床)を行う(実践易占講座スピンオフ) 2023年3月11日(オンライン・Zoom) - こくちーずプロ