こんにちは。TEI-ZAN操体医科学研究所の畠山裕美です。
標題ですが、ある方からの質問です。
操体法東京研究会の門下の方ではないのですあ、操体を学んでいる方です。
聞いてみますと
- 楽な方にきもちよく、と習っており、そのように指導している
- どちらがきもちいいですか?と二者択一の動診で聞いている
という「操体臨床でドツボにハマる原因ベスト3」に入る事柄が入っていました。
1は「楽な方ときもちよいのは違う(楽な動きと快適感覚は違う)」
楽でなんともない、はありうる
2「どちらが楽か辛いか」は、比較的簡単にわかるが、きもちよさというのは比較しにくい。
過去には「他で『どちらがきもちいいか』と聞かれ、分からないので自分には操体を受ける才能がないのかと悲しくなったとか、分からなかったが分からないというと先生に怒られそうだったので適当に答えておいた、などという話を聞いています。
2012年頃に、三浦先生が関西の操体関係のイベントに呼ばれた際も、関西の操体マダム達に
「どっちが楽でどっちが辛いか分かる人」と聞いたところ、ほぼ全員が挙手しました。
が、「きもちよさ、分かる人」と聞いたところ、二人程度(一人は指導者クラス)が挙手しました。
ここからも分かるようにに、口では「きもちよさ」と言っているものの、実際には「きもちよさが聞き分けられないような動診」と行っているということです。
また、色々動いてみて楽な方を探して(そもそも色々動いて探すという発想が、操体の臨床理念から外れています。操体は、診断(動かして診る、動診)と治療(操法)の手順を踏みます。
順番的には「きもちよく動いて」と言う人がいますが、操体の場合はまず動診(診断)で、動かしてみないとキモチイイかどうかは分からないのです。
ここで改めて操体の手法を紹介します。
圧痛点消去:これは痛みのあるところを押すと痛いので、無意識のうちに痛みから逃げます。その無意識の動きが治る動きです。これは「無意識の動き」であることに注意してください。無意識です。
「探して動く」のは、意識的な動きです。意識的な動きと無意識の動きは全く違います。ここが大事です。
「きもちよさを探して動く」という人は、無意識の動きと意識的な動きの違いを取り違えているのです。
また、きもちよさは探しても簡単には見つかりません。
私も25年位前、三浦先生の所に弟子入りするまでは『楽と快の区別ってなんだ?よくわかんない』と思っていたのですが、
この中に、三浦先生も若い頃「楽な方イコールきもちいい」という思いこみをしていたことに気がついた、という一節があります。
これに気がつくには、本で読んだだけでは不十分です。
実際に経験しないとなかなか自分の中で消化できないと思います。
私の場合ですが、指廻しを三浦先生に受けて頂いて(入門前)、今思うと非常に恥ずかしいですが、よりによって「どちらがきもちいいですかなんて聞くなよ、の最高峰」
である三浦先生に「足の指を外側に回すのと内側に回すの、どっちがきもちいいですか」なんていうアホな質問をしました。
当時はまだ弟子入りしていなかったので、三浦先生は怒りもせず、優しく
「どっちもキモチイイ」と答えてくれたのです。
それまでもクライアントに「どっちがきもちいい?」という今考えるとアホもアホ(ちなみに関東のアホはバカよりも程度が高いです)な質問をして
「う~ん、わかりません」という答えをいつも貰っておりm、多少行き詰まりがあったのですが
「どちらもきもちいい」という三浦先生のお答えで
「おおっ!そうなのか」と腑に落ちたのです。
この辺りは実際に自分で体験しないと分かりにくいかもしれません。
操体のキモは「指導者が楽と快の違いをちゃんと理解していること」それにつきます。
『楽な方にきもちよく動いて体を整える』と言ってしまう人は
・操体臨床の経験が浅い
・ある程度元気で健康で動ける人に操体をやっている
という理由があります。
これは何も経験が浅いのが悪いのではありません。現在浅いだけですし「楽な方にきもちよく動いて」と言ってもどうにかなる程度の人を相手にしているだけなんです。
しかし操体を勉強していくに従って、健康度の度合いが低い難症の方を診る機会も増えるはずです。例えばギックリ腰や寝違えのような場合は
- 楽な方にきもちよく、と習っており、そのように指導している
- どちらがきもちいいですか?と二者択一の動診で聞いている
これでは対処できません。
ギックリや寝違えのクライアントに1や2は通じないのです。
「楽と快の違いの理解」ここがキモです!