操体法大辞典

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「自己肯定感」を高めるということは気持ち悪いのか?

昨年末の記事です。イチローさんが自己肯定感について語っています。

 

「僕にとってはすごく気持ち悪い言葉」 自己肯定感求める風潮に持論「人としての厚みが生まれるんだろうか。僕は堕落すると」

これなんですが、イチローさんが言っているのは「自己愛が強すぎ」とか「自己顕示欲過多」なのではないでしょうか。また、イチローさんの「謙虚な姿勢」でもあるかと。

 

私も「自己愛強すぎで自己顕示欲強すぎ」のサイコパス君を見たことがありますが、確かにそれは。。ですよね。これはもう書いたら長くなるので以下自粛です。

 

自己肯定感というのは、自己有用感、自分が役に立っているか、ということからくるそうです。自己有用感と、「自己愛」「自己顕示欲」は、ちょっと違う。

 

「自己肯定感なんて気持ち悪い」というのは、ほぼ男性(それもある程度社会的には普通かそれ以上)ではと思うのは私だけ?

 

 

★多分「自己愛高すぎて自己顕示欲が強い自分はエラいと思うイタいヤツ」を想定して「自己肯定感なんて気持ち悪い」と言っているんですよね。

 

しかし、女性は「低すぎて辛い」という人が多いし、周囲が自分をどう思っているか、とても気になるという人が多いのです。とにかく圧倒的に女性が多いのは事実です。

 

それは、家事や育児が労働対価にならないということもあるかもしれません。
キャリアウーマンが結婚して育児のために専業主婦になった時の話を聞いたことがありますが、自己有用感と自己肯定感が下がりまくったとのことでした。
つまり、稼いでいないので、社会的な自分の価値が低くなったと思うのです。

 

私もご相談を受けますが、親が「女は黙ってろ」という世代だったりするのと、母親自体が自己肯定感が低かったりして、それを娘に押しつけている、つまり「自分が辛かったんだから、アナタも辛い目に遭えばいい」という「負の連鎖」が続いているような感じもあります。このあたりは、簡単には言えません。

 

自己肯定感を高めるというのは、低すぎる自己肯定感(自己有用感)をあげて、もっとアナタの価値を自分で認めて、という意味に取ればいいのでは?

 

(使い方を誤っている人もいるのは承知していますので、その点はご了承ください)

 

低すぎて生きづらい人に「自己肯定感なんて気持ち悪いから捨てちまえ」というのは、ちょっと酷ですよね。

 

自己愛と自己顕示欲と自己チューになれ、ということではない、と。

 

低すぎるところから、せめて普通?のところまで高めることは、生きづらさを少しは軽減できる手段かもしれません。

 

自己肯定感は、ジェンダー論も関わってきます。

 

ちょっとまとまりがつきませんが、自己肯定感が低いとか自己有用感が低いとか、自分に自信がなさ過ぎとか、人が自分のことをどう思っているか過度に気になる、というのは、原因が自分自身以外(環境とか)にあることのほうが多いな、というのが私の感覚です。