操体法大辞典

操体の専門家による、操体の最新情報など

チックと操体

操体は、もともと「息食動想」と環境のバランスを考えています。最近では、新しい軸も加わっていますが、基本はこれです。

 

この4つは、お互いに補完しあっており、どれかが悪くなれば、他も悪くなり、どれかが良くなれば、他も良くなります。

 

我々操体実践者(操体プラクティショナー)は、一番アプローチしやすい「動」の部分からアプローチしますが「言葉」を使って「想」にアプローチすることもあります。

 

橋本敬三先生は「言葉は運命のハンドル」とおっしゃっていますが、本当にそうだなと思います。

 

私のところに、定期的に来ている方がいます。

すでに自覚症状などはおさまっており、日々のからだの使い方、動かし方のアドバイスを体得しました。

 

それまでは「加減が分からずに、やりすぎてどこかを壊す」ことの繰り返しでした。

 

また、最初は「歪みさえ取れれば、自分は健康になる」とか思っていたそうですが、最近は、何となく「操体の考え方」が分かってきたそうです。

 

一般的には「歪みは悪い」「歪みがあるから不調が起こる」というように、歪みは悪者にされがちですが、操体では「不自然の自然」というように言います。

 

「あっていい歪み」と「ないほうがいい歪み」とも言います。

 

わかりやすく言えば、職業的なボディの歪みです。

スポーツ選手などは、ある部位を集中して使うので、かなり特徴的なからだをしていることがありますし、職人さんとかも、同じです。

 

これを「左右対照がいいんだから、矯正しよう」と、骨格の矯正をすると、スポーツのパフォーマンスが上がらなくなったり、職人さんは仕事ができなくなったりします。

 

確かに不自然ではありますが、独自のパフォーマンスを発揮するために、許容度以内で不自然の自然が成り立っているのです。

 

 

そして、からだは、構造を歪ませてまで、立ってくれているんです。なんとも健気ではありませんか。

 

それを「歪んでいるアンタ(からだ)が悪い」(って、そもそも歪ませた原因を作ったのは「私」)いうのは、ちょっとひどい言い分ですよね。

 

というわけで、自分の調子が悪いところに対して「痛いオマエが悪い」(でも本当は、その原因を作ったのは私である、という罪悪感もある)とは思わなくなったそうです。

 

 

この方は、お話を伺っていると、あるキーワードを使っていました。

私は、そのキーワードが、その方の「生き方」そのものに関わっているのではないかとしばらく考えていましたが、ある時思い切ってそのことを伝えてみました。

 

その言葉を使うことによって、その方は、実際の生活の中でかなり損をしてきた、つまり、本来のその方の才能を過少評価されてきたのではないかと思ったのです。

 

最初は「なんで?」「なんでこの言葉がいけないの?」のような反応でしたが、その後、気をつけるようになったそうです(たまに出ますが)。

 

その後、気がついたら前から出ていたチックの症状が出なくなりました。