操体法大辞典

操体の専門家による、操体の最新情報など

操体法の効果に改めて驚く。

2020年6月19日第三日曜、内々での施術会がありました。その際、少し時間が空いたので、スタッフ三人(実行委員の寛幸君と寺本君と私)で、互いにケアをしない?という提案をしました。

 

三人とも、普段「やる方」専門で、「受ける」という機会はあまりないのが実情です。

持ち時間は10分程度です。

 

私は二番目に足趾の操法と、首の辺りをやってもらいました。

まず、首にふれてもらうと、首の右側の中央あたりに、ビー玉くらいのしこりがありました(自分では気がつかなかった)。触診されると「うわ!」と声をあげるほど痛い。

足の指も、米粒半分くらいのしこりがあることは自分でも分かっていました。

 

なんやかんやといっても、コロナ禍下ではストレスが溜まるものですし、そもそも講習はほぼオンラインでやっていたので、仲間うちでケアしあうこともできません。

 

やってもらったのは、足趾の操法®の「揉み」と、頸部への渦状波®(刺激にならない皮膚への接触と、特殊な呼吸法を用いるもの)を同時に15分くらいでした。

 

足は「イタきもの極致」、首は触れられていると、とてもあたたかく、圧痛硬結が解けていくのが自分でもわかりました。途中2分くらいは意識が飛んでいたと思います。

 

★意識飛び:操法を受けている時に、意識が飛んで瞬間的に深い眠りにおちること。短時間、瞬間的ではあるが、数時間分の睡眠を取ったのと同じ位、からだが休まる。

 

終わってから首にふれてもらっても、自分で触っても圧痛硬結は消えていました。

首の「圧痛君」がなくなると、肩や肩甲骨がとても軽くなります。

 

私の場合、腰を痛めるということはあまりないのですが、首にはきます。自分でも気がつかなかった(というか、せわしない日々を送っていたんですね)のを見つけてもらって、ありがたいことこの上ありません。

 

私はやってくれた二人に、頸椎の調整(秘技!)をお返し。

 

終わってからは「あ~、きもちよかった」と、いう感じで普通に過ごしていましたが、日曜の午後になって

「あれ?肩がものすごく軽くなってる?」ことに気がつきました。

 

夜になってお風呂に入ったところ「あれ?もっと軽くなってる?」

 

 

なんというか、受けた後よりも時間が経ってからのほうが、変わった感がはっきりしています(これは操体操体法の特徴でもあります)。

 

また、受けた後、水をたくさん飲んだので、それに準じてお小水の回数も増えるわけですが、むくみがとれてこれまたすっきりしました。

 

今日は火曜日ですが、首はまだ快調です。

 

ということを書くと操体法は自分でできるんじゃないですか」という質問をしてくる人がいますが、

 

なんでも自分でやらなきゃならないわけではないんです。

 

操体法でも、健康の度合いが「セルフケアでは間に合わない」人のために、我々操体のプロがいるわけです。健康度合いが、セルフケアできるところまで、あげるお手伝いをしているわけです。

 

からだを安心してお預け出来る、信頼できる相手にやってもらう(ゆだねる)のは、セルフケアとはまた違ったきもちよさがあります。

そうです「ゆだねる」ことができます。

 

何でもかんでも「自分でできる」「一人でできる」と、我を張らなくても、ゆだねる(委ねる)ことができる施術者がいれば、委ねるのも一つの手です。

 

誰にも迷惑はかけない、と言っても、人間、生きてるだけでも他者にはかならず迷惑をかけているんですから。

 

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お世話&迷惑かけて、カワイイのが仕事です!

 

 

「正しいか正しくないか」「損か得か」

昨日は二ヶ月ぶりに、易の学校に行って来ました(4月5月は休校)。

久しぶりの講義で、先生のお話はまさに「秘伝」で濃厚なもの。

時間があっという間に過ぎていきました。

 

終わってから帰り支度をしていると、受講生の一人が「先生、定時より5分早く終わってるよ」と騒いでいました。

私は「今日の授業はすごく濃厚だったから、5分早くとか関係ないですよ」と言いました。

 

私は師匠から「臨床は時間じゃなくて質だ。オレ達は時間幾らで臨床をやっているわけじゃない」と言われていますし、定例講習にせよ、中味が濃すぎて受講生がアップアップになったら「今日はこれまで」と切り上げます。

また、臨床も長時間かかることもありますが、それはからだの状況なのであって、長時間やったからどうこうというわけでもないし、10分で終わることもあります。

 

5分早く終わった、と言っていた方は「損か得か」で生きているのです。

確かに、普段の教室内での言動を聞いていても「損か得か」を感じます。

 

「正しいか、正しくないか」と「損か得か」で生きると、辛くなります。

この方は、多分辛いんだと思います。

 

特に、人間関係や、恋愛で「正しいか、正しくないか」と「損か得か」で選択すると、辛いことが起こります。

 

 ちなみに、一昨日からこの本を読んでいますが、この方は「損か得か」で、生きている人なんだなと痛感しました。途中での、あまりのウソつきぶりにげっそりしましたし、権力のある年上の男性への取り入り方や、用済みになるとポイ捨てするとかというのは、はっきりいって不愉快です。って、こういう女性っているけど、ここまであからさまだとね。また、日本のマスコミの欺されやすさにもげんなり。
面白かったのは、舛添要一氏と一時付き合っていて(マスゾエさんから振られたらしい)、自分を振った男を蹴落として都知事になったということ。これは確かにすっきりしただろうと思います。

 

小池さんは、お分かりのとおり「損か得か」で都知事の座まで得たということです。

女帝 小池百合子 (文春e-book)

女帝 小池百合子 (文春e-book)

 

 

操体は「快か不快か」つまり「好きか嫌いか」で選択しますが、その根底には「人には迷惑をかけない」というルールがあります。

 

「好きか嫌いか」「快か不快か」で物事を選択し、人には迷惑をかけない(まあ、厳密に言えば、人間生きていれば他者に迷惑をかけているんですが)というのが、これからの生き方ではないかと思います。

 

 

 

セルフケアできるところまで

操体のセルフケアについてお話しましょう。

 

我々東京操体フォーラム実行委員とかですと、鍛錬を積んでいるので「指1本動かしただけで、全身に連動が行き渡り、快適感覚を味わうことができる」(つまり、坐ったまま、指一本うごかすだけで全身に連動が行き渡り、きもちのよさを味わうことができる)というスキルを習得しています。

実行委員じゃなくても、コツを学んで体得していれば、できるんですよ。

 

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ここに紹介するのは「操体の3つの場」というものです。

 

操体を健康の度合いによって三段階にわけてみました。

 

その前に、操体に関するイメージが、人によって全く違うことを知っておいて頂きたいと思います。

 

ある人は「治療法の一つ」と言うし、ある人は「自分でできる健康体操でしょう」と言います。

 

これは、操体の一つの側面をみているに過ぎません。

 

私がいまでも覚えている印象的な出来事があります。

東京操体フォーラムのメンバーで、某ジムで操体セミナーをやった時の話です。参加者の中に、人の肩を借りてやっと歩いてきたという人がいました。重度の脊柱狭窄症だそうです。セミナーの最中も辛そうに横になっていました。

 

彼は「操体は自分で治せると聞いたから」と言っていました。
しかし、彼の状態は「セルフケアで、できるところを越えていた」のです。

 

操体で何でもセルフケアできるわけではありません。
「セルフケアできる範囲まで」です。

 

下の図を見て頂くと、一番下が「自力自療で行う操体法」で、二番目が、少し見えにくいですが「サークル、フィットネスクラブなどで、不特定多数に指導する操体」、三番目が「臨床家が1対1で行う操体」と書いてあります。

 

もう一つ。

操体って、自分でできるんでしょ。それなら操体の治療家はいらないんじゃないの」という人もいます。

 

なぜ、操体の施術者(治療者、指導者)がいるのかというと、「セルフケア、自力自療では、間に合わない人を、自力自療の操体ができるレベルまで、引き上げるお手伝いをする」のです。

 

先の脊柱狭窄症の方は、まずプロから操体を受けるなりなんなりして、セルフケアできるところまで、健康度の度合いを40パーセントくらいには上げることが必要です。

そこまで行けば、あとはセルフケアできます。

 

健康の度合いが10とか20とか、自力自療がかなわない状態で「自分でできる」「セルフケアできる」というわけではないのです。

 

私は「暴れない胆石持ち」なのですが、知りあいから「操体で胆石は治らないのか」と言われて気がついたことがあります。

 

あ、そんな風に思うんだ。ということです。


操体をやっていても、年はとるし、胆石はできるし、尿結石もできるし、風邪は引くし眼圧は上がるし、血糖値だってあがるし、ガンになったり、パーキンソンになったりします。

 

一病息災(一つぐらい持病があったほうが、かえって健康に気をつけて、長生きできるということ)で、いいのではないでしょうか。

 

しかし、操体をやっていると、原始感覚が磨かれるのと、自己治癒力がアップするので、症状疾患を得ても、そんなに悪くならないというのが実感です。

 

そして、操体自体はからだに強刺激を与えるわけではないので、西洋医学と併用しても問題ありません。

 

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操体のセルフケア

在宅勤務が増えて、椅子に座っている時間が伸びて、腰痛や、潜在的腰痛の方が増えているなあ、と感じています。また、マスクのせいで耳への刺激が増えるので(耳は頸椎とか色々な部位と繋がっています)、首の調子が悪い人も増えているようですね。

 

操体では、セルフケアは勿論可能です。

 

よく、仰向けに寝て、膝をたてて膝を左右に倒すというイラスト(あれは判りやすいと言えばわかりやすいのですが)がありますが、なにも床に寝転がらなくても、椅子に座っていても(あなたの椅子が、背もたれ肘掛けつきの社長椅子でも)、できます。

 

今、私がやっているのは、椅子に腰掛けたまま、上肢と目線を用いた「動診と操法」です。二分もあればできます。勿論、コツがあります。

 

そのコツを知らずに、本だけ読んで「アタマ」で考えてやってみても「本当に効いてるのかな」とか「よくわかんないな」ということになります。

 

操体のセルフケアの習得は「コツ」を押さえることにあると言っても過言ではありません。このコツを伝授しています(かれこれ20年)。

 

ある受講生などは、最初「よく分からない」と言っていたのですが、ある上肢の操法をやった瞬間に「あれ??なにこれ、きもちよさってこれですか?」と言いました(その後30分位は操法にはまっていた)。

 

こういう時の「橋渡し」をするのが、私、操体プラクティショナーとか操体エヴァンジェリスト操体伝道者)です。

 

 

相変わらず「操体の本を読んでもさっぱりわからない」という方がいらっしゃいますが、そう言う場合は 

 

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操体法基礎講座A

 

へお越し下さい(途中参加でも、初回は別枠で詳しい個人レッスン的なことを行います)

一人一人の「疑問」にお答えしながら進めています。

 

 

ナゾの物体。

こんにちは。

 

2020年6月17日、宮城県でナゾの物体が目撃されました。

https://headlines.yahoo.co.jp/videonews/ann?a=20200617-00000058-ann-soci

 

バルーンみたいに見えますし、下についている板みたいなものは、ソーラーパネルのようにも見えます。

 

私がこれを見て「おっ」と思ったのは、小学生の頃、今の幕張メッセがあるあたりの海の上で、似たようなものを目撃した経験があるからです(このブログにも何度か書いています)。

 

私が見たのは、丸くて銀色で、上にアンテナが1本立っていて、ゆっくり下降していました。一緒にいた隣のTちゃんは「あれは鳥だ」と言いましたが、私にはどうみても鳥には見えませんでしたが、超頑固で「自分が信じられないものは信じない」とか「UFOとか幽霊なんかいるわけない」という主義のTちゃんは、銀色の物体をきちんと見もせずに、そう繰り返しました。

 

あ!日本の古い文書に書かれている「鳥」は、UFO(未確認飛行物体)かもしれないという説もありますね。鳥っていうのも有りか??

 

今考えると「自分の理解の範疇を越えるものは、あり得ない、信じない」という一種の心理的防御だったのかもな、と思います。

 

一時、非化学的なものを躍起になって否定する学者もいましたけどね(冷静にみるとかなり滑稽です)。

 

まあ、アメリカから「UFOはいるよ」という話もありましたし、超高度のバルーンを研究しているという話もあるので、これはハイテクなバルーンかもしれません。

 

ちなみに、Boeingの方から「昔砂漠で新型の飛行機の飛行実験をしていて、近隣の住民にUFOだと誤認されたことがあった」という話も聞きました。

 

 まあ、こうやって少しずつ世の中の認識も変わっていくのでしょうが、世界、宇宙には、まだまだ未知のことがたくさんあります。

また、トム・クルーズの映画「マイノリティ・レポート」のように、例が少ないと抹消されることもあるでしょう(少数意見。少数の特異な現象は、あり得ないこととして無視される。例えば末期のがんが、一瞬にして緩解し、患者が元気になったりすることとか)。

 

さて、以前も書きましたが、操体もやっと第四分析(息診息法他)を、もっと公にしてもいい時がやって来ました。

 

勿論皮膚は大事ですが、こういうご時世、積極的な皮膚への接触がためらわれる今、皮膚へのアプローチ以外の手法を考えるべきなのです。

 

遠隔で臨床を行うということは、10年前に三浦寛先生が、医道の日本誌の「新年のことば」で書いています。我々はその頃から研鑽を積んできたわけですが、

 

皮膚へのアプローチの次の段階は、触れないで行う臨床と、もう一つ。第五分析です。

第五分析は、究極のセルフケアと言ってもいいのではと思っています。

 

一つ見分けて欲しいのは「怪しい遠隔」をやる人は

「触れないのはできるが、触れるのはできない」と覚えておいてください。

 

我々は「ふれなくてもできるし、勿論ふれてもできる」のです。

 

 

 

 

 

 

 

 

オンラインとオフラインの住み分け。

4月から、操体法東京研究会の講習や、東京操体フォーラム、塾SOTAIなどをオンラインで開催している。中には、受講生側から、オンライン設備がないなどの理由で、休講にしているものもある。先月の第五日曜開催の「塾SOTAI」は、久しぶりに私の他に、実行委員のH君とT君が三茶にやってきた。

 

塾の前に、実行委員で今後の打合せなどを行ったが、メンバーの一人が「皆、気がついちゃったんですよ」という。

 

それは、会社にわざわざ行かなくても、家でオンラインで仕事ができる、ということに気がついたのだという。

 

なお、興味深いのは、5月末に行った、東京操体フォーラム相談役の、太田剛先生と新部健太郎先生を招いてのトークイベントの中の話だった。

 

要は「これからはオンラインだ」と言ってるヤツは信じないという話で、私もなるほど、と思った。

 

世の中には「zoom講師になるには、専門知識は必要なく、ちょっと詳しい知識がある程度で充分。zoom講師になる方法を教えます」みたいなセミナーも見かける。

(専門知識が必要ないってどういうことだろう)

 

私が考えているのは、オンラインが簡単だからといって、何でもオンラインにしていいのかという話だ。

 

例えば実行委員勉強会だが、朝早い。遠方の人は大変だと思うが、1度オンラインでの「簡便さ」を知ってしまうと、朝早起きして、わざわざ三茶まで出向くのが億劫になってくるということもある(実際、オンラインの簡便さを知ってしまったメンバーがいたので、フォーラムではオンラインでの勉強会を10年以上封印してきた)。

 

 

今回は、やはり「皆でオンラインでも顔を合わせる機会や、勉強の機会を途切れさせたくない」「コロナのせいで、勉強が止まったとは言いたくない」ということもあるし、地方に住んでいる実行委員と、私のように都内に住んでいる実行委員とでは、環境も違う。

というわけで、オンラインでの開催を続けているが、段々とリアルでの出席も戻って来た。

 

こんなときに見つけたのが、この記事である。

https://forbesjapan.com/articles/detail/35027/1/1/1

forbesjapan.com

 

会議などはオンラインでも充分だとおもうが、何かを学んだりする場合は、やはり実際に顔を合わせたほうがいい。

 

つまり「仕事はオンライン」「大事なことや学ぶことはその場に行く」というように「何でもかんでもオンライン」ではないということだ。

 

今回は「コロナ禍下において、操体を学ぶ者仲間達との、コミュニケーションを途切れさせないために、やむなくオンラインで場所を作った」という理解をしたほうがいい。

 

「Web飲み」も、今は目新しいので面白い(あるいは久しぶりだから)のかもしれない。もう少しすれば、飽きるかもしれない。

 

操体にせよ、理論や操体の歴史などは、オンラインでも可能だと思うが、実際の実技指導は、やはり実際に顔を合わせてやらないと話にならない。

(通信教育で勉強しました、という治療家の施術を受けたいだろうか?)

 

 

 

ちなみに、操体は「人様に施術できるくらいになる」には、リアルでの実技指導が必要だ。というのは、師匠の「空気感」を学ぶことができるから。

さらに「操体を人様に施術できるくらいになる」には、コミュニケーションの勉強が必須である。

それは「からだ」との対話だ(体感語)。

 

 

 

リアルな勉強の場で、空気感とともに体得したものは、オンラインでも活用できるということだ。

 

私が操体法東京研究会で学んだのは「操体的なコミュニケーション」だった。

 

それは「からだと対話する」方法の習得だ。

 

普通の人は、操体の講習というのは、ワザやテクニック、つまり治し方を習うと思うかもしれないが、習うことは「診断分析方法」と「からだと対話する方法」だ。

テクニックよりも、こちらのほうが重要であり、習得が大変なのだ。

 

単に操法を覚えただけでは、結果がでにくいのは「操体的なコミュニケーション」「からだと対話する方法」ができていないからなのだ。

 

 

操体創始者橋本敬三医師は「潜在意識を変える名人だった」という話がある。
つまり、本人の意識ではなく「無意識」や「からだ」にアプローチし、変える名人だったのだ。

 

操体法東京研究会の講習は、その創始者の元で、みっちり修業し、開業してからもしばらくは毎月仙台に通って勉強を続けたという、三浦寛先生だ。

三浦先生は、橋本先生が一番臨床家としてあぶらがのっていた、70代の初めの頃の弟子であり、その時の橋本先生の言葉の誘導や、イントネーション、間合いなどを、実際に経験している。

 

特に「間合い」などは、実際に呼吸を読まないとわからないので、オンラインでは不可能に近い(リアルにしっかり稽古をしていたら、オンラインでも有効だろう)。

 

世の中の全てがオンラインになるわけではない。

必要なものがオンラインになり、必要なものは、実際にその場に行って学んだり味わったり体得したりできる。

 

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道でごろりんするくろねこさん。



 

 

 

松岡正剛先生の新書と鬼滅の刃。

私はどちらも好きなんですが、この二つの共通点は何でしょう。

 

特に、この二ヶ月?ヒマだったので、Amazon○ライムとかd○tvとかで見たとか、私みたいに、以前二巻まで読んですっかり忘れてて(二巻くらいまでは、絵柄もちょっと初々しい)、え?アニメ流行ってるんだ?と、アニメを見たら、映像が何だか美しすぎてすごいぞ!みたいな。

 

それは「柱」です。

 

先日、三浦先生が「日経に松岡先生の本の紹介が載ってたよ」と教えてくれたのですが、今年3月の新刊の新書「日本文化の核心『ジャパン・スタイル』を読み解く」のことでした。

 

「第一講 柱を立てる 古代日本の共同体の原点「柱の文化」から話を始めよう」

 

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日本文化の核心 「ジャパン・スタイル」を読み解く。松岡正剛先生の新著です。



私の知りあいの話ですが、夕食に帆立貝が出たそうなんです。

で「これは貝柱だよ」と言ったら、子供が、目を輝かせて「えっ。貝柱?!」となったそうなんですが「貝柱」の「柱」に子供が反応するほど(笑)「柱ってすげぇ」ということになっているわけです。

 

 

ちなみに、解説しておくと「鬼滅」における「柱」というのは、平安時代から続く(戦国からだっけ?)鬼殺隊という鬼を斬る非正規の私設軍(?)のような組織の、大将みたいなものです。説明がアバウトですいません。

確か9人くらいいたと思うけど、○○柱、例えば「水柱」とか「炎柱」みたいに、司るエレメントがくっついているわけです。

これは、日本人が神様を「一柱(ひとはしら)」「二柱(ふたはしら)」で数えることから考えてみても「神様並みにすごい人達」ということなんだろうなと思います。

 

ここで「柱」興味を持った子ども達に「日本では昔から神様を『一人、二人』じゃなくて『一柱(ひとはしら)、二柱(ふたはしら)』と言ったんだよ、という話とかすれば、へえ、そうなの、と興味をもってくれるだろうし、きのえ、きのと、ひのえ、ひのと、つちのえ、つちのと、かのえ、かのと、みずのえ、みずのと」というのは「十干(じっかん)」と言って(甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸)、昔はこれで暦をあらわしていたんだよとか(十干は、東洋占を勉強する場合は必須です)、日本のことや、歴史に興味をもってくれるとっかかりになりそうな要素も満載です。

(補足すると、この十干は、鬼殺隊の階級なんだそうで、癸(みずのと)から昇進していくんだそうです)。これで十干を覚えたり、漢字を覚えた子もいると思うけど、そういうことにエネルギーを使うのが大事なのです。

 

 

個人的見解ですが、作者は、もしかすると女性かもしれません。

というのは、少年マンガに出てくるヒロインキャラは、大抵は「女子にしてみれば、何だかウザイ」のが多いのですが、登場する女子キャラ、全て女子に嫌われない設定です。つまり、女子キャラ設定が「オトコが設定した女子キャラではないように見える」からです。

 

わたくし、マンガ読みが長いですが、たまにレディコミとかコインランドリーで読んでて(置いてあったりする笑)、たまに男性のエロ漫画家が女性名を使って書いていることがあるんですが、すぐわかるんですよ。

なぜかというと、エロのツボが違うからです。男性が考える「女子のエロのツボ」と、女子が考えるエロのツボの違いは、わかる人がみればわかるのです(熱弁)。

 

すみません、話が脱線しました。

 

「第一講 柱を立てる 古代日本の共同体の原点「柱の文化」から話を始めよう」

この言葉に興味が湧いたら、是非松岡正剛先生のこの本を読んでみてください。

 

他にもお薦めなのは、この本です。
「17歳のための世界と日本の見方」。17歳じゃなくても(上でも下でも)大丈夫です。

私も結構なオトナになってから読みましたが「なるほどね」と、とっても勉強になったことを思い出しました。

 

17歳のための世界と日本の見方―セイゴオ先生の人間文化講義

17歳のための世界と日本の見方―セイゴオ先生の人間文化講義

  • 作者:松岡 正剛
  • 発売日: 2006/12/25
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)